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有休取って観た『アリスとテレスのまぼろし工場』が全く肌に合わなかった人の話


はじめに

『アリスとテレスのまぼろし工場』とは、『呪術廻戦』や『チェンソーマン』で知られる新進気鋭のアニメスタジオ、MAPPAが手がける初のオリジナル劇場アニメーションである。

脚本・監督を務めるのは、『空の青さを知る人よ』『泣きたい私は猫をかぶる』など数々の名作を生み出してきた岡田麿里氏。
「恋する衝動が世界を壊す」というキャッチーなコピーからは、一組の男女の恋愛が世界を巻き込む事態に発展する古き良きセカイ系の物語を想起させ、「恋愛アニメ映画マイスター」である私などはもう公開前からワクワクで垂涎しまくりであった。

おまけに試写の時点で非常に評判が良く、各種まとめサイトで異様な持ち上げ方をされる始末!

作画も良い、ストーリーも良い、前評判も良い。
これは約束された勝利やな、ガハハ!!

の気持ちで、喜び勇んで初日に有休を取ってまで観に行ったのだが…

劇場を出たときの私の顔は完全にこれだった。

きみは世界の謎を解き明かせるか

いきなり冒頭から害悪アンチみたいなムーブをかましてしまったが、この記事を見て観に行くのをやめようと思った方が万に一つでもいたら申し訳ないのでフォローしておくと、「かなり人を選ぶ作品である(恋愛を期待しているなら別の作品を見た方が良い)」と表現する方が適切である。
そもそも岡田麿里氏の脚本って時点で好み別れるし、個人的な過去の経験則としても『心が叫びたがってるんだ』は微塵も刺さらなかったので、座組に期待しすぎるのは良くなかったなあという反省もある…

とにかく、まずは頭の整理も兼ねて、超絶ネタバレ込みでストーリーを簡単に振り返っておきたい。
今作はすごく簡単にまとめると、『呪術廻戦』の主人公と同じ声帯を持つ14歳の中学生・菊入正宗が、「変化が許されない街」で鬱屈とした日々を送る中で、ある日不思議な少女・五美と出会い、仲間とともに色んな困難を乗り越えて彼女が元いた世界に送り届けてやる、という粗筋である。

「変化が許されない」と言われる作中の田舎町では、10年以上前に起きた工場爆発事故の影響で(?)、街の外につながる陸路と海路がどちらも分断されてしまい、さらになぜか季節が止まり、誰も歳を取らず、定期的に「自分確認」を行うことで社会が維持される状況となってしまう。
予告動画でも、恋をした少女がひび割れて消えてしまう描写が印象的に使われているなど、「変化をした人間は消滅する」という独特の世界設定が今作のオリジナリティを確立している。

「世界が元の形に戻った時に以前の自分と変化していると不具合が生じるので変化するな」と学校で生徒が教わるシーンもあり、こういったSF的かつディストピア的な障壁が、きっとこれから主人公が繰り広げる壮大なラブストーリーを大きく盛り上げてくれるんだろうな…

…と冒頭は楽観的に見ていたのだが、この「変化」の基準が初見だと非常にわかりづらく、私の頭は混沌の渦に叩き落とされた。

だって、個人的な小さい変化とか以前に、子供でも運転免許を取得可能なように社会制度自体が大きく改変されてるんだぞ!?

私の脳内はこの矛盾を感じた時点で、完全に「恋愛作品を純粋に楽しむモード」から、「世界の謎を解き明かす名探偵モード」へ移行してしまった。

まず手がかりとなる描写として、変化が許されない世界の中でも、主人公・正宗の絵の技術がどんどん上達している描写がある。すなわち、運転・芸術等の技術の習得や社会制度の変更といった「能力的・社会的変化」はNG判定にならず、恋愛感情をはじめとした心を大きく動かす「心理的変化」がNGにあたると推測されるのではないか…??

なるほどね、真実はいつも一つ!!!!

