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「選択」2024年2月3日

新年、あけましておめでとうございます。
今年に入って初めてのnote更新です。


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昨年の10月から卒展終了までざっと振り返る


最後の更新が昨年の10月18日……約3ヶ月半が経ってしまった。
まずは、1月中旬の卒展終了まで、何をしていたのかについてざっと振り返る。

10月
・初週に2回目の卒制プレゼン。
・中旬にnote更新
・下旬は卒制の続きと、TABFで頒布するものを制作(1週間ほど漫画を描いていたけど全部ボツにした、つまり無駄な1週間)
・芸祭(行っただけ)。

11月
・卒制、TABF頒布物の続き。
・中旬に車校卒業(3月に入校した……)
・21日にbo enのリリパへ行く(クソ楽しかった)。
・下旬はTABF、一応関係者として都現美で色々できて楽しかった。
・28日にさいたま国際芸術祭2023を観に行く、国際展にしては規模が小さいが、目のディレクションはかなり面白かった。

12月
・1日に学校で開催される24卒最後の合説に行く(伏線)。
・5日に江東区運転免許試験場で免許取得。
・16日の卒制最終提出に向けて最後の大詰め、作品搬入したり文章詰めたり……後に詳しく記す。
・提出後は1週間をフルで使って作品をブラッシュアップ。
・そこからすぐに搬入期間へ、26日まで。
・年末は忘年会(全部二日酔い)。
・卒制で作品と合わせて提出する必要のある制作レポートのデザインと印刷。

年が明けるぞ!

1月:
・新年、印刷したものを実家でちまちま糸で綴じて6冊製本。
・4日から入構可能になり、8日までぶっ通しで搬入作業。
・9日から11日まで最後の卒制プレゼン。
・12日から15日まで卒展、一張羅で朝から晩まで在廊したり展示巡ったり。
・卒展後、17日まで解体など搬出作業。
・18日、友達に車を出してもらい、絵画の作品をとりあえず現在住んでいるところへ。

卒制、完!あとで詳しく書こう

最後の更新から約3ヶ月は、基本卒制に集中していた、というか、スケジュール的に集中せざるを得なかった。また、合わせて11下旬まではTABFも。

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卒展終了から現在に至るまで


卒制、卒展云々は、ひとまず1月18日で完全に終了した。そこから現在に至るまで、何をしていたのかについて振り返る。

1月19日-21日
卒展を経て、燃え尽きるどころかハイな状態になる(やってやるぜ!的な)。
・ずっと卒制が終わってからやろう思っていた音楽のアルバム制作(昨年の9月から放置)に取り掛かる。
・この期間で2曲デモを作る、1つは勢いで19日に歌詞まで終わらせる。エンディングテーマ的な曲で、歌詞を書きながら号泣した。今でも、この曲を世に出すことをモチベにしている。
・もう1つは、ボツにしようとしていた曲のリメイク、なかなか思い通りにいかずで落ち込んだが、最終的にいい感じの曲になった、歌詞はまだ。
・21日、現在住んでいるところに母親が来る。ほんのり就活のことについて仄めかされて焦り、昨年の12月1日に行った合説で話を聞いた企業が丁度募集していたので応募する。

1月22日-24日
・22日朝、応募した企業から、履歴書とポートフォリオで書類選考しますよとメールが来る。
・昨年作ったポートフォリオだと絶対に通らないと思い、ゼロからポートフォリオを作成(くそキツかった)。ボロボロになりながら、24日の16時頃、企業にメールで履歴書とポートフォリオを提出。
・30分後、企業から書類選考通過のメールが届く、そこから何度かやり取りを行い、翌日の11時から面接をすることになる。
・夜、クローゼットからリクルートスーツを引っ張り出す。白いシャツが無いと思っていたら、風で飛ばされて1階の部屋の庭に落ちていた(取りに行けない泣)。
・しょうがないので、ヨレヨレの白いシャツ(多分カジュアル寄りのヤツ)を上手く着こなしてそれっぽくする。

25日
11時、面接。担当者は1人で、丁度12月の合説に来ていた方だった。面接は約30分、7割の確立で通るかなと思った。
・12時ごろ、神谷町駅で下車。初めて麻布台ヒルズを訪れる。色んな人が行っていたオラファー・エリアソンの展示を観る。鑑賞料が1,500円で、それなりの規模なのかと思っていたら、すぐに終わって萎える。凄いっちゃ凄かったけど……
・14時、六本木でゼミの遠足と飲み会。遠足では、21_21 DESIGN SIGHTと、東京ミッドタウン・デザインハブ、そしてピラミテビルを訪れる。
・いつものことだが、21_21の展示は結構面白かった。ただ、今回の展示において『もじ イメージ Graphic 展』というタイトルをつけるのは適切なのか?と思った。確かに、各々のデザイナーの活動はバラバラであり、その共通項を挙げるのならば、タイトルの通り文字やイメージ、グラフィックだが、個人的には紹介されていた各々のデザイナーの表現が他と共通していないこと、そのアーティスト的なあり方こそが面白いと思い、そこを押し出してもいいのではないかと考えた。
・また、ピラミテビルは、4階の GALLERY SIGN-TOKYO で開催?というか展示されていた、昭和の大阪万博や東京五輪において、関係者のみに頒布されたデザインに関する資料がめちゃくちゃ面白かった。他にも、旧都庁舎や駒沢の陸上競技場、代々木競技場の資料もあり、最高だった。やっぱり、高度経済成長期に建てられたモノが好きなんだなと再確認した。その展示を見ていたら、集合時間を過ぎており、危うく置いていかれるところだった。
・飲み会は二次会も含めて、17時から22時半頃までだった。何を話したのかはよく覚えていないが、めちゃくちゃ喋った記憶がある。唯一覚えているのは、黒歴史を供養したことと、一人暮らしにおいて自分は何故か消耗品をあえて買わないことについて。個人的には涼しい顔をして帰ったが、チェイサーを一切飲まずにビールを5杯ぐらい早いペースで飲んでいた為、帰宅してから何回も吐いた。久々の飲酒で、酒の怖さを忘れていた!

