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「普通の家庭」で育った私が「普通」に生きるか否か


私は「普通の家庭」で育った。

ここにおいての「普通の家庭」の定義をしよう。例えば国民的アニメともいわれる「ちびまる子ちゃん」「サザエさん」、また「クレヨンしんちゃん」「ドラえもん」。このあたりのホームアニメの家庭状況を一般的、「普通の家庭」とすることにする。

特徴としては父母がいて子が一人ないしは複数いて、父は会社勤め母は専業主婦、子は毎日学校に通い放課後は友人と遊びに出かけたり。家族で一軒家、マイホームに住む。時に祖父母も同居している場合も。

これが所謂日本において「普通」とされてきたからこそこれらのアニメは多くの国民に受け入れられ長く続いたのではなかろうか。


私はどうか。

父母、妹と私が閑静な住宅街の一軒家に同居していた。大学からは実家を出たが、それまで「普通」に学校に通い高校まで進学。母は専業主婦。まあちょっと違う点といえば父は自営業だ。経済的にもそれなりに安定していたから不自由したことはない。

父母の生い立ちについて私はあまり明るくはないのだが、父も母もそれぞれ「普通の家庭」で育った。違うのは母親(私の祖母)が働きに出ていたという点くらいだろう。

両親とも一人暮らしの経験はなかったと思う。結婚し「普通の家庭」を築いた。

そんな家庭で育った私。

現在は20代前半で一人暮らし。正直結婚する予定もなければする気も起きない。このままいけば「普通」になれない気がする。

そこでふと思う。

私は「普通」になりたいのだろうか。

Twitterでも時折目にするが、この時代、むしろ「普通」を手にすることが難しくなってきているように思う。かなり努力しなくてはならない。時代の変化なのだろうがもはや普通が普通ではない。

普通、そして普通という表現が良いのか悪いのかはさておき、自分の育った環境を顧みれば、不自由なく穏やかに生活していた。それが結婚しないとなると恐らくしんどいのではないだろうか。そんな不安が時々ある。

一人暮らしは誰にも干渉されずに自由に過ごせるし自分だけのお金を自由に使えるし好きな物を好きなときに食べられるしお風呂もいつ入ってもいいし好きなときに出かけられる。

基本的に「一人暮らし万歳派」の私だが、将来的にどうなのだろうかと柄にもなく考えるときがあるのだ。

将来的な独身の不安としては一番は経済的な面。ずっと働き続けなければならない。結婚してパートナーの収入に全てを頼ろうというわけではなく、これが第二の不安になるわけなのだが、働けなくなったときのこと、健康面が心配なのだ。人生何が起こるかわからない。ご時世的にも病気になったときのことを考える一人暮らしの人は多いのではないだろうか。なんなら最期を迎えるときのことすら考えてしまう。


仕事柄「普通の家庭」の人に良く会う。電車に乗っていて車窓から見える一軒家から出てくる出勤・通学の親子。ショッピングモールですれ違う家族。バイト中に見ていた「普通の家庭」で育った新郎新婦が新たな「普通の家庭」を生み出す瞬間。

目の当たりにすると「いいな」と思うのはノスタルジーからなのか本当の憧れなのか。


よく「あなたが普通に生きるわけがない」と友人などから言われてきた。

いくら「普通の家庭」をいいなと思っても私自身も私が普通に生きるとは思わない。

普通がもはや普通でないこの時代に、私は「変」を極めた生き方の方がしたいし、合っていると自負している。




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