昭和の村から都会へ移住して


現職で仕事を始めてそろそろ1週間です。
少しずつ仕事も始めていますが、まだ社内の仕組みや事業内容に関する説明がメインで、残りの時間はそれらの受けた説明内容の整理やイントラネットの資料の把握に費やしています。

そして人事に相談すると

こういう柔軟性が結構あるのが現職の嬉しい点です。
こんなこと前職ではほぼ無理でした。適用を受けていたフレックスですら極力周りと合わせるように横槍を入れられ、更に生産性や社員の安全より出社が優先なキチ〇イっぷりは散々愚痴っていた通りです。

もちろんシステムやルール面では現職もまだまだな点もあります。グローバルでの基準はあっても日本法人としての具体的なマニュアルは無かったり、後は取引先を審査するシステムが物流や営業のデータベースと連動していなくて、未審査の相手との取引をシステム面で回避できなかったり(今は運用と教育でカバーだそうです)。

そういう点をウェブ会議で質問すると大抵「詳細は今後順を追って」と言われますが、少なくともポジティブな反応は返ってきます。ただ、どちらかと言うと筆者が初っ端から全力疾走しようとしていて、周りは「そんなに焦るなよ」と止めてきている感じです。

また日本法人は設立から数年程度で社員数が少ないのもありますが、全体的に組織はフラット、人間関係もオープンです。ネチネチした感じの「お局様」や、威張り散らしている「村長(むらおさ)」的な人は(今のところ)いません。

それは現職が「優しい」というより「合理的」なのかもしれません。確かにどうしたら少ない人数、少ない時間でアウトプットを最大化できるか、を追求すると結果的にこうなりそうです。コミュニケーションがオープンならピラミッドのような階層も無駄な会議も減らせますし、社員が快適に働ける環境を整えれば生産性も帰属意識も高まりそうです。「当たり前」を突き進めればこうなりますが、逆にそれが通らない「意味不明」が前職でした。

前職の退職前は保健師の女性と「〇〇(前職の所在地)村」「北朝鮮の強制収容所」「東ベルリン」と社内チャットで散々ぶち撒けていましたが、明文化すらされない「村の掟」に従わなければ「村八分」、年配社員が「村長(むらおさ)」気取りで威張り散らす、そんな古い組織は外から見れば意味不明・理解不能・滑稽すぎて、傍から見れば北朝鮮そのものでした。

そして現実を無視した滅茶苦茶な精神論を振りかざして末端に膨大な犠牲を強要し、誰も責任を取らず、誰もそれを言えず、更に生活はジリ貧な点もそっくりです。ただ北朝鮮からの脱北は重罪ですが、古い会社から逃げてもお咎めは一切ありません。いわばベルリンの壁がない東ドイツも同じです。

そう言いつつ、逃げようとしない(できない)人達をバカにする気はありません。そもそも「外の世界」を知らず、学校や会社で「横並び」と「思考停止」を叩き込まれ、一部の人は家族やローンまで抱え、考えるきっかけも余裕もないでしょう。
筆者も3年前の秋に保健師の女性が「背中を押してくれた」ことが休職できたきっかけでした。そしてマインドの総入れ替えに1年近く要し、現職の内定まで更に1年半でした。

ただ最近は周囲の人に少しアドバイスもしてみますが、簡単なことでも試してくれる人はほとんどいません。億劫なのかもしれませんし、自分には無理、今はそんな余裕もない、そんな感じかもしれません。

ただ行動しない人が大半だからこそ、少し行動すればチャンスが得やすいます。「人の行く裏に道あり花の山」「麦わら帽子は冬に買え」は好きな格言ですが、そもそもうまくいっていない周りの人に合わせるメリットは何もありません。

これからも大いに「逆張り」で行くつもりです。


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