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《点光源 #2》 こんな世の中で、音楽を作るということ。

野井洋児さん。職業は音楽家だ。
ASKAの音楽を愛する人達へのインタビュー連載《点光源》、二人目はこの方にお話を伺おうと思っている。

接点が生まれたのは、野井さんがご自身のブログでCHAGE and ASKAの音楽がどのようにすごいのかを詳しく書き記されていたからだ。

その後、野井さんとはこのnote上で《プロのオフトーク》という、本当にオフトークと称しておかないと大ケガするような対談を連載することになり、もう1年以上もの間、音楽についてああでもないこうでもないと楽しくお話させて頂いている関係である。


だが野井さん、本当は私のようにごく普通に生活していては、なかなか出会えないような方だ。
2005年に音楽家としてメジャー・シーンでデビューされ、その翌年にBoAへの提供曲「七色の明日~brand new beat~」がオリコン3位にランクイン。
この曲は'06年の年間ダウンロードトップ10入りを果たし、その年の紅白歌合戦でも歌われることとなり、一躍注目を浴びる作曲家へ。
R&Bにとどまらず、岩崎宏美など日本を代表するシンガーへの楽曲提供、日向坂46などの”坂道系”アイドル曲やキャッチーなポップス、ロック、アニソンなどなど…「美メロディ」に長けた作曲家として、豊かなバリエーションの楽曲を書き続けていらっしゃる。(作品のリストはこちらからどうぞ。)


野井洋児さん、改めて思うがとても不思議な魅力を持った方だ。
優しく柔和で丁寧な物腰の一方、内側に熱くたぎるものがあり、強い信念が時おり見え隠れする。
柔と剛。まさにそんなイメージだ。

そして、頭の中でこうと思ったらとことんまで追求していく研究気質なところもある。
これは《プロのオフトーク》を読まれた方ならば、初めに気付く野井さんの一面であろう。

伺うに、音楽家という職業は非常にクリエイティブでありつつ、世の中に溢れる音楽を裏方に徹して支える役目も背負っているようだ。
一体どんな想いでここまでの道を歩いてこられたのか、今度は野井さんご自身のお話を伺ってみたい…
そんな思いで、《点光源》二人目としてのご登場をお願いしたのである。

●プロレス好き少年、音楽の道へ

ーーまずは忘れないうちにお話ししておきたいのですが、今週は野井さんが提供されたフィロソフィーのダンスさんのニューシングル「ダブル・スタンダード」が土曜に初放映されますね!(アニメ「魔法科高校の優等生」エンディングテーマ)

そうそう、忘れないうちに(笑)。リリースが8/18なので、どんな曲なのか先に僕から色々とお話することはできないんですが、一つ言えることはかなりカッコいい自信作なので、ぜひ皆さんのお耳に届くと嬉しいです!
フィロソフィーのダンスさんは注目度の高い新世代アイドルで、アニメも人気シリーズですので、きっと面白いですよ!


ーーはい、とても楽しみにしております!
本当に野井さんとお話ししているといつも話が尽きずに広がりすぎて、肝心なことがいつのまにかポーンと抜けてしまうので…自戒してはいるんですけれど(笑)。
今日はじっくりと、今まで伺えなかった野井さんご自身のお話を伺ってみたくて。まずは、どうしようかな…プロレスからいってみましょうか(笑)。なぜか音楽の話をしていても、プロレスの例えがしょっちゅう飛び出してくるので。

そうなんです。子供の頃からのプロレスファンで、特に藤波辰爾さんが大好きでして。

ーーチャゲアスファンの方々の中にも、なぜかプロレスファンが多いですよね?

いやぁ、本当に多いですよね。僕の周りでも、日常的にプロレスの話題が出ることってほとんどないし、僕自身もしないんですが、なぜかチャゲアス好きの方達からは出てくるんですよね(笑)。
多分、プロレス中継のオープニングだった時期があるからじゃないかなと思うんですけどね。

ーー皆さんの記憶に染み付いてるんですね。

僕が小6の時ですから’87年頃だったかな、チャゲアスの「ラプソディ」がオープニングで、エンディングがASKAさんのソロ曲「MY Mr. LONELY HEART」だったんですよ。両方ともカッコいい曲だなぁと、強く印象に残ってるんですよね。 


1975年生まれで三重県で育った野井さんは、当時熱狂的なファンを生んだプロレスの中継と、阪神タイガースの初の日本一に心躍らせる少年だった。ソフトボールや相撲を取ったり、昆虫を追いかけては図鑑をめくる、のびのび自由な日々だったそうで…。

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(昆虫やプロレスに夢中だった頃の、小学生時代の野井さん。)


ーー音楽に興味が芽生えたのはいつ頃でしたか?

