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092 わがそでは【令和訳百人一首】

【原文】

わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の

人こそ知らね かわくまもなし

(二条院讃岐)


【個人的解釈】

私の袖は、引き潮の時ですら見えない沖にある石のように

誰も知らないでしょうが

恋の涙で乾くひまもないのです。


【感想】

作者はこの首が評価され、沖の石の讃岐と呼ばれるようになった。

自分、どちゃくそ泣いてまっせってことですね。

どんな種類の涙でしょうか。悲しみでしょうか、嬉しみでしょうか。

みなさんは涙もろいですか?

私は現実で起きたことには泣かないけど、作品を見ると泣いてしまいますね。

最近も小説を読んでボロ泣きしました。

自分の恋愛で泣いた覚えもあるけれど、遥か昔すぎて理由とかなにも覚えてない。友達の前で酔いながら泣いた気がする(そこも曖昧)から、私よりお友達が覚えている可能性が高いですね。

嬉しくて泣いた記憶は、人生で一回しかないね。中学の部活で良い成績を残したとき。

おそらくこの首は悲しい恋の涙なのでしょうね。

ハッピーな恋愛ソングよりも、現実的な失恋ソングのほうが売れるというのは、平安も令和も変わらないのですかね、香水のせいなんですかね。

この時代の人たちの楽しい恋愛のぞきてえ。


【令和に言い換え】

私のことなんてだれも見てないけど

何時間待っても全然乾かないマニキュアみたいに

失恋した私の涙も全然乾かない。

わたしはかなしいのよ!!!


【備忘録】

・潮干:引き潮になった海岸。

※「潮干に見えぬ沖の石の」は「かわくまもなし」の序詞。


【自己評価】

★★☆☆☆

もう今年の失恋はすべて、コロナと香水のせいにしていい。

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