久々の「スポーツ」は楽しかったです

先週末は友達のグループ5人でテニス合宿へ。
実はテニスをやるのは16年ぶり(その当時も4-5回やっただけですが)。元々運動神経が極端に鈍い(ASDあるあるです)ため苦手意識もあり、筋トレ以外の運動は20年近くほぼ皆無でした。

そして土曜日のお昼に久々にラケットを持ってテニスコートへ。いざやってみると下手ぶりは想像以上でした。そもそもサーブでボールをラケットに当てることすらできず、ボールの往復をいつも筆者が止めてしまい、恥ずかしいやら申し訳ないやら。
ラケットに当たった音も、他のメンバーのような「ポーン」という心地よい音ではなく、筆者が打つと「ガツッ」という鈍い音。そしてどっちへ飛んでいくかは打ってみるまで全く予想もつかず、コート内に返せるボールの方が少ない有様。

それでもみんなはそんな下手くそな筆者を笑って許してくれて、打ち方のアドバイスも色々してくれました。自分でもボールが右奥に飛んで行きやすいからもう少し左に打ってみたりとか、ボールを目でしっかり追って、ラケットをボールにまっすぐに打つよう工夫したり。その甲斐あって夕方には相手のコート内へ打ち返せるボールも増えていき、そのほんのわずかな上達を嬉しくも感じました。

こんなことをやっていて、筋トレも仕事も似てるなぁと、ふと思いました。上手くいかない時は原因を分析して、仮説を立てて対策を考えて、ひたすらトライアンドエラーで少しずつ上達していくところがです。

一方、筆者が昔の体育や部活はそれと真逆でした。同級生全員に同じものを押しつけ、指示通りできなかったら怒鳴りつけた上に懲罰的なランニングや腕立て伏せも。更に学年や出来栄え(レギュラー→補欠→箸にも棒にもかからない最底辺)順の謎のスクールカーストも存在し、下級カーストへのいじめやシゴキが横行するいじめの巣窟でした。顧問がそんなカーストを当たり前のように放置していたのは、それが「前例」であり「周りもみんな同じ」であり、また頂点だけを管理すれば全体を統制できるので楽だったからでしょう。

では、ただ教師や顧問を攻撃すれば良いのかというと、でもなさそうです。そもそも公立学校の教師自体が人間扱いされない「奴隷労働」そのものです。「教職員給与特措法(給特法)」で「教職調整額(月給の4%)」が支給されるだけで残業代すらない超絶ブラック労働、公立学校で半強制の部活顧問は業務外扱いで、休日に4時間以上で一律3600円の「部活動手当」だけ。


しかも筆者が会った教師は昭和に教員免許を取り、そのまま社会人生活の経験ゼロで教師になり、しかも公立学校は市場の競争原理も働かない異常な環境。 …教師の育成環境がそもそも異常、働く環境も異常。まともな感覚の人は教師になりたくなくて当然、或いはなっても辞めていって当然、そしてそんな教育現場が異常なのも当然です。また閉鎖的で力関係が明確な環境で立場が弱い相手へのパワハラはほぼ不可避(実体験)なので、生徒が教師の不満のはけ口と化すのも目に見えています。
よほど強い使命感と明晰な頭脳を兼ね備えた人でない限り、教師になってそんな異常な空間を変えていこうなどとは思わないでしょうし、そもそも明晰な頭脳を持った人なら現場からではなく政治や行政の側からトップダウンで変えようとするでしょう。なぜなら下から変えようとしても徒労に終わってしまうからです。

筆者も現職で経験していますが、こちらが何を言い何をしても手応えゼロ、底なし沼に杭を打ち込んでいるような一種の無力感。11/24に書きましたが、筆者は現職を変えることをもはや諦めています。自分の身を守りつつ自分の実績を残し、それをアピールポイントに転職してしまうことだけに注力することにしました。

テニスに話を戻すと、一晩寝た翌日の日曜(昨日)は前日の感触をほぼ忘れてしまい、またボールがラケットにすら当てられないところまで戻ってしまいました。しかもテニスのサーブは相手側コートの反対側手前の狭い枠内に入れないといけないことを初めて(!)知り、筆者はサーブの失敗だけで試合すら始められずにゲーム終了という大記録(!)を2回も出してしまいました。
ただ相手サーブでボールを向こう側へ投げる際、ラケットでボールを軽く打ったら難なく入ったため、次はそのやり方でサーブをやってみようと思った矢先に時間オーバーで挑戦できず。近いうちに機会を見つけて試してみようと思います。

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