本格的に自分から好きになったのは、割と遅くて小学校の高学年からなんです。低学年の頃は「ザ・ベストテン」に近藤真彦さんや田原俊彦さん、松田聖子さんや中森明菜さんが出てくるのを楽しみにしていた覚えがあるんですが…そこから記憶がすっぽりと抜けてしまってて。
多分、小3~5年くらいまではプロレスと昆虫と野球などのスポーツ観戦に夢中で、そんなに音楽には興味が向かなかったんです。

ーー典型的な小学生男子ですね(笑)。

はい、勉強も結構真面目にやっておりましたが(笑)。それが、小6くらいから急に音楽少年みたいになりまして。
小さい頃からエレクトーンを習っていたので、音楽自体にはずっと触れてたんです。そして、時代的にはフュージョンというインストゥルメンタル(以下インスト)のジャンルが台頭していたんですよね。ちょっと大人向けの音楽でしたけれど。
発表会でT-SQUAREやカシオペア、ボブ・ジェームスという方々のインストの楽曲を他の子達が弾いているのを観て、なんてカッコいいんだろうと思って。
まあ、インストに走ったのも、プロレス中継で選手の入場の時にかかってたっていうのもあるんですけどね(笑)。

ーーやっぱりプロレスに結びついている(笑)。でもインストが音楽への入り口だったというのには、ちょっと驚きます。

一つ印象深い思い出があって、熱が出て学校を休んだ時にずっとラジオを聴いてたんですが、そこでジャズの特集が流れてたんですよね。暇なので集中して聴いてたら、すごくいいなと心に響いた覚えがあって。

ーーインストやジャズを聴いてる小学生って、なかなかいないですよね…。

早熟と言われてしまうんですけどね(笑)。
中学に入ったらもっとそれに拍車がかかりまして。当時、NHK FMで「FMサウンドクルーザー」っていう番組があったんですが、僕はあまり部活に熱心でないタイプだったので、まっすぐ家に帰ると、ちょうどそれが聴けるんですよ。1時間ひたすらフュージョンやボサノバなどのワールドミュージックを流してる、今から考えると珍しい番組で。
それを聴くのが楽しみで、気に入った曲を録音するためにラジカセ前に座り込みまして。気に入らないとカットして、また録音する。そうやって好きな曲だけを真剣に集めてました。

あとは深夜にやってた、これもNHK FMの「クロスオーバーイレブン」もよく聴いてましたね。クロスオーバーって、フュージョンの別の言い方なんですけど、デイヴ・グルーシン、デヴィッド・サンボーン、ボブ・ジェームスにイエロー・ジャケッツっていうバンドだったり。そういうのを一人で聴いてたので、まあ話の合う友達が限られますよね…(笑)。


ーーもうすでに、全然私にはわからない話になっています…(笑)。当時、周りで流行ってたのはどんな音楽だったんですか?

当時はTM NETWORKに渡辺美里さん、レベッカ、LINDBERGとかだったかな。
そんな僕も中2ぐらいからは日本の音楽もいいなと思い始めて、プリンセスプリンセスや爆風スランプ、徳永英明さんなどラジオから流れる音楽を聴いてたんですが、ちょうどバンドブームの時期だったので、あまりバンドに興味がない自分にはそこまでハマらなくて。
あ、谷村有美さんという方が、唯一すごく好きだったのですが、音楽性もフュージョンにかなり近いもので、まだ本格的なブレイク前だったので、やっぱり友達との会話までは至らない(笑)。


ーーバンドをやってみようとかは思わなかったんですね。

バンドは大学に入ってからでしたね。それまではエレクトーンなので一人で弾くこと前提で、やっぱりそうすると歌がなくても成立するフュージョンだったり、松田昌さんという方のエレクトーン曲だったりで。
そんな感じだったんですが、高校に入るとついに、大きな出会いがあるんですよ!


ーーということはやはり、あの方々ですね?

高校になった時にカラオケが流行りだしまして、自分で歌を歌うようになってから、ようやく日本の歌もの音楽が身近に感じられるようになったんです。
そして高1の時に「はじまりはいつも雨」というすごい曲が出たんですよね。


●邦楽の可能性をどこまでも広げた、CHAGE and ASKAの音楽

1991年、今からちょうど30年前のその年に、チャゲアスは日本中に大きなブームを巻き起こしていた。当時、野井さんは高校1年生。一体どんなインパクトを感じたのだろうか?

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(野井さんの高校時代。本人曰く「すごく真面目でシャイな高校生」だったそう…)

僕は中学までフュージョンやワールドミュージックばっかりで、一世を風靡していた光GENJIにもリアルタイムではちゃんと触れてはいなかったんですが、「はじまりはいつも雨」と「SAY YES」を’91年に聴いた時、ああ、これはあのプロレス中継で聴いたことのあるチャゲアスだ、あの頃からすごくカッコ良かったよなぁと思って。ようやくここでつながったんです。

ーーあまり日本の流行りの音楽にハマらなかった野井さんの耳に、なぜか引っ掛かったんですね。

当時のチャゲアスは、元々の個性にプラスして、あの’91年当時の空気から作風にスタイリッシュさが加わっていて、洋楽でもない、だけど他の日本の音楽とは全然違う感じだった。そしてこれがすごくいいんですよね。
身の回りの反応で覚えてるんですが、大人っていつの時代も、昔聴いた音楽の方がいいっていうマウントを取るじゃないですか(笑)。
やっぱり美空ひばりさんやさだまさしさん、五輪真弓さんやオフコースじゃなきゃダメだ、とか。そういう大人の人達が、この時ばかりはチャゲアスをすごくいいって言ってたんですよね。

