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思考する獣 | エッセイ集

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仕事をしながら、暮らしをしながら、ふと獣のように湧き出る思考を書き留める実験のようなエッセイです。すこぶる元気な時より、すこしもの暗く静かな時のお供にどうぞ(*月1〜2本目安で更… もっと読む
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多様性と自由の対価として、私たちは対話を義務づけられた。

「これからは多様性の時代です」 待ち望んだ週末。生ぬるい空気が流れる午後のリビングで、テレビから生真面目なコメンテーターの声が耳に入る。そちらにチラリとひと目をやってから、また私は手元のスマートフォンで読みかけの小説に意識を戻そうとする。するのだけれど、どうにも一度耳に入り込んだ「たようせい」という言葉が妙に頭に引っかかってしまい、もう私はどうにも活字の世界に出戻ることができなくなってしまったようだ。 こうなると、私の頭はもう考えることにガコンとスイッチが入って戻ることは

ロールモデル神話に苦しまない処方箋

「あなたのロールモデルは?」 まだ自分が20代前半新卒の頃。もはや誰に聞かれたのかも思い出せないけれど、何度か「ロールモデル」について聞かれたことだけは覚えている。当時の記憶はもう朧げだが、恐らく社内の身近な先輩の名前を何名か上げたような気がする。 新卒の頃はなんとなくこの「ロールモデル」とやらのイメージがついたし、なんだかんだお世話になる機会もあったように思う。しかし20代後半で転職、独立、事業主と社会的な肩書きも立場も目まぐるしく変わり、ついでに32歳で出産をして親に

やらないよりマシだから、私は肉まんとコーヒーを両手に5分走る。

最近、ちょっとだけ走るのにハマっている。 息子を抱えた相方が保育園に向かった後、わたしも追うように家を出て一駅ほどの距離があるコワーキングスペースに向かう。その短い道のりを、ほぞぼそと走るようにしているのだ。 まあ走るとは言ってもほんの5分程度のもので、それもPCが入ったリュックを背負ったまま。服装もランニングシューズを履いている訳でもなければ、小洒落たランニングウェアを着ているわけでもない。なんなら今朝はカフェラテと肉まんがどうしても食べたくて、コンビニでそれらを購入し

在宅ワーク4年目で、コワーキングを借りることにした話。

最近、自分の「働く環境」に大きな変化を起こそうとしている。民間のコワーキングスペースを借りてみようと施設を探し始めたのだ。 リモートワークの普及とコロナが明けた2つが相まって、東京のコワーキングが以前より充実している気がする。東京といっても自宅の最寄りは少々地味な駅なので渋谷や新宿のように人が集まる華やかな土地まで出ていく必要があるだろうと覚悟していたのだが、いざ調べ出すと良さそうなコワーキングが自宅から歩いて行ける範囲でいくつか見つかった。 さっそく見学の申し込みを入れ

新社会人におくる、2つの呪いの話。

仕事はじめ。 名残惜しいこちらの気持ちなどお構いなしに、見事な桜があっという間に散ってしまう春の入り口に新社会人になる方々へ。誰だよお前!と自分でも頭の中で突っ込みを入れてしまいそうな気持ちをグッと堪え、思い切り自分のことを棚に上げてこれから言葉を綴ります。 これは、これからあなたに起きる2つの呪いの話。 そして多くの大人が今も悩み、誰もがその渦中で足掻いている私たちの呪いの話。学校を出て新社会人になる方や、もしくはもう一度キャリアを再構築するようなタイミングの方に向け

天国と地獄、明暗を分ける旅行の境界線と3つの条件。

今年の夏、母と祖母を連れて上高地を訪れた。 空気はどこまでも澄んでいて、同時に心地の良い湿度であった。さすが避暑地と言わんばかりの気候にうっとりしながら、喉を通るそれも、体をすり抜けていくそれも、全てが柔らかく溶け合うような心地よさを纏っていた。 大都会東京から逃避行してきた私としては「これが本来、人間が吸うべき空気の練度だ」なんて冗談を頭に浮かべながら、その土地に体が馴染む感覚に浸っていた。 「良いところだねえ」 80を超えた祖母が笑顔をこぼしながら、言葉を発した。

年間20着の服で過ごしていたミニマリストが、本気でファッション業界を追いかけてみたら。

基本的にここ数年、私は無印良品のTシャツにダンスキンの黒スラックスだけで生きていた。 春秋はその上に、同じく無印良品のオックスフォードのノーカーラーシャツを羽織り、冬はさらにその上にニットを被れば良かった。それに真冬用のアウターがあれば、私の1年の洋服は十分に収まっていた。 服を減らすきっかけとなった「Notionでの服管理」を始めてから早3年とちょっと。当初は数を減らす目的で始めたわけではなかったのだが、いざ一点一点リストで服の管理を始めると「ここが好きだな」とか「毎回