と思った矢先に、次の矛盾が起きる。
政宗に恋をした園部裕子が消えたあと、主人公自身が泣きながら、同級生の佐上睦実への恋心を吐露するシーンが流されるのである。

「え?なんで正宗は消えないの? これはまさか、主人公補正で消滅から免れているのか…?」などと頭の中がハテナでいっぱいになっていると、今度は主人公の同級生の原が新田に対して告白したり、主人公の叔父にあたる時宗が未亡人である主人公の母に恋愛感情を覗かせるなど、メインキャラ発情しまくりなのに全く消滅しない場面が次々に出てきて、さらに事態は混沌を極める。

ちなみに、「ラジオDJになりたい」という夢を語った仙波は一切の情け容赦無く消滅する。(仙波、お前はいいやつだったよ…)

結局、最後まで物語の中では「消滅するしない」の基準が直接的に語られることはなく、私の頭の中は名探偵モードのまま「中島みゆき」の情熱的な曲が流れるエンドロールを見ることになってしまったわけである。

ちなみに、このままだとモヤモヤするので法則性についての一応自分なりの仮説を書いておくと、おそらく正確には「心を大きく動かすと消滅する」のではなく、「現実世界との心情の差異が大きくなりすぎた人間は消滅する」ということなのではないだろうか。

大前提として、この街の世界は工場での爆発事故をきっかけに「現実(=爆発が実際に起きて工場が廃墟となった正史)」と「まぼろし(=工場に祀られていた神様が作り上げた幻想世界)」の2つのパラレルワールドに分裂している。そのうえで、主人公たちの生きる「まぼろし」の方では時が止まってしまうわけだが、「まぼろし」は「現実」の記憶をもとに生み出された不安定な世界なので、正史である現実との齟齬があまりに大きくなるとバグとして排除されてしまうのである。

仙波は本来人前に出るのが苦手で、時が止まらなかったら(正史だったら)ラジオDJになるなんて夢は絶対持たなかった、ということが強調されているし、園部裕子も主人公の助手席に乗せてもらったことが決定打となって恋に落ちているので、こう考えると辻褄は合う…

なるほど、やっぱり真実はいつもひとつ…

…って、『名探偵コナン』観に行ってんじゃねーんだぞ!!

「好きになってはいけない」って嘘キャッチコピーにもほどがあるだろ!「(現実と同じ人物なら好きになってもOK)」って注釈をつけとけ!

てか、主人公のキスシーン長すぎるだろ!!!
もう「劇場アニメーション史上一番ねっとりしたキスシーン」ってキャッチコピーつけろ!!!!


…はい。

少々取り乱してしまったが、実際シンプルに「好きになってはいけない世界で、それでもどうしようもなく好きになってしまった主人公が、世界の理に抗いながら必死で頑張る話」が観たかったなあという残念さがあった。

みんなはどうだったかな?

きみはヒロインを愛せるか

また、もうひとつどうしても引っかかったのが、キャラクターに魅力がほとんど感じられないことである。

前述の世界観のわかりづらさとか肩透かし感とか以前に、正直なところ最序盤の正宗たち中学生男子仲良しグループ4人組の「しょうもない日常」の描写の時点でだいぶ心が離れてしまった…
こたつの中で屁をこく、男同士で胸を揉む、体操着の女子をエロい目で見る、など主人公の所属する友人コミュニティの「仲の良さ」「互いに気を使わない関係性」「衝動的に生きる中学生ならではの青春感」を出したいという意図は重々理解しつつも、正直に作品としての「品の無さ」の方に引いてしまったところがある。

ただ、これは昔『グッバイ・ドングリーズ』を観に行った時も全く同じことを感じたので、私の単なる「青春コンプレックス」なだけかもしれない

そして、一番引っかかったのがダブルヒロインものなのに、どちらも魅力がなさすぎることである。

まずメインヒロインの睦実は、『SSSS.GRIDMAN』の新条アカネと同じ声帯を持つことからも察せられる通り、ミステリアスな雰囲気を持ち、何を考えているかわからない「からかい上手系」の美少女である。

あとは、えーと、なんだろな…

ダメだ、良いところをもっと書こうと思ったが、はっきり言って「美少女」という一点突破しかない。
というか、前述した「ミステリアス」「からかい上手系」というのもかなり譲歩した表現である。物語前半では主人公・正宗に対して屋上の上からパンツを見せびらかして挑発したかと思うと、同級生の上履きを盗んだことを自白し、「退屈を紛らわす」ためと自供するなど、ミステリアスというよりは支離滅裂な行動を取るメンヘラ女である。(そういえば、結局この上履き盗難事件ってほんとに最初に仕掛けたのは園部裕子の方だったのだろうか?)