ーーそうか、’91年当時の肌感覚として覚えてらっしゃるんですね。

大ブームでしたからね。しかもチャゲアスのすごいところが、既に当時は脂の乗った30代半ばだったというところで。大体若い人達って、近い年齢層の若いアーティストを好きになるじゃないですか。それがあの当時は、今の30代に比べてもずっと雰囲気が大人っぽいCHAGEさんやASKAさんに憧れて、女の子はもちろんですが、クラスの男子は7、8割くらいがASKAさんの髪型を真似してたんですよ!
あまりそういう部分って注目されていないけれど、今の音楽シーンから考えてもすごいことですよね。

ーー本当に、ビジュアルも大人っぽかったですよね。私も当時は中学に上がったばかりで、学校の先生や親の年代に近いアーティストに、なぜそこまで入れ込めたのか未だにわからないくらいで(笑)。

デビューしたばかりのアーティストなら勢いが付くのはわかるんですけど、ある程度のキャリアを重ねたアーティストの一角から、ミリオンまで一気にいった人達って、そんなにいないと思うんですよね。
僕、一度調べたことがあるんですが、アーティストがデビューしてからミリオンを出すまでかかった期間を比較したら、何かわかるんじゃないかと。
正確には覚えてないんですが、チャゲアスや中島みゆきさん、松任谷由実さん辺りがとても長かった。これはよっぽどの地力がないと、叶えるのは難しいことなんじゃないかなと思います。

ーー確かに、ミリオンが連発されたのは’90年代だと思いますが、デビューからそこまで年数の経ってないアーティストが多い印象ですね。

もちろんセールスが全てではないですけれど、大抵のアーティストは大ヒットでバーンと売れて、それがある程度落ち着いてから、自分のやりたい音楽性を追求していく流れだと思うんです。でもチャゲアスはデビューしてから何度かヒットを飛ばしつつ、中盤でものすごいブームを巻き起こした。これはなかなかできないことではないかと。

ーー「万里の河」や「モーニングムーン」など、間にもヒットを挟んでいますもんね。

あと、もう一つすごいところをいいですか(笑)。大抵のミリオン曲というのは、ダンスミュージックかロックをベースにした音楽がほとんどなんです。でもチャゲアスやASKAさんの当時の大ヒット曲というのは、ちょっとジャンル分けが難しいんですが、強いて言えばAORや大人のポップスですよね。こういう音楽でミリオンを1、2回ではなく量産するっていうのは、滅茶苦茶すごいことだと思うんですよ。

ーーほおお…なぜそういうジャンルでは難しいんでしょうかね?

うーん、おそらくですが、その時代の若い方の心を掴みやすいのが、踊れるもの、ロック系の激しいものだったりするんじゃないでしょうかね。チャゲアスって、そういう音楽とは全然違うタイプであり、またジャンル分けが難しい。
それぞれどのアーティストも素晴らしいのは前提なんですが、例えばドリカムならファンクだよね、B’zならハードロックだよね、というジャンルが、チャゲアスには良い意味であまり浮かばない。もはやチャゲアス自身がルーツになっていると時折感じることがあって、そこも本当に尊敬するところなんです。

ーーなるほどなぁ。なんというか、ポップスではあるけれどクラシカルな魅力もあったりして…。

そうなんです。多分ベートーヴェンやモーツァルト、その他偉大なクラシック音楽の要素を巧みに狙っているような、それとも無意識にそうだったのかはわからないのですが、狙ったにしてもそうあからさまに見せないところが本当にカッコいいですよね。

ーーだから老若男女楽しめる、普遍的な音楽になっているのでしょうね。

普遍的な音楽って僕自身も憧れるもので、作っていきたいと思うんです。チャゲアスは、特に'89年のアルバム『PRIDE』以降の音楽にそういうものを感じるんですよね。もちろんその前にも素晴らしい楽曲をたくさん作られているんですが。

なぜそうなのかを考えてみると、それはおそらく、アレンジ面で生の楽器が目立つように工夫されているのが大きいと思うんですよね。やはりデジタルが強い楽曲って何十年も経つと、この機材を使っているからこういう音になってる、時代だよね、となってしまうから。
もちろん、デジタルのテクニックは随所にふんだんに使われているのですが、あくまで聴いた時に前面に出しているのは生楽器なのかなって。

ーーそうか、特に音楽を作られていると、機材の特徴や進化にも気付きやすいですよね。

そうなんです。それが面白い部分でもあるのですが(笑)。
ある時期からのチャゲアスにはそういう、デジタル的な時代感が出る曲が比較的少なくなって、いつまで経っても風化を感じさせない。とにかくこの方々のすごいところは、いくら時間があっても語り尽くせないですよね。


●「もうすぐだ」の歌詞に支えられてきた

ーー野井さんのお話を伺ってたつもりが、いつの間にかチャゲアスのすごさという話にすり替わってますね(笑)。もう、これについては話し足りないという情熱が、常に野井さんからは滲み出ているのですが…。やっぱり、ご自身を支えている音楽だと思われますか?

