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フワちゃんのラジオが好き

私はフワちゃんのラジオが好きだ。誰に何を言われても、私はフワちゃんのラジオが好きだ。

飛行機に乗り遅れたりタクシーの運転手さんと喧嘩したり、どんなに酷いエピソードも、元気になれるくらい楽しい言い方で昇華していく彼女の考え方が私は好き。心の中にフワちゃんのスピリットをインストールすることで、私の日々の酷い出来事もなんだか明るくなるような、そういう考え方や生き方があってもいいと思えるようになった。

問題児と言われてしまうことも多かったが、フワちゃんが自分らしく楽しく活動されているのを見ると、少しだけ私も生きてていかなと思えた。何かあってもサイアク〜と言葉に出してみたら、意外と大丈夫な気がした。

仕事も出来なくなって、何にも出来ずに夜が更けていく毎日に、楽しいと思える時間をくれたラジオであることは、この先変わりようが無い。むしろ、番組が無くなってしまったことで過去のものとなり、今後番組が嫌いになることも、飽きて聞かなくなることも、そしてもっともっと好きになることも、無くなってしまった。変わりようが無くなってしまったことに、大変な寂しさを感じる。

擁護するあるいは批判するポジションを取る取らないって、みんな勝手にすればいいけど、彼女のラジオを聴いたことも無い人が、番組終了について強い言葉で否定している様子を見てとてもとてもショックだった。
関係ないのに勝手に傷ついている人も、当事者じゃないのに被害者かのような気持ちになって怒っている人も、私はあまり共感出来なかった。怒るのも許すのも謝るのも当事者間の話だ。許されないとか言ってるけれど、その権限はいつ与えられたものなのか。

私は、過去に私に嫌なことを言ってきた人を許していない。でもこれは、私だけの権利だ。他の人がその人を許すも許さないも、好きにしてくれて構わない。誰かを尊重することが出来なかったとき、その人が尊重されなくなるのは、当然のことなのだろうか。私にはよく分からない。

私には関係のないこと。強いて言えば、ラジオが存続しなかったことについては関係がある。今回のことは私に全く関係がないけれど、彼女に批判が集まりすぎたことで、私は毎週の楽しみを奪われてしまったのである。原因がどこにあるとか解釈は色々あるけれど。

どんなパーソナリティであれ、昔からオールナイトニッポンという番組は尖った発言が時々聞こえるもので、何を今更と思ってしまった。今回の発言だって、ほかの芸人さんたちが沢山使ってきた言葉じゃないか。
放送する側からしたら、誰にでも楽しいラジオってことは大切なのかもしれない。けれど、オールナイトニッポンって好きな人が聴きたくて聴いてるイメージがあるから、こうなってしまったのは意外だった。フワちゃんのラジオってもともとコンプラあって無いような感じが楽しかったのに。
スマホ、Googleピクセルを毎回選んでいたけれど、彼女を降ろすならもう買わない!とふんわり思ってしまったくらい。普段はそういう商品の選び方はしないし、フワちゃんがCMをやっていてもいなくても、Googleピクセルを使いたくて使っているんだけどな。
彼女みたいに失敗の多い人でも楽しくいられる場所があることが、むしろGoogleのポリシーと共感する部分なんじゃないのか、知らんけど。

フワちゃんのことが好き!みたいな気持ちを自覚したことは無かったけれど、彼女のラジオは自分が思っていたより好きだったんだと思う。だから、日々の楽しみが無くなってしまったことに、それなりにショックを受けている。
リスナーであるフワギャルさんたちが惜しんでる様子も見た。やっぱり聴いていた人達からしたら、そういう感情や反応があるのはナチュラルなことなのかな。マリーを好きな人が私だけじゃなくて良かった。たくさんいた。

私は、またラジオに戻ってきて欲しい。私のために。



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