1月26日-28日
・面接の結果が気になり過ぎて、気が気じゃなかった。
・それでも、引き続きアルバム制作を続ける。とりあえず一曲完成させようと思い、昨年の時点で既にボーカルを撮り終えてミックスとマスタリングがまだの楽曲を仕上げる。ミックスとマスタリングは本当に地味でつまらない作業で、やっていて辛い。しかも、上手くいかない。それでもとりあえず仕上げ、完成版として書き出したが、今聴くと音量バランスが悪い。あとでオートメーションをいじろう。
・28日に住んでいるところに弟が来て、少し話した。その結果、重音テトSVを買おうという結論になり、買った。ただ、重音テトSV単体で購入したので、DAWとの接続は出来ず……それで少し萎えたが、使ってみると案外単体だけでも作曲に使えそうなので良かった。アルバムでは一部の楽曲で、重音テトSVを使うことになる。

1月29日
・朝10時、面接した企業から採用の連絡が届く、そこから何度かやり取りを行い、2月1日に入社することになった。
・安堵も束の間、入社日は朝8時に出社することに。今住んでいる場所からだと、会社までの通勤時間が約2時間なので、5時に起きなければならない、絶望。
・とにかく、転居しなければならない。職場の近くにある賃貸を調べまくる。
・色々あって、しばらく実家で過ごすことになった。
・実家へ行く前にサウナ。
・朝5時に起きる練習を始めるが、全然寝れなくて結局その日は午前3時半に入眠。

1月30日

・ある種の強迫観念でとりあえず朝5時に起床。しかし、特にやることはないのでタバコを一本吸って二度寝。
・入社日に必要な持ち物である安全靴と作業着をワークマンで購入、加えて必要書類を揃える。
・今後のスケジュールを考えると、藝大の卒展を観に行ける日が翌日しかないので、行くことを決意。
・朝5時に起きる練習、この日は0時くらいに寝れた。

1月31日
・朝5時に起床。しかし、今日も特にやることはないのでタバコを一本吸って二度寝。
・目星がついた物件の内見へ行こうと思い、不動産屋に連絡。2月2日に内見することになる。
・10時に弟と藝大の卒展を観に上野へ。
・上野駅前にある中華料理屋で昼食をとり、東京都美術館と藝大で卒展を観る。早いペースで観てきたが、結局2時間ほどかかる。
・鑑賞後、上野公園にあるスタバへ。期間限定のフラペチーノを飲む、もたれる。
・17時ごろ、帰宅。
・翌日、入社。緊張とストレスで腹痛。それを和らげようとサウナへ行く。
・サウナで整い、チルアウトを飲み、寝る準備を万全に整える。23時半に入眠。

2月1日
・朝5時起床、成功。
・実家からのため、この日は車を運転して駅まで。久々の運転で少し怖かった。
・電車も特に問題は無く、無事朝8時に出社。面接した担当の方がいて、契約と事業所の案内、ざっと1時間くらい。
・そこから車で送ってもらい早速現場へ、上司1人と、従業員2人、軽く自己紹介をして、早速作業。
・昼休み、上司の方と車でコンビニと買い物へ、仕事の流れや環境を教えてもらったり、大学時代の話などをする。一緒にタバコを吸ったりなど、すぐ仲良くなれた。めちゃくちゃいい人で感動……!
・午後の作業では従業員の2人とも仲良くなる。2人とも年上で安堵、事業所でも自分はどうやら最年少らしい。
・17時ごろ作業終了、作業していた4人全員で車に乗って、駅まで送ってもらう。従業員の1人と同じ電車で帰宅、大学時代の制作の話や現場の話をした。
・電車の遅延などがあり20時ごろ帰宅。あまり具体的には書けないが、とにかく楽しかった、仕事に対するモチベが高まる。
・ただ、めちゃくちゃ疲れた、22時ごろ倒れるように入眠。

