![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/39942636/rectangle_large_type_2_1bbd6441e8f3ec35dbd571faeaacd5f3.png?width=1200)
092 わがそでは【令和訳百人一首】
【原文】
わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の
人こそ知らね かわくまもなし
(二条院讃岐)
【個人的解釈】
私の袖は、引き潮の時ですら見えない沖にある石のように
誰も知らないでしょうが
恋の涙で乾くひまもないのです。
【感想】
作者はこの首が評価され、沖の石の讃岐と呼ばれるようになった。
自分、どちゃくそ泣いてまっせってことですね。
どんな種類の涙でしょうか。悲しみでしょうか、嬉しみでしょうか。
みなさんは涙もろいですか?
私は現実で起きたことには泣かないけど、作品を見ると泣いてしまいますね。
最近も小説を読んでボロ泣きしました。
自分の恋愛で泣いた覚えもあるけれど、遥か昔すぎて理由とかなにも覚えてない。友達の前で酔いながら泣いた気がする(そこも曖昧)から、私よりお友達が覚えている可能性が高いですね。
嬉しくて泣いた記憶は、人生で一回しかないね。中学の部活で良い成績を残したとき。
おそらくこの首は悲しい恋の涙なのでしょうね。
ハッピーな恋愛ソングよりも、現実的な失恋ソングのほうが売れるというのは、平安も令和も変わらないのですかね、香水のせいなんですかね。
この時代の人たちの楽しい恋愛のぞきてえ。
【令和に言い換え】
私のことなんてだれも見てないけど
何時間待っても全然乾かないマニキュアみたいに
失恋した私の涙も全然乾かない。
わたしはかなしいのよ!!!
【備忘録】
・潮干:引き潮になった海岸。
※「潮干に見えぬ沖の石の」は「かわくまもなし」の序詞。
【自己評価】
★★☆☆☆
もう今年の失恋はすべて、コロナと香水のせいにしていい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?