もう、その存在自体が自分の音楽生活を支えているのはもちろんなんですが、作品でいうと一番「これから頑張らなきゃ」という時期に聴いていたのが、’96年のアルバム『Code Name 2. SISTER MOON』なんですよね。その中でも「もうすぐだ」の歌詞が、自分の中の活力になっていて。作曲家を目指し始めた頃の、原点のような楽曲です。
今でも大変な時には「ここを越えればもうすぐだ」と、自分に言い聞かせています。

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(曲を書いても書いても、なかなか採用されなかった頃の野井さん。しかしこの雑多な制作環境から後のヒット曲が生み出されたそうです!)

ーー「もうすぐだ」の歌詞には、一度すごく頑張った上で、さらに次の段階を目指して進むぞ!という気迫を感じますよね。

そうなんですよ。サビの「走れ走れ 時は短い」というフレーズがよく話題に上がりますが、これよりも一番のサビが結構ツラくて沁みるんですよね(笑)。

ーー「ひとつひとつ掴んでみる 確かめてみる / そんなことが出来ないくらい 弱っていた」という箇所ですね。

そう。ASKAさんも大ヒットされた後に書かれた歌詞で、華やかな裏にそこまで到達した人にしか分からないような葛藤もあったと思うのですが、そこを乗り越えてまたやろう、という気持ちだったと思うんですよね。

ーーやっぱり野井さんも私もそうですが、40代ともなればある程度のことを経験してきて、本当にこのままでいいのか、人生を見返してもう一度方向を定め、アクセルを踏み込む時期ですよね。
私もこの《点光源》というインタビュー連載を始めた裏テーマには、「空を追い駆けてみたくなった」というのがあるんです。チャゲアスの「砂時計のくびれた場所」のワンフレーズですが、一度歩んできた道からもっと自分の心に正直に、空を追い駆けてみよう、という思いがあって。

ああ、その歌詞もすごくいいですよね。それに加えて、僕としては「ここを越えればもうすぐだ」、そして『Code Name 1. Brother Sun』からですが、「NO PAIN NO GAIN」の「まだ僕の 靴紐は切れちゃいないさ」をよく思い出しますよね。

ーー「NO PAIN NO GAIN」は、先日(6/23)のASKAさん初のオンラインライブで久しぶりに披露されて、反響が一番と言っていいほどに大きかったですね。ずっと色んな方の心の支えになっているんだと、改めて思わされました。

あの曲をやったのはびっくりしました。
本当にチャゲアスは昔から触れていて大好きなのですが、具体的な作曲への影響というよりはむしろ、心を支えている部分が大きいです。
作風の部分はどちらかというと、同郷で下積み時代に勤務していたオールディーズバーのOBである、平井堅さんを参考にしているところがあるかもしれないですね。

ーーそうなんですか! 平井堅さんとそんな接点があったとは。当時の日本の音楽はR&Bの勢いがすごかったですもんね。00年頃でしょうか?

そうですね、僕が音楽に進もうと思ったのが'99年で、ちょうど宇多田ヒカルさんが社会現象になっていた頃だったので、これからの作曲家はR&Bができなければ、という雰囲気になってきていました。

平井堅さんは、僕がオールディーズのお店で勤務し始めた頃はまだそれほど目立つ存在ではなかったのですが、徐々に頭角を表して、'00年末には紅白に初出場されて、その後はあれよあれよという間にトップスターになって。やはりジャンルにこだわらず何でも吸収されている方だと思いますので、すごく音楽的に影響を受けましたし、尊敬しています。


●シビアだけど、作品の評価=自分の評価

野井さんが音楽家としてメジャー・シーンにデビューしたのは29歳の時。
「下積み期間が長くて」と謙遜されるが、それでもデビュー年の翌年に当たる’06年、BoAさんへの提供曲「七色の明日~brand new beat」のヒットを経験され、そこから数多くの有名アーティストに、途切れることなく楽曲を提供され続けている。
「生き馬の目を抜く」などと表現されるが、音楽家として流行への感度を求められる世界を、どうくぐり抜けているのだろうか。
なかなか他で聞けなさそうなお話を、この機会に伺ってみることにした。

ーーデビューの翌年に紅白の歌唱曲に選ばれるって、すごいことですよね。キャリアのごく初期にそういうご経験をされているという。

あの時はなんだろう、野球でバッターが打席に立てばホームランを打つみたいな(笑)、そんな状態でしたね。
それでも前の年には、自分の中に実力が付いてきているという手応えがあったので、たまたまその時代が求めているものと自分の持ち物が揃っていた、ということなんだと思います。

ーーメジャー・デビューされた時にはもうご自身の準備ができていたということですね。それにしても2年目で紅白で歌われるなんて、すごいことです。

結構そういうことがあると、「これこそ俺の実力だ!」ってなってしまいがちですし、実際ちょっとはそう思った瞬間もありましたが(笑)、でもやっぱりそれは甘い考えで、自分の力によるのは当たり前として、周囲のバックアップだったり、こういう言い方は好きではないんですが、運というのも確かにあると思うんですよね。

