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35年ぶりに横須賀に戻ってきた。

35年ぶりに横須賀に戻ってきた。

かつて私は、横須賀が大嫌いだった。1日も早くここから出たくて 10代でそそくさ都内へ出て、やっと家を持ち、さあこれからの時、 夫の職場がまさかの横須賀に移動することになった。

自衛官でもないのに横須賀で仕事をすることになるとは、微塵も考えてなかった。それも、ピンポイントで横須賀に決まったわけじゃない。さまざまな偶然が重なり、結果的にそうなった。



夫の仕事は空手家で、世界中どこにでもいわゆる”チェーン”がある。彼はニューヨークでそのチェーンを引き継ぐ予定で、日本に一時帰国してきた。

ところがそこで、私と出会ってしまう。私は10代の頃からニューヨークに住みたいと思っていたし、格闘技が大好きだったから、彼と出会ったときに”うわあ!よっしゃ運命キターーーーっ”と思ったのだ。

彼は苦労して永住権も手に入れていたし、いっしょにニューヨークに行くことを考えていた。ニューヨークでやりたいこともあった。

しかし彼の希望はちがった。

一度ちがう国に出たことによって、圧倒的な日本の素晴らしさ(四季もそうだし人の精神性も社会的なサービスも、春の風も、緑の濃さも、すべてにおいて体感的に)を痛烈に感じており、永住権を投げ打ってでも日本に戻りたいという希望をもっていた。

彼の日本の未来への情熱に共感し、私はあっさりNY行きをあきらめた。


結婚をして都内に家をもった。さあ、これから落ち着いてという話になるかと思いきや、関東各地のチェーンに空きが出て、あちこち任されそうになっては、なぜかポシャるということを繰り返していた。

その最後のひとつが、横須賀だった。

もうあれこれ翻弄されるのはいやだと思っていた矢先に、まさかの横須賀。

夫は私に断られるだろうと思ったらしい。しかしなぜか私は、よく考えもせずに直感で「引き受けてみたら?」といってしまったのだ。

そこから夫の生活が、超ハードになってしまった。その頃、新築ができるまで仮住まいをしていた足立区から、三浦半島の先端、三崎口まで通う日々。ところが夫はまったく苦ではないというのだ。

なぜなら、横須賀が好きだからと。緑もいっぱいで、電車から海が見えると、ほっとする。人もやさしいし、なんといっても子どもたちの目がキラキラしている、というのだ。

そう聞いてもまだ、私は故郷をきらっていた。
私の傷はそう簡単に癒えるものではない、と思い込んでいた。


ある日、新大久保で焼肉をつつきながら、夫がいった。
「そろそろ体力的に限界を感じるんだけど・・・」

体が資本のお仕事なのにそんなことを言わせてはいけないとおもった。これまで、週末は妹の家に世話になったり、ホテルに泊まったりしてもらっていたけれど、そろそろ私は腹を決めなければならない。
「わかったよ。住むところがあればすぐ引っ越ししよう」

ネットで適当に不動産屋を探し、適当に問い合わせをしてみると、すぐに電話がかかってきた。それでその場で決めたのだ。内覧もせずに、今の住まいを。

さよなら。お気に入りだった部屋。


引っ越し当日の夜は、泣きべそをかきながら、エアベッドを広げてリビングに寝た。少し雨も降っていた。やっと手にした家とも、大事な友達とも、涙で別れてきた。東京暮らしが楽しかった。東京が大好きだった。

明日から生活変わるんだろうな。じわじわさみしくなるのかなあ。飲んだらまっすぐ帰ってこれないだろうなあ。。。眠りについた。

翌朝、なにやらまぶしくて目が覚めた。すると、

生まれたての朝日がまっすぐと海の道を照らしてくれていた。おどろいて思わず夫を叩き起こした。そして私の不安はこの朝すべて吹っ飛んだ。


なんて美しいところにきたのだろう。
こんな美しいところだったんだ。
こんな美しいところで私は育ったんだ。

風景が、太陽が、私のこころを和ませてくれたのだ。



この地に戻ってきて3年が経過した。 あんなにきらっていたのに、海も山も緑も豊かなこの土地を、今はじんわり愛しく感じる。

この土地にだけではないけど、
ここに私を置いてくれることにじんわり感謝している。

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