見出し画像

イスラム世界探訪記・パキスタン篇⑩

28日(ペシャワールとトライバルエリア)

 長い1日になった。帰国便が明日29日の朝3時台発のため、実質的にパキスタン最後の日でもある。結論から言えば、目当てにしていた「銃の街・ダラ」には辿り着けなかったのだが、充実した、満足度の高い日になった。

 朝早くチェックアウトしたホテルでバックパックを預かってもらい、軽装で出かけた。路上に出している店で、レバーとトマトを焼いた香ばしい料理に、ナンが添えられた朝食をいただく。食後に路上で売っていたジュースを買おうとすると、複数の人たちが寄ってきて、何やら注意を払ってくれていた。どうやら、適正以上の金額を取られないように見守っていてくれたらしい。ありがたい話である。

 腹を満たした後は、リキシャを飛ばして西へ。目的地は、パキスタンとアフガニスタンに挟まれたトライバルエリアだが、まずはその手前に広がる「ガルハナバザール」へ向かった。ガイドブックには「スマグラマーケット」という呼び名で紹介されていたが、現地ではガルハナバザールの方が通りが良い。こうしたことはよく体験する。

 道はかろうじて舗装されているが、排気ガスが酷くて呼吸をするのが難儀だった。広がる農園を左手に見ながら進み、バザールの手前でリキシャワラーからチケットを買った。ここから先は、通行料が必要らしい。

チケット、売ります

 30分ほどで到着したガルハナバザールは、予想していたものと大分違っていた。トライバルエリアのすぐ手前にあるバザールだから、いかがわしさや、きな臭さがあるかと思っていたが、「すごく綺麗」というのが第一印象だ。洒落た食器を集めた専門店、香水を売る店、自転車屋など、バラエティーに富んでいるのはどこのバザールも同じだが、珍しく清潔感がある。昨日訪れた街中のハイザルバザールよりも、よほど綺麗だった。

 そしてこのガルハナバザール、とにかく巨大なのだ。百メートルを超える長さの通りが何本もあり、その全てに店が密集している。路面店が軒を連ねているだけでなく、二階や三階にも店舗を入れた建物が沢山あった。屋外にテントを張った露店も多い。

 よく見れば綺麗な店ばかりでもなく、暗くて湿った匂いのする一画もあり、そうした場所ではなぜか、ラジオと電卓、飯を売っているのが目についた。売り手も買い手も男ばかりで、その顔つきは、明らかにアフガン系が大半を占めている。ここは、パキスタンよりもアフガニスタンの色が強い区域なのだとあらためて思う。

 しかし、そんな彼らの表情は、これまでのどの街よりも柔和だった。人懐こい笑顔で次々にお茶に誘われた。飲み終わる頃には人だかりで、写真を撮れ撮れとポーズをつけてくる。撮影して画像を見せれば大喜びだ。スマホもなかったこの頃、写真を撮る機会が今よりもグッと少なかったからだろうか。

ぶら下がった肉がセクシー
バナナの形にもクセがある
こちらはブドウ売り
なんだろう。果物だろうけど

 このバザールでは、パキスタンで初めて「ハシシはいらんか?」とも声を掛けられた。大麻の一種である。マーケットのどこかで取り扱っているのだろう。いらんと答えると、珍しく捨て台詞を吐かれた。ウルドゥー語だから全くわからないが、なんとなく「男らしくない奴め」と言われた気がする。悪口って、なんとなく伝わるものなのだ。

 まあ、かつてインドを旅したときは、連日のように「ハッパ? ハシシ? ミルダケ。ミルダケタダ」と耳元で片言の日本語を囁かれた。それを思うとパキスタンは上品である。

   ところで、商売をしている人々の中には、手伝いをしている子どもの姿もよく目についた。テントの露店を見物していたら、そんな子のひとりに「ルック!」と呼び掛けられた。少年が見せたかったのは、指で摘んでいる紐だ。紐の先には、生きた蜂が結びつけられている。すげえことするなと感嘆した。おもちゃ代わりにして遊んでいるのだろう。流行っているのか、この子だけの趣味なのかはわからない。

   小学生の時に、マッチ箱に蜂の死骸を入れて標本もどきを作り、母親に「危ない」「やめろ」「生き返ったらどうする」「捨てなさい」と説教されたことのある私は、この少年に親しみを感じて、しばらく立ち話に興じた。

蜂は元気にぶんぶんしていた

   さて、バザールを見物しながらさらに西へ歩く。すると、笑顔の警察官に「ストップ」と止められた。検問所だった。この先は正真正銘のトライバルエリアで「パーミット(許可証)がないと行けないよ」と言う。銃の街ダラはこの先だ。ここで帰るわけにはいかない。ヘラヘラ笑って「オーケーオーケーノープロブレム」などと言いつつすり抜けようとしたが、どうにもならない。気づけば5~6人の警察官に囲まれて、談笑することになった。

仕事はちゃんとしている

 ノリと勢いで突破するのは無理と見て、一旦は引き下がったが、諦めきれない。検問が見えないところまで引き返し、バスやタクシーを止める作戦に出た。バスは、目の前でガンガン検問を通過していたからだ。私が「乗っちゃえば良いじゃん」と考えたのも無理のないことだろう。

 ところが、バスやタクシーを呼び止めて「トライバル」「ダラ」と告げると「NO」の答えが返される。あるいは「検問へ行ってポリスに話せ」だ。

 もちろん、「そりゃあそうだろう」なのだが……。諦めかけていると、見苦しい観光客を憐れんだのか、子どもたちが数人駆け寄って来て、タクシーに交渉を始めてくれた。なんてありがたい。申し訳ない。しかし、なかなかうまくはいかない。

ワイシャツ売りの少年たち

 どのくらいの時間、そんなトライを続けていただろうか。バスからひとりの若者が降りて来て、英語で話しかけて来た。事情を伝えると若者は止まっていたタクシーの運転手と話し、戻って来る。「パーミットを取るため、新市街へ戻るように話しておいたよ」と言う。

 これまた、ありがたい。ありがたいが、きっとそれでは間に合わないと思った。いつまでも素直に引き下がらなかったのは、その時持っていたガイドブックに、パーミットを取るには役所の手続きで2日間かかると書いてあったからだ。

 旅程を考えると、それでは間に合わない。先に手続きをしておけば良かったわけだが、前もってガイドブックに目を通していなかったのだ。我ながら阿呆である。

 それでも、乗りかかった船で行くしかないだろうと、新市街のサダルバザールの近くにある許可証の発行所へ向かった。時間に追われるのはなんと辛いことなのか。そんな思いを抱えつつ到着すると、なんとパーミットは、ものの5分で取れてしまった。代金は120Rs(約240円)だった。

 いったい、あのガイドブックの記載はなんだったのだろう。日本で手に入るパキスタンのガイドブックは少なく、持っていた物は少々古い物だったから、情報が変わっていても不思議はないのだが……。ともかく、やってみるもんだと思い、ついにトライバルエリアへ行けることになった。この28日分、続きます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?