例えばシングルの表題を取れるかカップリングになるのか、MVは用意されるのかなど…これはクライアントさんの意向やアーティストをどう売り出すかによる部分が大きくて、自分の力ではどうにもならないことで。
だから幸運というのはたまたまではあるんだけど、その確率を増やすためには努力、そして具体的に考えてやっていくことが大事だとは思うんですけどね。

ーーなかなか、努力を重ねるほど運を受け入れることって難しそうですよね。

自分の中で注意しなきゃと思ってるのが、やっぱりプロの音楽家というのは、作品を書いて評価されること=自分の評価なんですよね。言い訳が効かないんです。結構きついんだけれど、そこを受け入れるのがプロだと思っていて。

そういうことに気付いたのも、やはりBoAさんの「七色の〜」の時でしたね。
彼女の今までの曲と違ってそこまでコアなR&B色を強く打ち出さず、ジャズの有名スタンダードで使われる手法を加え、ジャネット・ジャクソン的な比較的ポップなR&B調の明るさで聴きやすくして、日本のポップスの構成を取り入れて…と、僕なりに色々と工夫したんですよね。
また、アレンジャーさんもとても優秀な方で、うまくHIP HOPのリズムを基調にしたトラックに仕上げてくださいました。
そんな感じですごく自信のある曲に仕上がって、聴いた人みんなが良い曲だと言ってくれると思ってたんです。

ところが、コアなファンの方々の「これはBoAさんらしくない」という辛辣なコメントもちらほら見かけて。まあ、某巨大掲示板でリサーチしていたのが間違いだったのかもしれない(笑)。
そういうのって、ファンの方がアーティストのどこを好きかにもよるんですよね。今までの彼女のイメージやR&Bが好きな方もいれば、全然違う方向から好きな方もいる。
そう考えた時に、当たり前だけど「みんなが良いと思うわけじゃない」ということに気付きまして。

ーー随分とキャリアの初期に、身もふたもない現実に気付いたんですね…。

いや、逆に早めに気付けて良かったと思いますよ(笑)。
「自分がいいと思ってる=みんなもそう思うはず」ではない。そこを受け入れて、人に委ねていく。とても難しいんですがそこをベースにして、だけど少しでも「いいな」と思ってくれる人を増やしていきたいとは思っています。
実際、「七色の~」は、セールス的にはちゃんと結果が出て、BoAさんの熱心なファンのみならず、音楽全般が好きな層にも親しまれ、BoAさんの魅力を引き出すことのできた、代表曲の一つになったと思っています。

ーーうーん、すごいなぁ。作品の評価に運や受け手の気持ちが絡むとなると、それを自分の評価として受け入れるのは本当に難しいことですよね。それをもう、野井さんは15年以上に渡り続けていらっしゃる。

私、思うのですが、自分で曲を作って表舞台に出ていくアーティストの方々と、裏方としてアーティストに曲を提供する音楽家の方々って、随分と様々な実感が違うんじゃないかと思うんです。
野井さんがさっきおっしゃっていた、「普遍的な音楽を作りたい」という気持ちを、アーティストの方は自分で表現できて、その評価が自分に返ってくる。それはどんな評価であれ納得しやすいと思うのですが、音楽家の方にはやっぱり、その時代に合った新しい曲を作って欲しいというオーダーが来るわけじゃないですか。
そこのバランスをどのように取っていらっしゃるのか、ジレンマが生じないものなのか、とても気になるところです。

うーん、ジレンマは本当にありますね。
例えばメロディですが、耳に残る良いメロディってあると思うんです。けれど既に誰かがやっているメロディは、どんなに良くても次に同じものを出してしまってはダメなわけで。
だから、本来ならロングトーンで行きたいところを、過去の楽曲との違いを出すために細かい動きを入れてみたりする。

もしこれが、結果的にわざわざ耳に残らないものを作るということになっているとしたら、僕はあまりいいことではないなと思っていて。
これは曲全体の構成でもそうで、音楽を作る方々は誰でも持ち合わせているジレンマだと思いますよ。
よく「『昔の音楽はよかった』というのは思い出補正だ」という話も聞きますが、僕はそこは現役で音楽を作っている人こそ、真摯に受け止めるべきところだと思っているんです。

特に裏方である音楽家は、難しいことをしてますよね。オファーを受ける立場としては、絶対になんでもできた方がいいんだけれど、同時にアーティスト性も求められてくるので。
だから自分のポリシーは絶対に忘れないで持ちつつ、その中で時代に合わせた表現をしていく、というバランスをいかに取れるかということですよね。

ーーいやぁ、とても難しいですね。野井さんの中で、「あまりこういう曲は作りたくないなぁ」ということはあるんでしょうか?