負の感情はどこへ逝くのか

(わたし、怒ってたんだな) とある夕刻、わたしはひとりコーヒーを片手にふと自覚した。つい先ほどまで、チリチリと音を立てて脳を周回していた怒りとも呼べる感情が、線香花火が落ちるようにジュッと消え失せたのだ。 それと同時に周りの雑音も消え失せ、自分の頭にある思考モードのスイッチがガコンと切り替わったことが理解できた。わたしはカップに残るコーヒーを胃に流し込んでからシンクに放り込むと、そのままソファーにどかりと座り込んだ。 つい先ほどまで燻っていた私の怒りのような何かは、まる

自分が「空気になる感覚」を、大人になっても忘れないために。

どさり。 洗い立てのシーツの上に、体を無造作に投げ出す。アメリカの「幸せな家庭の匂い」ことダウニーは我が家では採用されていないので、鼻の先に佇むシーツからは特にフローラル香りは漂ってはこないものの、昼過ぎの日差しが窓から差し込み、なんとも言えない微睡の時間が訪れていた。 時計は正午の手前を指していた。 今日は水曜日なのだけれど、自営業になってから3年目を迎えようとしていた私はたまたま仕事が入っていない日だった。その実態は、ある意味ふって湧いた休日とも言える日だった。

何も信用できなくなった消費者と、神聖化される発信者の魔女裁判。

「再生数のためって、いっそ言ってほしい。」 YouTubeのコメント欄に、体温の抜けた塩辛い文字がいくつも書き連なる。ディスプレイ上に表示されたそのメッセージはどこまでも機械的な表現だというのに、それは確かにこの地球上のどこかで生活している誰かが打ち込んだ、紛れもない「生きた言葉」であることが嫌でも脳裏をよぎる。 しんどい、な。 少し胸がギュッとして、わたしは思わずスマホの画面に目を細めてしまった。決して自分の動画につけられたコメントではない。あくまでネットを通して知っ

持つためだけの鞄を買った日

「これ、ください」 昼間でも目が眩むようなエネルギーを帯びている六本木というその街で、わたしは居なれない鞄屋で店員さんにハンドバックを手渡した。品のあるステッチに、程よい厚さで仕立てられたその鞄は妙な存在感を持っていて、さも自信がありげな雰囲気を堂々とわたしに向けていた。 ありがとうございますという明るい声とともに、手際よく商品がラッピングされていく。誕生日でもなければ、昇進祝いでもない。なんでもない日の、自分のためだけのただの買い物であった。それをまじまじと眺めながら嗚

広告収入でしか稼げなくなる人たち。

「YouTubeで稼げたらいいなあ」 誰がそう言ったのか、それすら曖昧に分からなくなるほどにメディアでもカフェの雑談でも繰り返しの呪文のように唱えられた言葉。それを頭の中で反芻しながら、私はなんだかなあと込み上がる思いを胃の奥にコーヒーで流し込む。 それはなんだか苦くて、喉を逆流してきたような胃酸のような嫌な酸っぱさを纏っていた。 YouTuberといえば、ここ数年のバズワードであり、億万長者といった華やかなイメージと自由さに憧れる読者も多いのではないだろうか。近年は子

有料
150

欲望の分別をつけるということ。

「「「いいな〜〜〜!」」」 カフェテリアで、黄色い歓声が響きわたる。薄くチェック状に編まれた丹念な白いクロスがかけられているテーブルに、色とりどりのケーキが並べられている。その鮮やかな茶菓子たちが霞むほどに会話は盛り上がり、スマホの画面がテーブルの上を行き交っていた。 土曜日の日差しの柔らかい昼下がりに、カフェで集結した彼女らはどうやらグループの中の1人が結婚したらしく、その報告とこれから買う指輪の話で大盛り上がりしているようだった。 彼女らの声色の方がよっぽど宝石みた

表に立ちたくない職種の、これからの生存戦略。

「スワンさんって喋るの上手ですよね、羨ましいなあ。」 カラッとした、春風が抜けるような声色のその人は言葉を放った。それは人と会うたび、イベントに出るたびにつけて何かと言われてきた言葉でもあった。ありがとうございますとヘラヘラとした返事を返しながら、内心ではどこかどす黒いものが腹の底でぐるぐると唸り声を上げていた。 デザイナーにしては、という意味だろうか。 そんな不埒な思考が、ふと頭を掠める。いかんいかん、また勘繰る癖が出ていると思いながら私は脳内のふわふわとした重い感情