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砂漠のど真ん中でソウルをセットした時のこと。

私は、夜明け前が好きだ。



20世紀と21世紀の継ぎ目にあたるころ、長期休暇があるたびに中国に行っていた。
当時大学生だった私。
入り口は語学留学だったが、そのうちできるだけ長くここに居たいと思うようになり、バイトを増やして授業の合間に昼も夜も働き、貯めたお金で中国へ行った。
一人で行くこともあり、ゼミや他大学の中国専攻仲間と行くこともあった。

一番西に行ったのは、敦煌だろうか。

この時は一人だった。
身体が座席から跳ね上がるような危なっかしいセスナ機で降り立ったのは、砂漠の街。
隣の国にこんな砂漠が、と、世界地図を思い浮かべながら不思議な気持ちになった。

羽衣をまとった天女の石像が軽やかに踊り、その周りを囲むようにして街が作られている。
少し足を延ばすと、そこはもう、サラサラとした砂地であった。

ミンシャーシャン(鳴沙山)という山がある。
風に吹かれた砂が、サラサラと鳴るそうである。
私はその音を聴いたことがない。

砂漠の山は、風によって形を変える。
昨日歩いたその場所は、翌朝にはもう消えている。

限りないもの、流れゆくもの。


日没は遅く、21時近かったと思う。
夕日に照らされた赤い砂を見ながら一人、ぬるいビールを飲んだ。
誰も話し相手はおらず、プラスチック皿にぎゅうぎゅうに詰め込まれたテイクアウトの惣菜は、一人で食べるにしては多かった。

当時まだチャゲアスを好きだったなら、イヤフォンから流すBGMは間違いなく「RED HILL」だっただろう。
流れない風の赤い丘。
一人の晩酌は寂しかったけれど、それでも心地よかったことをよく覚えている。

すっかり闇に包まれた旅館の玄関先のコンクリートに、柄にもなく寝転んだ。
昼間は40度に上がるこの街の、夜風は爽やかで気持ちがいい。

壮大な星空の下、大きく息を吸って吐き出す。
自分の息の音と、胸のぎこちない動きばかりが気になって、やめた。

この小さな街を離れたのは、誰も目を覚ましていないような夜明け前だった。

鉄道駅へと向かうバスはとても静かで。
窓外の、昼間は爽やかな景色だったコットン畑が、暗闇に包まれ凪いだ風にしんとしている。

ちょっと走ると、すぐに街は途切れた。
その後はただただ360度の地平線。
丸みを帯びた、まっすぐな地平線。

冗談でなく、ここに一人で放り出されたら死ぬと思った。
こんなところで誰にも気づかれず死ぬのは嫌だ。
遠い昔に父と一緒に見た、悪者が砂漠の真ん中に置いていかれるハードボイルド映画をぼんやりと思い出す。
地面と空とを分ける、黒い境目をただ見つめている。


そのうちに、地平線の一点が仄白くなってきた。

夜明けだ。

その速度、そして塗り替えられていく地平の色。

今この時。
太陽の頭が地平から突き出るまでにこの曲を聴いておこうと、バックパックの中のMDウォークマンを探る。
ごったな荷物に絡みついたイヤフォンを引っ張り出して、耳に押し込んだ。

冷たい朝に求めるものは
知らぬ顔してくすぐってゆく光と水
乾ききったその喉元は
開けた窓の風を閉じ込める

乱れてる呼吸はそのままに
広がりすぎる予感のままに
傾き崩れて目を閉じ
本当に目覚めたい場所はつまり
そう この町を出ることにする


TOKYO No.1 SOUL SET 「夜明け前」
作詞:BIKKE 歌詞はこちらより引用。


どこにも行けず、内に籠もったようなループ音が頭を支配する。
落ち着いたところに、孤独な弦の音が響く、というか絡む。

思えばあの頃の私は、こういう曲ばかりを好んで聴いていたっけな。
寝静まった街。
光が当たる前の世界。
抜け出せない私。
あの頃の私に、ぴったりの曲だ。
聴けばすぐにあの頃の空気を吸わせてくれるような曲。

思い返せばどっちに足を踏み出したらいいかもわからず、自分の中を泳いでいくような日々だった。

だからこそ、あんな美しい夜明けが見れたのかもしれない。
日々昇る太陽は同じだけれど、私の心の薄暗さが、あの日の夜明けを美しく見せてくれたのかもしれない。

駅にバスが着いた頃には朝日は眩しく昇っていた。
作り笑顔で運転手に会釈し、バックパックをしっかりと背負い、東へ向かう鉄道へと乗り換える。

ああ、しっかりソウルをセットできた気分だ。
さあこれから、都会へと向かうぞ。

そうやって勇ましく乗り込んだ列車が、この後山崩れで立ち往生し、3日間も車内に閉じ込められることになるとは…
この時の私はつゆ知らずだったのだけど。

備忘録のようなエッセイを読んで頂きありがとうございます。文中に出てくる事象は全くの記憶によるものなので、間違いがありましたらすみません。
敦煌、きっと今は華やかな都会。これは古い記憶です。

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