いや、それが僕としては全然ないんですよ。「好きじゃないものを作ってる」という感覚は持ったことがないんです。
よく音楽家を目指している人へのアドバイスとして、「好きじゃないものも作らないといけないんだぞ」と言われたりしますが、そうでもないよなぁ、と。
僕はわりとクラシックからアイドル曲、EDMまで、どんな音楽も同じ感覚で聴くんですよね。だから、自分はこのジャンルでいくぞ、逆にこういう仕事はやりたくないな、というのが無いんです。嫌な仕事をしたことがないというのは、この世界で恵まれているとも思いますけどね。
それよりも、自分にオーダーが入らなくなることの方が怖いです。役目が無くなってしまうと、何も表現ができなくなってしまうので。


●実は音楽がコンプレックスだった

ここまで伺ってみると、野井さんは本当に音楽家という職業に向いている方だと思う。
日々様々な音楽を工夫しながら作っていることを、「手編みの橋を渡る途中だ」とチャゲアスの歌詞で例えて下さる野井さん。そのモチベーションはどこから来るのか、尋ねてみることにした。

モチベーションですか。
うーん…僕は元々、音楽以外に興味の持てるものが無かったんですよね。大学時代は、サッカーやバスケにスキーもできてキャンプも嗜んで麻雀もやって、という多趣味な人に憧れたんですけどね(笑)。自分でやってみようとすると、元々興味がないので全然楽しめなかった。
そういう自分が、昔からずっと嫌だったんです。いわば、音楽しかない自分がコンプレックスだったというのかな。

ーーそんな! 音楽ができるだけで十分だと思うんですが。

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(大学時代、バンド活動を始めた頃の野井さん。この頃はディープ・パープルのコピーなどをやっていたそうです)

「なんでそう思うの?」とよく人からも言われたけれど、自分にとってはそれが本当に嫌だったんですよね。だからみんなと同じように、いわゆる普通の仕事をして、その中に趣味の一つとして音楽があって…という状態にいまだに憧れがあるんです。会社員をされている方って本当にすごいと心から思います。

ーー独立して成功すると、会社員をちょっと下に見たりする風潮ってありますよね。

それは思っても言ってもいけないことだと思いますよ。普通にできるというのは、すごいことなんですよね。
振り返ると音楽というのは自分の中で、もちろん一番好きなんだけれど、一番遠ざけていたものであり、そこで勝負したくないものだった。
でも、20代の頃に色々ありまして、もう音楽以外に道がないという状態になってしまった。もう最後の切り札というか、僕の中では音楽でダメならもう自分は後がない、そういう気持ちになって、それがいまだにあるんです。
だからここまで続けているのはモチベーションというより、これを辞めたら死ななきゃいけない、生きていけないという感じで(笑)。

ーーそうなのか…。もう、背水の陣という感じでしょうか。

いや、背水の陣と言ったら「あいつギリギリなの、大丈夫かな?」と変に心配されちゃうんで(笑)。そういう意味というより、生活がどうということでもなくて、今はあくまで心構えの面で、ですよね。

ーーうーん、よくわかります。それにしても面白いなぁ。野井さんって何か一つに決めたらグッと好きになるタイプですよね。私も同じなので、その感じがよくわかるんです。

途中までそこが自分の嫌なところで、学生時代は自虐的に生きてきちゃったんですけどね。
でも音楽しか無くなった時に、そこで「どうせ自分はダメなやつ」って思ったら、本当にダメになってしまうと気付いて。そこから、「ここがダメならこう変えよう」とか「こう伸ばそう」という風に切り替わりました。追い詰められてたんで、自虐をする余裕が無くなったんですよね(笑)。そうやって音楽が仕事になっていきました。

ーーまさに「ここを越えればもうすぐだ」という心境ですね。

そうなんです。それにもう一つ、これもまたコンプレックスの話になりますが、僕は結構体力はあるんだけど、昔から見た目の柔らかい印象で舐められる感じがありまして(笑)。それが自分の中の反骨心になってるかもしれないですね。
バラードを作るのも得意ですけど、バラード似合うよね、と言われると、それが善意であるとわかっていてもちょっとムッとするというか(笑)。俺はこれだけじゃないぞ、という反骨心が出て、激しいロックをやってみたりするんですよね。あ、でも今は大人なので、そんなことでムッとしたりは全然ないですよ(笑)

ーー見た目のイメージで固まりたくないという気持ちは、よくわかります(笑)。人って、見た目や外側の情報に捉われてしまいますよね。

大学時代に音楽サークルに入ってたんですが、音楽的には派閥があって。よくある話だと思うんですが、ロックの人、オシャレ系の人、ジャズの人、クラシックの人、という風に派閥に分かれて、みんな自分達が一番イケてるぞ!という感じで。
個々の人は好きだったのですが、僕はその空気がいつもなんだかなぁと思っていました。
それに、自分が見た目でオシャレ系の人になんとなく分類されていくのも嫌だった(笑)。でも、それをやれと言われたら、その時はサラッとオシャレにやりたいという(笑)。

そういうところでチャゲアスが好きというのもあるかもしれません。チャゲアスって、いわゆる渋谷系のようにオシャレを前面に出してるわけではないじゃないですか。でも聴いてみると、実はオシャレな要素がしっかり入っている。
そういう、何かを前面に出していなくても結果的にそう感じさせる、というのがすごくカッコいいし、自分もそうでありたいなと思います。

