イスラム世界探訪記・パキスタン篇④
05年9月22日(サッカル→ラワールピンディー→フンザ行きの車中)
朝、時間通りにジュネージョが迎えに来てくれた。昨夜のやりとりはすんだことだと思い、親しみを込めて話すように努めたが、ジュネージョの反応は鈍い。サッカル空港に着くと、彼は私をPIA(パキスタン国際航空)のオフィスに誘った。そして、別のスタッフにこう告げる。「この男が金を払ってくれないんだ」。
ため息が出た。朝から昨日の続きである。どんな展開になるのやらと思っていると、ジュネージョから話を聞いたスタッフは私に「10ドル払わなきゃダメだぜ」と言う。
値上がりしてるし。
さすがに腹が立った。私はつたない英語で、そもそも無料だと約束されたこと、それなのに金を請求されたこと、チップ程度の金額は渡したこと―などを伝えた。話しているうちに、会社の仲間まで巻き込んだやり方に、ますます苛立ちが募った。
しかし、私がそのスタッフと話している間の、じっと横で立ち尽くしているジュネージョの姿が、メンタルに堪えてもくる。
おそらく彼は彼なりに、わだかまった一晩を送ったのだろう。夜のドライブでは、楽しい時間を過ごさせてくれたのに。そう思うと、今度は腹立ちが悲しみに変わってしまった。結局、私はここで「200Rs(約400円)払った。(ジュネージョは)不服そうだった」(日記より)。
交渉は終わった。残念な別れだ。苛立ちと、もやもやを抱えて、ラワールピンディー行きの飛行機に乗る手続きをした。ピンディーは、首都イスラマバードの南10㎞にある都市で、空港の名も「イスラマバード国際空港」。実質、首都行きと変わらない。
そんな土地へと飛ぶ飛行機だからか、待合室には、イスラム式ではなく、西洋式の格好をした人も多かった。二度の停電をやりすごし、搭乗。サッカルにお別れを告げる。やたらと揺れる飛行機に乗ると、予定よりも随分早く着陸した。そこはラワールピンディーではなく、ラホールだった。
予想外の展開に動転する。飛行機を間違えてしまったのかと思い、慌てて周囲の人に話を聞くと、予定通りのトランジットだとわかり、胸を撫で下ろす。われながら、そんなことも知らずによく外国で飛行機に乗るものだ。
どうにかイスラマバード国際空港、すなわちラワールピンディーに到着した私がまずしたことは、日本への帰国便のリコンファームだった。近年は必要ないのかもしれないが、個人が格安チケットで国際便を取る場合、必ず行う必要があった時代だ。ダブルブッキングで帰れなくなったら、たまったものではない。パキスタンの旅ではリコンファームを電話一本で済ませることができて、安堵した。
●チェック、役に立たず
その後は「サダルバザール」と呼ばれるバザールへ向かった。タクシーで200Rs(約400円)。観光というよりも、トラベラーズチェックの両替や、電子メールのチェックが主な目的である。大きな街で済ませておきたい事務的な作業だ。
銀行を探し歩いていると、ふらりと近寄って来た若いパキスタン人の兄さんが勝手に道案内を始めた。引きずられるように4~5軒の銀行を回り、がっくりと肩を落とした。私が持ってきたMasterのトラベラーズチェックに対応できるのは、この辺りではイスラマバードにある銀行ひとつのみとのことである。
首都周辺でこれでは、今後も期待できない。チェックの両替を諦め、クレジットカード(VISA)を使うことにした。現地通貨で17,000Rsをキャッシングする。あまり大きな現金を持ちたくはなかったが、防犯上のリスクと、今後トラベラーズチェックをうまく両替できない可能性のリスクを天秤に掛け、一気に大金をキャッシングしたのだ。つまり、もうチェックを使うことは諦めた。
用を済ますと、案内を買って出た兄さんが、飯を食うから金をくれと言い、手のひらを出した。チップの感覚で100Rsを渡したが、その手は引っ込まない。それだけだよと伝えると「サ・ン・キ・ウ」と嘲るように言い捨てて去った。
気分悪い。
どうも昨夜からこっち、人とのコミュニケーションがうまくいっていない。パキスタンと相性が悪いのだろうかと弱気の虫が目を覚ます。この後は、人との交流も自分の気分もぐっと上向くことになるのだが、そんなことはこの時点で知るよしもない。
気を取り直してピンディーを歩いた。空港近くは綺麗に整備された都市だが、街中を歩けば活気ある庶民の暮らしぶりに変わるのが特徴的だ。整備された都市空間と、昔ながらの下町が混在しているイメージ。その濃淡が面白い。
昼飯は、通りすがりの店で、カレー味の芋を練り込んで揚げたナンと、ハンバーグ状にこねて焼いた芋などを食べた。腹を満たしてから、バス(5Rs)とスズキ(10Rs)を乗り継いで、巨大なバスターミナル「ピールワダイ」へ向かう。こうした移動が楽しい。ちなみに「スズキ」は、日本の自動車メーカーSUZUKIの軽トラを使った、相乗りで街を走る庶民の足だ。日本語のスズキが、そのまま交通手段のひとつを表す言葉になっている。
到着したピールワダイは、想像していたよりも遥かに広大なバスターミナルだった。屋外のだだっ広い広場に何十台ものバスやトラックが停まり、水や食べ物を売る露店が周囲を囲んでいる。下手にうろつくと迷子になりそうだ。ここに事務所を構える「シルクルート」というバス会社で、17時30分発の夜行バスのチケットを買った。行き先は、パキスタン北西部の有名な観光地、フンザだ。
ぼやっとバスの出発時刻を待っていると、流暢に英語を操る現地の人が「フンザだろ。俺のジープで行かないか」と声をかけて来た。声の掛け方や風貌から、旅人センサーが発動し、丁寧に辞退させてもらった。声かけには積極的に応じるつもりの旅であったが、少々心が弱っていたからか、男の雰囲気によほど怪しさが先立っていたのか、ここでは断ることに迷いはなかった。
うとうとと船をこぐ。やがて私の乗るバスが来て、18時ごろに出発した。非常に大きなバスで、ちょいぼろい。どれくらいかといえば、タイの長距離バスよりはだいぶ悪く、インドやラオスよりはマシというレベルである。
日本人の乗客は私だけだった。外国人ツーリスト自体、私ひとりのようだ。すし詰めでなかったのがありがたい。私の左前に座ったパキスタン人の親子の服装が目を引いた。父親は伝統的なガラベイヤだが、息子はジーンズに赤い半袖Tシャツを着たヤンキー風兄ちゃんだ。世代だなあと思う。
バスは荒れた道を行く。夜中に、マンスラーという場所で最初の休憩を取った。ここで、同じバスに乗っていたカーンという名の青年と言葉を交わした。青い目に茶色がかった髪。出身はフンザで、今はラワールピンディーでコックをしているという。このカーンと話せたおかげで、気分が浮上していくことになる。揺れるバスの振動も心地良く、眠った。
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