愛をこめて花束を
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愛をこめて花束を

誰かに贈り物をするのが好きだ。
記念日に、お祝いに、久しぶりに会う友人に。
何が良いだろうか、喜んでくれるだろうか、使ってくれるだろうか、邪魔にならないだろうか、そうやって長い時間考え、あれこれと悩み、選んでいる時間が好きだ。

そしていつも「どうかこの気持ちが少しでも相手に伝わりますように」と願いを込める。

この祈りにも似た願いは、私の後悔と懺悔から生まれている。


話は私が12歳の頃にさかのぼる。

小学生だった私は、放送委員長だった。
お昼の放送や運動会のアナウンスをするのが楽しかった。
秘密基地のような放送室に給食を持っていき、アニメに出てくるような沢山のボタンが並んだ操作盤を動かして声を届け、音楽を流す。
そんな学校の中にある非日常が大好きだった。

委員会には顧問の先生がいる。
放送委員会のM先生は、柔らかな物腰で決して怒ることのない、優しい人だった。体が弱いのか休みがちで、クラスを受け持つことがないので放送委員でなければそれほど接点はなかったと思う。
いつも丁寧に指導してくれて、たまにこっそりお菓子をくれて、先生というよりも優しいお兄さんみたいな存在だった。

そのM先生が入院することになったと、ある日聞かされた。
それまでも数日間休んでは復帰するということが続いていたので、それほど驚くことはなかった。
顧問が不在になったため、代理顧問になったのはよりによって私のあまり好きではない体育会系を地でいくタイプのゴリラのような担任だった。

担任になって早々に「俺のクラスは残菜バケツを使わない!給食は残さず食べること!」と宣言したり、いつもちょっと臭いジャージに身を包んで、何かといえば根性論を持ち出す典型的な体育会系。
代理顧問になったからといって放送室に来ることもなく、M先生不在のまま日々が過ぎていった。

それから数週間経った頃、担任に「明日放課後にM先生のお見舞いに行くぞ。寄せ書き準備しといてくれ」と突然色紙を渡された。

子どもだった私は「放課後に」「先生の車で」「病院にお見舞い」という普段では絶対にないシチュエーションに、不謹慎だがワクワクしてしまった。

とはいえ明日、もう1日もないじゃないか、と途方に暮れた。
M先生はクラスを受け持っていないので、寄せ書きを書けるような関係性の生徒はとても少ない。というかほぼ放送委員だけだ。
10人にも満たない放送委員でこのバカでかい色紙を明日までに埋める。
あまりにも無茶な要求だった。

あの頃の私はあまり積極的な方ではなく、周りを巻き込むとか無理矢理書かせるとかそういう強硬手段に出ることもできず、放送委員全員のメッセージをなんとか集めるだけでもとてつもない労力を使った。

今なら色紙のレイアウトをどうしようか、隙間をシールやイラストで埋めようか、といくらでも思いつくのだけど、12歳の私には出来なかった。

そしていざ放課後にあのゴリラ先生のワゴンに他の生徒数人と乗り込んだときに「色紙出来たか?」と言われて色紙を見せた瞬間、ゴリラ先生の眉間に皺が寄ったのが分かった。

昔から相手の心の機微や場の空気を察するのだけは無駄に上手かった私は「これはまずい」と即座に思った。

「お前、これでいいと思った?」ゴリラ先生が静かに言う。
私は「時間無くて、もうこれでいっかと思って...」と咄嗟に言い訳した。

ゴリラ先生は明らかにがっかりした声で、でもはっきりと言った。
「人に贈るものを適当に済ませるな」

その後にも何か言われた気がするが、その言葉が重すぎて他を覚えていない。ゴリラ先生の車内には重たい空気が流れ、病院までの道中、私はいたたまれない気持ちでいっぱいだった。

病室のM先生は笑顔で迎えてくれた。
私からしたら昨日に時間を巻き戻してやり直したい色紙も、嬉しそうに読んで「ありがとう」と柔らかい声で言ってくれた。
その優しさに、更に申し訳ない気持ちになったのは言うまでもない。

お見舞いの後、あの日のゴリラ先生の言葉が胸に引っかかったまま、M先生に関する情報も無いままに時は過ぎ。

雪がちらほら降りはじめた頃。

M先生が天国に行った。
もう学校に戻ることはない、と。

誰からどんな風に聞いたかは覚えていないが、そう聞かされた。
小学生の情報網は侮れないもので、もともと病弱だったとか、どうやら白血病だったらしいよ、とかいった情報も色々流れてきた。

私は深い深い後悔に苛まれた。

あの日、もっと綺麗に色紙を準備すればよかった。
他の子を巻き込んで賑やかなものにすればよかった。
退院して戻ってきた時には、おかえりなさいのメッセージをちゃんと準備して渡そう。

そういう私の気持ちはもうM先生には届かない。
ごめんなさいも、ありがとうも、おかえりなさいも。
永遠に彼に届くことはない。
あの色紙は私の気持ちの全部を込めたものではなかったんです、もっとちゃんと準備したかったんです、と悔やんでも、書き直すことも彼に懺悔することも、もう一生叶わない。


あれからどうやって立ち直ったのかは覚えていないが、12歳のあの時から今に至るまで、M先生のことを忘れたことはない。
そして誰かに何かを贈る、という行為に一切の妥協をしなくなった。

家族への誕生日プレゼントを考えるとき
久しぶりに会う友人への手土産を選ぶとき
退職する先輩に贈る色紙にメッセージを書くとき
誰かに何かを贈る、その全ての瞬間に

病室で微笑むM先生の顔が浮かぶ。

本当にそれで良い?
後悔しない?
相手は喜んでくれる?
適当に選んでない?
これが最後のプレゼントかもしれないよ?

そう問いかけてくれるから。
だから私は、いつも大切な誰かに心を込めて贈ることが出来る。

そして願う。
出来ることならこの先も、この贈り物を見た時に、思い出した時に、少しでもあの人が暖かい気持ちになれますように、と。

そして想う。
先生ごめんなさい。
ありがとう。


#あの失敗があったから

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徒然なるままにnoteにむかひて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつくるナース。旅と音楽が日々の支え。広く浅くハマった沼を行き来しています。