2月2日
・練習したおかげか、朝5時に起床。しかし意味ないので二度寝。
・10時頃起床、11時頃に家を出る、13時に不動産へ。
・目星つけた物件のほか、もう一つ物件を紹介してもらう。そこが一番いい条件で、目星つけた物件と合わせて内見へ行く。
・結果的に、紹介してもらった物件が一番良かった。家賃は4万円ほどで、値段相応にボロいが、南向きで収納が多く、何より部屋が広い。とりあえず申し込みをする、現在審査待ち。
・とにかく移動に時間がかかる、その日は19時頃帰宅。
・あまり作業は出来ず、0時頃入眠。

2月3日
・朝9時起床。
・この日は弟の誕生日で、車を運転して買い物へ。ケーキなどを買う。
・運転による疲れと、溜まっていた疲れのせいか、長い昼寝をしてしまう。
・夕飯を食べ、家族と話して、ひとりで住んでいるところに帰る。

現在に至る……!

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ギリギリの戦い


卒制の最終提出で「なんでもっと計画的に、余裕を持って出来なかったんだ……」と思い、そこからリスクヘッジを含めたスケジュールを組んで実行するようにした。

今思い返せば卒制はギリギリの戦いだったが、何だかんだ最終提出以降は滞りなく、加えて全ての猶予期間、全力を注いで作業することが出来た。一応最終提出以前も、運転免許取得のタイミングなどスケジュールをある程度概算しながら行動はしていたが、それをもっと以前から出来ていたらと思う。

しかし、それに気付くことこそが卒業制作なのではないかと今の自分は思う。もしかしたら、他学科は経験があるため、その感覚は卒制以前から培っていたのかもしれない。芸術文化学科全体で展示やらプロジェクトやらをする機会はもっとあっていいと思う。

そんな卒制の経験もあってか、卒制後の就活はとにかく早めに行動しようと思った。が、親の一言が無かったら現在もウダウダしていたのかもしれない。それでも、結果的に行動してみると、自分が思う以上に早く、あらゆる物事が進んでいった。2週間前は、まだ新しい仕事を探してすらしていない。

また、転居など今後のスケジュールを考えると、新しい仕事を見つけるのは1月中がデッドラインだった。2月は身辺整理など転居までの準備、そして3月は転居と、社会保険等の契約や本格的な就業。スケジュール云々とは言ったけど、今でもギリギリの戦いをしている。

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選択


また、4月から新しい仕事を本格的に始めても、そこから自分がどうなりたいのかについて、改めて考える必要がある。

卒展中は勢いで、藝大の大学院へ行きたい!とは言ったが、その選択は自分にとって本当に正しいことなのか?と今では思う。
卒展後、麻布台や六本木の展示、そして藝大の卒展を観たり、SNS等を見たり、新しい仕事をやってみたりして、芸術、アートに対する疑心のようなものを前から何となく考えていたが、最近また改めて抱いた。

個人的に芸術、アートと呼ばれているものは難しい、とっつきにくいものだという認識が一般的であると考える。確かに、それを様々な方法で懐柔しようとしている試みはあるが、その認識が完全に無くなることは無い。それは、芸術、アートが歴史や文化などの文脈に依拠するものだと、義務教育の時点でなんとなく教わるから。国語や算数など、学校の教科に近いような?

そんな中で、美大、芸大生は各々の表現を芸術、またはアートとして世に出す。世に出す以前も、教授などから文脈を求められる。出してからも専門的な人に文脈を絡めて言及される。固い学問的なハードルは、一般の介入を許さないような気がしてならない。また、それは各々の表現を芸術、アートとして世に出すからこそなのでは無いだろうか。確かに、美大、芸大生は芸術、アートとして自らの表現を世の中に出すから、しっかり歴史や文化などの文脈を踏まえて制作します、という認識なのかもしれない。それでも、自分は高校、大学と芸術、アートを学んできて、表現は幅広く、面白いものだと考えたにも関わらず、それが例のハードルにより、一般から閉ざされたものになってしまうと考える。

少なくとも私は、表現は一般に広く見てもらいたいと考える。つまり、自らの表現を芸術、アートとして区切るようなことはしたくない。そのために、現在も音楽制作やイラストレーションなど、一般的に芸術、アートとは区別されている領域で制作を行っている。が、卒制までは芸術、アートをしたい!という想いがあったと思う。

ここまで言ってきたけど、確かに、芸術、アートは面白い。また、歴史や文化などの文脈は、それに限らずあらゆる表現行為で活かされる。結局何が言いたのかよくわからなくなってしまったが、今後も芸術、アートの鑑賞は続けていくが、それは一つの趣味として、そこから一歩引いた上で自らの表現を追求していきたいが、その中で歴史や文化などのリサーチは続けていきたいと考えている。しかし、それで表現したものって結局芸術、アートなのではないか?という矛盾があったり……でもそこは、上手いようにやっていきたい。

また、現在の仕事について。当初、現在まさに京都の個展で騒がれている村上隆によるカイカイキキの仕事か、あまり詳しくは書けないけど、日本でも最大級のエンターテイメントに関わる仕事、どっちに就こうか悩んだ。しかし、結果的に自分は後者についた。もしかしたら、この選択は示唆的なのかもしれない。

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また明日。

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