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イスラム世界探訪記・パキスタン篇⑧

26日(フンザ→ギルギット→ピンディ行きの車中)

 移動に費やす日になった。こんな時に腹を下していると最悪なのだが、幸いなことに下痢は完治していた。しかし、乾燥したフンザの空気にさらされて、ひびだらけ、逆剥けだらけになった唇が痛々しい。

 出発は早い。朝6時だ。宿の前にやって来たミニバスに乗り込む。ミニバスは、町を30分もかけて行ったり来たりし乗客を集めてから、ようやく目的地へ向かって走り出した。

   3日前にフンザへ来た道を逆行し、2時間半ほどでギルギットに到着。ギルギットからラワールピンディーへ戻り、そこからペシャワールという都市に行きたかった。日本への帰国便は29日の午前3時40分発だ。そこから逆算すれば、ペシャワールがこの旅最後の目的地になる。

 ギルギットを12時に発車する、ラワールピンディー行きのバスを待つ間、通りすがりの食堂でチャイとチャパティ(薄いナンみたいなものです)の昼食を取りつつ時間を潰していると、いつものように、パキスタン人が話しかけて来た。若者で「18~26歳の日本人の女性を紹介してくれ」「俺はトレッキングガイドだ。お前はエディターなんだろ。俺のことを新聞に書け」など、言いたい放題の要望をぶつけられる時間を過ごした。とはいえ不快ではない。楽しい時間潰しだ。

 バスに乗ると、私の後ろにショットガンを抱えた警察官が座った。心強いのと不安なのと、半々である。屋根の上にバイクを数台くくりつけ、バスは発車した。

ピンディーへ
バスは行く

 数日前にフンザへ向かったルートを、そのまま引き返したと思う。遠くに山脈を、近くに岸壁や岩肌を見ながら走る。バスの近くは植物もろくに生えていない不毛な光景だが、遠くに目を転じれば、雲に霞んだ山々が連なる雄大な景色だ。

 休憩場所ではカレーを食べ、「Mecca Cola(メッカコーラ)」という名前のコーラを飲んだ。コーラというより、甘いサイダーのような味がする。後で知ったことだが、このメッカコーラ、政治色が非常に強い「反米コーラ」らしい。なんでも、アメリカの象徴である「コカコーラ」は不買運動の対象で、その代替品として作られたのがメッカコーラであり、利益の一部はパレスチナ人救済のために寄付されるという(これはネット情報です)。

 さて、バスは夜通し走るから、夜の休憩もある。これが楽しみだった。何しろ星が綺麗なのだ。フンザと、その行き帰りの道中で見た星の美しさは、何にも代えがたい素晴らしいものだった。

 見上げれば綺麗な星空。路上に視線を落とせば、服の裾をまくって立ちションならぬ座りションをするパキスタンの男たち。見事なコントラストである。時に、道端にマットを敷いてひざまずき、アラーに祈る人々の姿が重なる。

 このバスの乗客で、外国人は私だけのようだった。旅先での長距離移動は好きだ。体調さえ悪くなければ苦にならない。移動は旅そのものである。


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