春のつま先 【エッセイ】
2年後も3年後も、"ずっといい"そう思える季節が、「春」でしょうか。
このあいだ、友達から急に連絡が入って何だろうと見てみると、「なんか晴れてて嬉しくなっちゃってさ、友達に『気持ちいい天気だね』って連絡したら、『同じ東京にいるからわかるよ』ってきたんだ」と寂しそうな文面があった。
つまり、その友達は私に連絡する前、別の友達に「気持ちいい天気だね」と連絡したところ、上の文章のように「同じ東京にいるからわかるよ」と素っ気ない返事が来たらしい。
それに対して私が、「その友達の言ってることはわかるよ。でもそうじゃない!っていうことだよね。自分が言う『気持ちいい天気ですね』に、『今夜は星がきれいに見えるかもしれませんね』とか、何か言葉をプラスしてドラマチックさを演出できれば何でも正解なのに、何をお前は冷静に事柄の真実を述べてるんだってことが不満なんだよね」と返信すると、「君は最高だよ!!!」と返ってきた。
友達と喫茶店で待ち合わせをすれば、一杯のコーヒーを飲みながら、「春が何より最高の季節だよね」「間違いないね」、「天気がいいだけで微笑んでしまうね」「思わず嬉しくなるよね」、「用もなく外を歩いてしまうね」「春だからね」、そんなことばかりを延々と話してしまいがちですが、「春」というだけで湧き上がるこの気持ちを誰かと共有すること、それ自体が、春の嗜み方ではありませんか。
窓の景色を眺めながら、そんなことを考えている間にも、春のつま先が、すぐそこまで伸びていますね。
夜野
きみのために風は吹いている そう思えるのはきみのかけがえのない生活が、日々が、 言葉となって浮かんでくるからだと思う きみが今生きていること、それを不器用でも表現していることが わたしの言葉になる 大丈夫、きみはきみのままで素敵だよ 読んでいただきありがとうございます。 夜野