ーーもはや美学や美意識の領域ですよね。野井さんとお話ししていると、すごく平和主義でいらっしゃる感じがします。

平和主義ですね。基本的に人と争うのは大嫌いなのですが、何か向こうからやってきたら、いざとなったらガチンコでいってやるぞ、という気概はあります(笑)。

ーー(笑)。


●音楽業界、下の世代、これからの自分

野井さんは今年で46歳。「僕はスタートが遅くて成長がゆっくりな分、この歳にして伸び代があるんです」と笑う野井さんに、これからのキャリアについて伺ってみると、なんと成長の頂点を60歳に置いてらっしゃるという(!)。
後ろを振り返れば、生まれた時からYouTubeに、今ではサブスクも当たり前の世代。下からの突き上げを受けながら、これからのご自身をどう見据えていらっしゃるのだろうか。

今の方々って、本当に自由で羨ましいですよね。僕なんかは中学時代にずっと一人ひっそりフュージョンを聴いていたタイプだったから、もしかすると今の時代に生まれたらユーチューバーになってると思いますよ。
昔は「好き」を表現する場所が無くて、周りに話しても引かれるだけだったけど、今はそれが個性という強みになりますからね。

ーー人と同じであることでなく、違うことが褒められる理由になっていますよね。そういう下の世代の方々は、インプットの仕方も昔とは全く違う。この世代の方々と一緒に仕事をしていくことについて、野井さんはどう思ってらっしゃいますか?

いや、もう正直、脅威でしかないですよ(笑)。SNSでつながってる若い方達を見てると、えっ、学生や20代でこんなことやるの?!という感じで。
もちろんちゃんと聴くと、どのソフトのどういう機能を使っているのかなどは見えてくるんですが、まずそういうものを直感的に、それもお勉強してではなく自然と遊びの延長のように使いこなしているところが本当にすごいと思います。

ーー旧世代は、かなり苦労して手に入れてきたものですからね。

そうなんです。でも、身に付くかどうかという視点で見ると、やっぱり何度も繰り返して回数を重ねてきた方が、同じことをやっていても強い部分があると思う。

僕は昆虫が好きで、昔に図鑑で読んだのですが、カブトムシっていい栄養を取って早く成虫になった個体よりも、あまりいい栄養を取らずに何年もかけて成長した個体の方が、立派で大きなカブトムシになるらしいんですね。(注:外国産のカブトムシは幼虫のまま何年か過ごすものも多い。)
今でもその説が科学的に正しいのかは分からないですが、自分はそこを信じて、逆にこれからの時代はその積み重ねてきた経験が強みになると思ってやっていきたいです。

ーー同じ業界が、同じ世代だけで埋め尽くされるなんてことはあり得ないですからね。どの世代にも役割があるはずです。

本当にそうですね。僕はあまり年齢や世代というのは気にしていなくて、そこよりもむしろ、同じ2021年に生きている状況は一緒だなと思うんですね。同じ条件の中で、世代を気にせずフラットにやっていきたい。

今はだいぶ音楽の、作る環境も表現の場も裾野が広がっていますが、おそらく本当の意味でプロになることの難しさというのは、昔も今も本質的には変わってないと思うんです。
「オワコン」と言われるものもそうですよね。テレビや紙のコンテンツとか、裾野が広がった分、むしろ敷居が高くなってるんじゃないかとすら思えます。
きちんと計算して良いものを作れる人達が集まってますからね。引き下げるのは簡単だけれど、価値を見誤らない方がいいかなとは常々思っていて。

だからこそ、今の世の中で意外と重宝されるのは、経験をどれだけ重ねているかということだったりするんじゃないかと。色々と重ねた分だけ、ここで天狗になっちゃいけないとか、こういうことしたら失敗するぞとか、ここが勝負時だとか、そういうことがわかっているのは僕らの世代の強みになると思うんですよね。

だから、若い人はあまり年配を舐めちゃいけないぞと(笑)。逆に年配の方も若い人を舐めちゃいけない、想像を遥かに超えて何でもできますから。
どちらも尊重し合いながら、自分のできることを一生懸命やるのが大事だと思いますね。

ーー野井さんとお話ししていると、地に足をつけることの大切さ、近しい人とのコミュニケーションを大事にすることや、経験したことをベースに積み上げていくことの大事さをいつも実感します。

特に最近、コロナの時代に入った今に大切なことですよね。
僕が若い頃は、さっき話したように自虐的なところがあったので、自分を持っておらずに色々な情報に流されがちだったんですよね。それは結果的にあまり良くなかったんです。
今は昔よりも比較にならないくらいたくさんの情報が溢れているので、ちゃんと自分を持っていないとおかしな方向に行ってしまう。
だから、新しいとか古いという言葉だったり、様々な情報に流されず、ちゃんと自分を持って、状況にあった選択ができるという力は大事で、それを身につけていたいなと自分でも思います。

