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『無難』を突き進んだ先とは

いつ頃からだろうか。私は目立つことを極端に嫌がるようになった。悪いことは何もしていないのに、周りの目が気になるようになった。

小学5年生の時、卒業式の送辞を読むために立候補したことがある。あの時は周りの目は気にならなかったのだ。何故在校生代表をやりたかったのかは覚えていない。知っている卒業生もいないし、中学受験をする訳でもなかったのに何故かやりたいと思ったのだ(もっと適任者がいただろう)。私は声だけは大きかったので、オーディションでは堂々と大きい声で臨み、他者を圧倒し、見事在校生代表の座を射止めたのだ。因みに、卒業式前日に風邪をひき、声が枯れてしまい、本番は過去一ひどい出来栄えだったのは忘れない(何やってるんだか…)。

ところがだ。6年生になり、卒業生の答辞に関しては立候補しなかった。先生にも昨年やったからやってみたらどうだろうか、と勧められたが、首を縦に降らなかったのだ。

『目立つことをやりたくない』
ただ、それだけだった。

これだけ聞くと、思春期の一種の気まぐれが始まっただけのように感じるが、それだけでは済まなかった。
それ以降、目立つことの恐怖心は大きくなったように感じる。当時通っていた音楽教室の発表会や合唱コンクールも緊張し、怖さを覚えるようになった。
『失敗しないように。私だけ失敗して変に目立ちたくない』
そればかり念じているようになった。他人は私に興味ないのに。

高校時代、進路決定は『後戻りができる理系が無難(※当時は理系から文系に転科する方が文系から理系に転科するより楽と言われていた)』『周りは医学部を目指しているし、医学部に入れば周りも喜ぶ。人のためになる仕事だからやりがいもある』という安全策をひたすら選んだ結果、医学部を目指すこととなった。何とか大学に入学した後は、中学高校『無難』に精力を注いだせいか、本当に無難に通り過ぎていった。それはそれで楽しかったし、大学時代の友人は、今でも仲良いし、良き相談相手だ。


外側からは順風満帆な人生と見えるかもしれない。ただ、人生を振り返った時に『自分の好きなこと、頑張りたいことに素直だったか』と疑問を持つようになった。興味があることが中々見つからないのも、興味があることに挑戦し、自分の適性を見極めることをしてこなかった影響があるのではないかと思うようになった。

『では、どのようにすればよいのか』という質問に対して私は言葉に詰まってしまう。分からないのだ。本来若いうちにやっておくべきだった試行錯誤を取っ払って過ごしてきたからだ。こればかりは懇切丁寧に教えてくれる教科書なんてない。自分で気づいていくしかないのだ。
自分にできることは、『自分の直したい部分を見つめ直し、少しずつ変えてみる』である。このnoteでの発信もその一つと言える。目に見えて変わることはないが、始める前の自分より自らのことを振り返って、客観的にみる時間は増えた。

話がずれたように見えるが、"目立たないように、他の人と同じように"を気にしすぎたが由に‘’自分の好きなこと、得意なこと‘’がないがしろになってしまったということを言いたかったのである。




“目立つことへの恐怖心”は現在どうなったかというと、今だに克服できていない。むしろ増悪傾向だ。電話の応対も嫌であるし、朝のカンファレンスの1分間の発表ですら手汗をかくくらい緊張する。学会発表なんて絶対やりたくない。web発表で良かったと安堵するくらいである。年齢を重ねてきたためか、それが私の特徴であるんだ!と開き直った部分は自分を褒めてあげたい。

今週は人前に出る機会がないからこうやって振り返ることができる。人前で発表する週は怖くて頭が一杯になって仕事が手につかないんだよなと冷静に分析しつつ、フラペチーノとアイスコーヒーでお腹が苦しくなりながらカフェでポチポチこの文章を打ち込んでいる私なのであった。


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