恋の温泉、ロマンスの湯 有馬温泉
欧米列国の利害で、我々アジアの国々は翻弄されているように思う。まあそんな事より有馬温泉は蒋介石と宋美齢の婚約の場です。蒋介石に興味にある中華系の人々にとっては特別な場所なのです。
蒋介石とは
中華民国の政治家・軍人。孫文の後継者として中華民国の統一を果たす。
その蒋介石は孫文の後継者としての彼の立場を確立する為に演出を行った。それはバツ2の蒋介石が孫文の妻の宋慶齢の妹の宋美齢にプロポーズしたが即座に断られていた。
そこで姉妹の母親 倪桂珍(ゲイケイチン)が有馬温泉で療養しているところに押しかけ、母親の了承を取り付ける事にしたのだ。
1927年秋、蒋介石は日本を振り出しに1年ばかり、世界の国々をめぐり見分を広めたいと考えた。
日本では政治と社会学、ドイツでは哲学と軍事学、イタリアでは社会と政治、そしてトルコでは革命の歴史について学ぶ予定だった。
蒋介石が有馬にやって来た!
9月28日上海から「上海丸」に乗り、翌29日昼、長崎に着いた。ただちに雲仙に向かった。雲仙での息抜きは早々に切り上げ、10月3日、汽車で神戸に着いた。
午前八時という早い時間にもかかわらず青天白日旗をかかげた同志や華僑から歓呼の出迎えを受けた。市内の同志の家で一服後、宋子文(宋慶齢の弟で宋美齢の兄)と六台の車を連ねて有馬ホテルにやって来た。
軍部、警察、新聞記者などが多数集まり、有馬は大変な騒ぎだったらしい。
当時の有馬ホテルの経営者、増田卯三之介の長男、増田寮(現、有馬サプライ増田浩也の祖父)は蒋介石がホテルに着いた時の様子を、次のように回想している。
「その時私は確か中学三年生ぐらいだったと思う。蒋介石は着いた日に、いきなり三百円を茶代として差し出し「まことに些少だが・・・」と言われた。当時の宿泊費が3円50銭だったにので、母(増田千代子)も私も度肝を抜かれた。(今だったら300万円のチップをもらったという事になる)
さすがに革命の英雄の宿泊だけあって、日常の警戒も厳重をきわめた。
夜ともなれば配下の男たちがピストルを手に二人一組になって不寝番をやっていた。
したがって蒋介石の部屋に出入りが許されたのは、母(千代子)だけであったが、蒋介石は母とすっかり意気投合した。
おそれおおい言い草だが、母を姉の様に慕ってさえくれた。蒋介石は母と顔をあわせるたびに上品なユーモアーやジョークを飛ばし、笑い声が絶えなかった。
私はある時、そんな蒋介石を一目見ようと。母のうしろから足音を忍ばせるようにして蒋介石の部屋にはいっていった。彼は「だれだ!」と身構えるような格好で、私をキッとにらんだ。その鋭い眼光の恐ろしかったこと・・・母がさりげなく「息子の寮です」というと、蒋介石は表情をやわらげて「お坊ちゃんでしたか」とほほ笑んだ。
しかし私は、あの鋭い眼光が網膜に焼きつき、急いで階段をかけおり自室に閉じこもった。」そして蒋介石は無事、宋美齢との婚約を母親の倪桂珍(ゲイケイチン)から許しを受けた。
蒋介石は喜んで「女将!紙を持っておいで」と言って、五枚の書を書いた。「革命」「千客万来」「寧静到遠」「横掃千軍」「平等」
「平等」は現在極楽寺に残されており、「横掃千軍」は増田家から中正記念堂に寄贈された。
中正記念堂は蒋介石のモノを展示しているが、基本的には全てコピーを展示してあり、本物を所有しているのは「横掃千軍」だけだという。
写真は中正記念堂、説明に見入る有馬リネンサプライの増田社長
有馬ホテル
有馬温泉の主要な泉源の一つ、有明泉源の横にあり、大阪の藤本清兵衛が経営していた。明治四十年七月設立された大日本ホテル株式会社は京都の都ホテルを中心に奈良ホテル等を所有し、その1つとして有馬ホテルは吸収された。
その頃、100名以上収容できるホテルといえば、帝国ホテル、富士屋ホテル(箱根)都京都、オリエンタル トーア(神戸)などで、それらのホテルには及ばないが、24の客室があった。
時々ダンスパーティーが開かれ、ベビーゴルフ、玉突き台も設けられていた。平屋建ての大広間でビヤーホールが開かれ、外国人にまざって日本人も乾杯をあげたという。
当時、国鉄有馬駅の近くに大日本ビールの炭酸工場が完成、そのレセプションは同ホテルで開催された。
蒋介石が宿泊し有名になったものの経営はうまくいかず、昭和四年解散。
本店の都ホテルは独立。
有馬ホテルは大阪の今橋柳広之が買い取り、増田ホテルの増田宇三之助が経営に乗り出した。
昭和13年の阪神大水害でホテルの後ろの竹薮が崩れ建物も壊れて一部が流出、閉鎖するに至った。
昭和十五年神戸電鉄がその土地を買って、三十八年に兵庫相互銀行に売却、現在は老人マンションになっている。
「横掃千軍」の書が、有馬に里帰り!
有馬と台湾とつながりは深い。ある時、書を有馬に持って帰ることを計画した。現在有馬温泉観光総合案内所に掲示してあります。極楽寺の「平等」の字と共に・・・ただし両方コピーですよ
この持ち帰り話も機会が有ったらします。
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