今の世の中はいろんな格言のような言葉で溢れていますが、本当は自分自身が今まで生きてきた中で感じたこと、体験を通して得たもの方が、ずっと真実味があって未来につながるものですから、僕含め皆さん、もっと自分の感性に自信を持って生きていっていいんじゃないかと思いますね。


●クリエイターとして、言葉をどう扱うか

野井さんがご自身のブログSNSで積極的に発信され始めたのは、2年前のことになる。
プロになるまでの道のりに始まり、話題の楽曲や、どのように作品を仕上げるかということについてまで、これまではスクールに通わなければ得られなかったような情報を、惜しげもなく書いて下さっている。
クリエイターが言葉を使って発信していくことについて、どのような想いを持ってらっしゃるのかを尋ねてみた。

ーークリエイティブをお仕事にされている方って、自身の手の内を見せたらダメというような風潮がずっと続いてきた中で、勇気を持って発信される方も増えていますし、その一人として野井さんが発信されている情報というのは、本当に世の中のためになる情報だなと思うんです。
そこから学べたり、知りたかったことを知れて幸せを感じる、という人も多いと思うんですよね。

ありがとうございます。「有益な情報を発信している」というとカッコいいのですが、「こういう作曲家が存在することを知ってほしい」という気持ちもかなりあります。
言葉を使って発信していくことってなかなか難しくて、自分が特に気を付けてるのは、発信が主にならないようにしていくことで。教える専門の方とかはまた状況が違うと思うのですが、やっぱり音楽家としては、「この曲いいよね」という作品への評価が先でなければというのはありますね。

言葉って、自分を大きく見せることもできれば、人を落とすことだって簡単にできるんです。
例えば音楽に限らずですが、インフルエンサーと呼ばれるような方が自分の好きだったり得意だったりするジャンルを、言葉を使って流行らせたり、逆にライバルを不利な状況にさせたりというのは、簡単にできてしまうんじゃないかと思うんですよね。

でもそれって、頭の良い方法かもしれないけれどフェアじゃないな、言葉が先にあるのはちょっとずるいな、と思うところもありまして。やっぱり作るものが先で、その後に言葉だと僕は思っていて。難しいですが、気をつけたいところですよね。

でもまぁ、「今の時代のこんなところが良くない!」と言ってるだけではどうにもならないので(笑)、そういう時代ならその条件の中でくぐり抜けていかないと。時代に合わせながらも、自分のポリシーをしっかり出していくことが大切ですよね。

ーー野井さんのご発信って、日々の実感がこもっていて結構楽しみにされてる方が多いんじゃないかと思うんですよね。

そうでしょうか、ありがとうございます。いつも20代の駆け出し作曲家が言ってるようなことばっかりで、特に同業の方には「この人大丈夫なの?」って思われてそうですけど(笑)。
SNSではマイナスなことより、「もっとここが出来るようになりたい」とか前向きなものを発信していきたいんですよね。結果若手のような発言ばかりですが(笑)、あとは音楽を聴いて感じて頂きたいと思うので…。

そういえば、最近Twitterとかを見ていると、チャゲアスやASKAさんのファンの方々の表現意欲がすごく高まっていますよね。昔やってた音楽をもう一度やってみようとか、ピアノで表現してみようとか。そうやって、ただ応援するだけでなくやってみようという熱が上がってきてるのは、すごくいいですよね。ファン同士が横のつながりを作り、盛り上げようとしているのが、とてもいいことだと思います。

ーー本当にそうですよね。私もTwitterでファンの方々とお知り合いになってから2年経ちますが、その気運を感じています。野井さんとのご縁もSNSから生まれましたからね。

そうですよね。ちょうど音楽家としてプラスαが欲しいなと考えていたところだったので、自分のことを見返す機会になるインタビューや対談は、ちょうどいいきっかけだったなと思います。
昨年、自分としては初挑戦のサブスクで楽曲を公開したり、インスタグラムなども始めてみたのですが、自分で動いていくと今まで考えていたことの、点であったものが線でつながるようになってきつつあって。コロナの世の中になって、それが加速している実感があるんですよね。

ーー野井さんが自己発信をされていなければ、対談やインタビューにはつながりませんでした。

本当に、こういうご縁が生まれたのも、根底に「チャゲアスが好き」という想いがお互いにあるからですよね。SNSでつながってるファンの方々の間にも、そういう想いがあるのがわかる。
この愛があるからこそ、心に残るものが生まれるんですよね。形だけ作ることはわりと簡単にできるけれど、愛がなければちゃんとしたものは作れないですから。


言葉でなく行いを大事に、身近な人と仲良く、ユーモアと感謝を忘れず、どんなスタイルの音楽も受け入れてアーティストの魅力を引き出し、愛を胸に秘めて作品を作る。
まるでこれはもはや、「作曲界の藤波辰爾」
と言っていいのではなかろうか?

そんなことを、穏やかな笑顔でおっしゃった「いざとなったらガチンコでいってやるぞ」のご発言を思い出しながら、想像してしまう私なのであった。

<完>

ASKAの音楽を愛する人たちへのインタビュー連載《点光源》。
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