一応主人公への愛情というか独占欲は大きいようだが、主人公に対してデレるシーンはあまりなく、むしろ正宗と五美のスキンシップに対してヒステリックに怒り出したり、精神年齢幼い五実に「主人公は私のもの」という勝利宣言を残して別れたりと、性格の悪さの方が脳にこびりついてしまった。

完全に余談だが、名前の漢字について「仲睦まじい」の「睦」に「現実」の「実」と解説するシーンがあるが、現実世界では主人公と結ばれていることを示す伏線だったのね

続いて、二人目のヒロイン…
ヒロインなのか? いや、まあ主人公に好意を抱いているし途中イイ感じになってるからヒロインではあるか… という微妙な感じのポジションにいるのが五実である。

五実も端的に言うと「何を考えているかわからない美少女」であるが、睦実とはベクトルが異なり、野生児すぎて獣に近い女の子である。ドラゴンボール初期の孫悟空や、ゲキレンジャー序盤のジャンをイメージしてもらえばそれでいい。

五実は幼稚園児のときに「現実」から「まぼろし」に迷い込んでしまい、それ以来悪い大人たちによって工場内に幽閉されていたので精神がほぼ発達していない…という過去をもっている。

本作をいわゆる「ボーイミーツガール」の形式に当てはめるのであれば、「ガール」側は明らかに五実であり、実際に五実も正宗のことを徐々に好きになっていく王道っぽいラブストーリーはある。そしてその感情が爆発すると世界にひび割れが生まれ、キャッチコピー通りの「恋する衝動が世界を壊す」というドラマチックな展開が生じる。

ただキャラ設定的なこともあり、どうしても五実が正宗に対して抱いている感情が恋愛的な「好き」というより、動物が飼い主に懐く意味での「好き」にしか見えず、「恋する衝動」という表現が適切ではないようにしか感じられなかったのは非常に残念。しかも正宗側は五実に対して微塵も恋愛感情を抱いていないうえ、もともと現実世界では父と娘という関係性もあるため、ロマンチックな雰囲気に全然ならなかったのはかなり勿体無い。

この世界観設定そのままに、五実と正宗に親子関係がなく、五実が年相応の精神年齢と正宗に対する恋心を持っていたならば、きっと「まぼろし」世界から帰りたくないという心情にすごく感情移入できただろうし、別れももっと感動できただろうなあという妄想がどんどん膨らんでいく…

結局、今作の場合だと「まぼろし」世界から帰りたくない、という五実の心情が本当にただのめんどくさい子供の我儘にしか見えなくて、同情よりも「みんな苦労してお前を元の場所に帰そうとしてやってんのに、黙れクソガキが!!」というイライラが勝ってしまった。

それとラストシーンで成長した五実が、このときの出来事を「失恋」として語っているのもなんか腑に落ちなかったなあ…
私は恋愛アニメ映画マイスターとして、作品の一つの判断基準に「失恋を美しく描く作品は名作」という確固たるポリシーを持っているのだが、今作の場合は「恋」ですらなくない…?というモヤモヤが生まれて全然惹かれなかったゾ…

おわりに

思ったより最後までアンチレビューっぽくなってしまって、気分を害された方がいたら大変申し訳ない。それだけもともとの期待値が高かったということだし、こんだけワクワクで観に行ったやつがいる時点で宣伝手法としては大当たりだったと言えるだろう。

率直に言って私には全然刺さらなかったし、どうせ時間を使うなら同じ岡田麿里氏作品の『空の青さを知る人よ』や『泣きたい私は猫をかぶる』を100倍オススメしてしまうが、前評判も含め絶賛している人もかなり見かけるので、自分がどっちに転ぶか3連休の運試しとして行ってもよいのではないだろうか。


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