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広告収入でしか稼げなくなる人たち。

「YouTubeで稼げたらいいなあ」

誰がそう言ったのか、それすら曖昧に分からなくなるほどにメディアでもカフェの雑談でも繰り返しの呪文のように唱えられた言葉。それを頭の中で反芻しながら、私はなんだかなあと込み上がる思いを胃の奥にコーヒーで流し込む。

それはなんだか苦くて、喉を逆流してきたような胃酸のような嫌な酸っぱさを纏っていた。

YouTuberといえば、ここ数年のバズワードであり、億万長者といった華やかなイメージと自由さに憧れる読者も多いのではないだろうか。近年は子供の「将来の夢」のランキング上位にも躍り出るほどの盛り上がりを見せている。

先に断っておくと、YouTubeは面白いし運営はもっと面白い。若輩者ではあるが、私自身もここ2年弱ほどYouTubeチャンネル運営を続けてきて多少の視聴者を持ち、その大変さと面白さの両方を噛み締めているのも事実だ。

しかし近年、こういう言葉も聞こえてくるようになった。

「YouTubeはオワコン」
「YouTubeはもう稼げない」

影響力の高いインフルエンサーや評論家が口を揃えて塩辛い言葉を放つ。私はオワコンという言葉はあまり好きではないのだが、どんな文化や市場にも盛り上がりと衰退があるのは当たり前のこと。目を背けるのではなく情報を正しく理解し、自分はどうするのか形振りを考えるのが健全のように思う。

わたし自身も小銭を稼いでいる身ではあるので、その熾烈さやGoogleのツルの一声に一喜一憂してしまう危うさの片鱗は強く体感している。しかし贅沢をしなければ人並みに稼いで暮らすことはそこまで非現実な話ではないし、まだまだクリエイターの食い扶持として優秀なプラットフォームだとも思う。

それでも確実に市場は激化し、YouTubeで食べていけるのか、この生活が続くのかを思い悩んでいるクリエイターが増えてきたのも事実だ。対談企画などで「これからどうする?」「いつまでYouTubeやる?」という話題が盛んに話されるようになったのもここ数年の新しいトレンドのようにも思う。

しかし不思議なことに、多くのクリエイターがその場を離れる様子が全く見えないのだ。

中にはTiktokへ活動を広げたり、もう衰退してしまったもののクラブハウスに熱意をかける人も多くいた。しかしそれも一過性のものに落ち着くことが多く、なんだかんだ「稼げないから」と言ってメインのプラットフォームはYouTubeに据え置いている人が多いようにも思う。それでまた「不安だ」と言っているのだから、側から見ていると不思議な袋小路に陥ってしまっているように見受けられる。

いや、むしろ離れられないのではないか。

そう直感的に感じた時に、YouTubeなどを筆頭とした広告収入で生計を立てているクリエイターに何が起きているのか。それを思考していった時に「広告収入で一度稼ぐと、それ以外のビジネスに上手く切り替えていけなくなるジレンマ」があるのではないか、という素朴な疑問に至った。

今日はそんな「広告収入でしか稼げなくなる人たち」について話を進めようと思う。

これまでのクリエイターの稼ぎ方

今までのクリエイターは文章やイラスト、写真、映像といった特殊な専門性を磨きながら、会社員や業務委託として出版社やテレビなどにお仕事をもらう「受託型」の仕事が多かった。1本の記事はいくら、挿絵はいくらと言ったふうに単価が決まっており、それを納品していくスタイルだった。

受注と発注という上下関係はあったものの、固定客を抱えながら自分のスタイルを商業誌やメディアにどうマッチさせていくのかを考えるのが重要なポイントであった。

そしてそのあり方は、ここ10年のSNSの普及と共にじわじわと新しい形態へと変化を進める。それは固定の会社や団体から給料をもらうのではなく、独自のファンコミュニティを醸成してファンからお金を頂くというものだった。

まずイラストでも文章でも「無償」で多くのコンテンツを提供し、その過程で多くのファンを獲得する。そしてその獲得したファンが楽しめるイベントを開催したり、ネットでの物販、書籍の出版など「追って回収する」新スタイルが生まれたのだ。個人でもイベント集客や、ECショップを開けるようになったのも大きな要因だろう。

しかし時間や場所の縛りが解かれるというメリットがある一方で、この新システムには大きな欠点がある。無償のコンテンツ提供の期間、どうやってクリエイターが食べていくのかということだ。

どんなにいいねがついても、リツイートされて大バズりしてもSNSは一円にもならない。もちろんそれで依頼や仕事が舞い込むということは往々にしてあるが、大抵の場合は波が激しく不安定だ。だからこそ多くのクリエイターは会社員として働き続けながら並行してクリエイティブなことをする、いわゆる兼業スタイルをとるのが多数派のようにも思う。

近年だとサロンのような形をとって昔でいうパトロンのような制度を小口で大勢に支えてもらう仕組みも出てきたが、それを実現しているのはかなり少数派だし、コミュニティ運営にも相当な労力がかかる。

「これなら会社員でいいや」

そう思うクリエイターも多いのではないだろうか。

広告収入という麻薬

ここで説明をするまでもないが、YouTubeというメディアはここ近年で圧倒的に世界を席巻した。スマホが全世代に普及し、ネット通信をしても高額なお金がかからなくなったことはもちろん、クリエイターと視聴者とのコミュニケーションの新たな楽しさが流行を後押しした。しかしそれ以上に、これほど大きなクリエイターコミュニティが数年でスピーディーに構築されたのは別の要因もあるように思う。

