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母のいない日(備忘録①)

先月、母が病にたおれた。

ある日曜の早朝6時半。
いつもならあと2時間くらい爆睡している私だが、なんだか胸騒ぎがして飛び起きた。

…予想は的中。
母が、床にうずくまり動けなくなっていた。「頭が痛い」と声を振り絞るように伝えてきた。嘔気もひどく、このままじゃ危ないと察した。
「病院へ行こ!」と言い私は適当に着替えを済ませ、準備をした。
母は嘔気が収まらず、いつの間にかトイレにいた。
この様子では私が病院へ連れて行くことは不可能だと感じ、気づいたら救急車を呼んでいた。ここまでの判断が早かった自分を褒めたい。

あっという間に救急車と救急隊の方が来てくださり、母は病院の時間外救急へと搬送された。
すぐにCTを撮り、出された診断はくも膜下出血だった。
「今から緊急手術になります。他の家族の方も呼んでください」
先生は私にそう言ったので、家でひとり留守番をしていた弟を呼び出した。

「3分の1は亡くなる。3分の1は麻痺や後遺症が残ってしまう。3分の1は社会復帰ができる。割合で言えばこうだ。」
先生はそう切り出し、手術、病気のこと、たくさん説明された。
途中、耐えられなくなり思わず涙が出てきてしまった。最悪の状況を想像し、途方に暮れそうだった。弟も衝撃で言葉を失っていた。
状況を受け入れられないまま、手術や入院に関しての大量の書類に署名をさせられた。

全身麻酔下で行われる、約5時間の大手術。
控室に案内された私と弟は、ただ祈ることしかできなかった。
時間は既に10時をまわっていた。
朝から何も口にしていない私と弟はとにかく腹ペコだった。
売店があったので適当にご飯物を買い、二人で食べた。

長いような短いような待機時間。
時間は流れるように経過し、看護師さんが控室へやってきた。

手術は無事に成功。

術後の管理や経過、その後の入院について、先生から説明があった。
手術が成功しても、その後2週間はまだ油断ができない状況が続くらしい。

術後、一度だけ母の顔を見ることができた。
見たことない母だった。こんなに弱った母の姿を見たのは初めてだった。
先生が、「お子さんたちの手を握ってごらん」と母へ呼びかけた。
僅かであったが、手を握ってくれた。この感覚は忘れることはないだろう。

私と弟は病院を後にした。
家に帰ると16時だった。
これから、母のいない二人暮らしが始まる。


_続く_


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