それが「広告収入」である。

広告の歴史はもっと古いものではあるが、昔の広告媒体といえば街頭の看板や電光掲示板、ネットであれば大手企業の検索トップや大型メディアが主軸であった。その媒体を「個人が所有できる」ようになって、売りに出されるようになったのはまだ記憶に新しい。

YouTube以前の広告収入といえば「ブログで稼ぐ」というのが一時期に大きなムーブメントを見せ、雨の後の筍のように個人ブログがインターネットの世界で入り乱れた。

最初はバナーを表示するだけ、クリックするだけでお金が発生するものが主軸であったが、単価が低いため広告掲載で生活をしていくには100万PVを超える、もはや個人のメディアの域を超えているような膨大なアクセス数が必要だった。しだいに数を稼ぐため広告をメインのコンテンツの何倍も貼りまくる手法や、わざとバナーを誤タップするような悪質なUIを散りばめるメディアも多く見られるようになった。

これには嫌な思いをした読者も多いだろう。

であれば比較的単価の高い成果報酬がもらえる「アフィリエイト」で「特定の商品のメリットを紹介」し、申し込みや購入を促して1件いくらという成果報酬を目指す方が健全だという新たな流れができてきた。

しかしここで新たに問題となってくるのは、アフィリエイトで稼ぐことを念頭におくと「あまり題材を選ぶ余地がない」ということだ。

報酬が高単価なのは銀行口座やクレジットカードの開設、美容など高額商品ばかりだ。どんなにキャンプやキッチン用品に詳しくても、貼れるのはせいぜい表示型の広告か、Amazonぐらいでやはり単価も下がる。稼ぐ覚悟を持った人が心を殺して大量に参入した結果、高額商品紹介のテンプレブログが溢れた。

それと同時に「別に自分はリボ払いを読者に勧めたかったわけじゃない」という、書き手の苦悩とジレンマが生まれた。

それが専業ブロガーではなくクリエイターならなおさらで、自分の絵や写真のアフィリエイトはないのだから「あくまで人様の商品を宣伝する」ことが主軸になってしまい、本質とかけ離れたお金の稼ぎ方に疲弊する人も多かったのではないだろうか。

表現できる広告収入

ブログという文化も大きなブームを見せた後、単価の低下やGoogleの検索エンジンに振り回される不安定さが目立つようになり、近年ではだいぶ下火になってきた印象も否めない。

そこで新しく個人が持つ広告媒体で、比較的自己表現できる余地が大きいという甘い蜜を携えて現れたのがYouTubeであった。

YouTubeで(比較的)好きなことを発信してファンと交流し、ファンは動画の冒頭や動画の途中に流れる広告を見る。それだけでクリエイターには小銭程度のものから何千万単位の収入が月額で得られるようになった。視聴者は広告視聴という「時間対価」こそ支払うものの、体感としてはとしては「無料」で無限のクリエイターコンテンツを楽しめるようになった。

これは意外にも、これまでなかった要素の掛け合わせだった。

自己表現は金にならない、金儲けしたいならクリエイティブは諦める。そんなクリエイターにとって究極の悲しき天秤であった悩みを一気に吹き飛ばすような仕組みだった。もちろん好きなことをやっているだけで視聴者が増えるほど甘い世界ではないが、ブログなどの時代に比べると遥かに表現や個性を主軸に戦うことができる環境であるのは確かだった。

初期投資が思ったよりはかからないのも、クリエイターの参入を後押しした。

スマホ一台あれば動画を撮影して、サムネイルだって作れる。もちろん継続していけばカメラや高性能なマイク、照明など欲しい機材は爆発的に増えていくが、後述する一般的なビジネスの初期投資に比べれば数十万円の小さい元手で事足りる。

あとは企画、撮影、編集という孤独でハードなクリエイティブルーティーンをやり続ける覚悟とタフさ、結果で帰ってくる数字をきちんと分析して真っ当に向き合っていけるかという真摯な姿勢があれば良い(まあこれが一番大変で心が折れることであるのは百も承知なのだが、楽して儲けられる世界はどこにもないのだから相応の対価であるように思う)

その大きな壁を越えて多くのファンを勝ち得て、常人では考えられなうような影響力を持つクリエイターが出てきた。

これは一般的な会社におけるビジネスで言えば「種まき」が終わったとも言える。一定の成果と売り上げが入るようになり、最初の軌道に乗っている状態だ。となれば、この影響力や自分自身のブランドをどう横展開していくか。より広いビジネスにしていくフェーズへと移行し、掛け算の思考へと頭を切り替えていく必要がある。

話はようやく冒頭へ戻るが、わたしはある日ふと、この「ビジネスフェーズ」を一歩を踏み出すクリエイターの割合が思ったより少ないことに気がついたのであった。

影響力の使い道

意外なことに、YouTubeで何十万人何百万人というフォロワーを持っていてもYouTube以外のことに手をつけないクリエイターがたくさんいる。もちろん信念を持ってやらない人もいるだろうが、YouTube頼りの収入や先行きが不安だと口にするにも関わらず「動画投稿の一本打法」を続けるクリエイターが多いことにわたしは疑問を持っていた。

何故なら、これがインスタグラマーやTwitterであれば話が全く違うからだ。

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