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擬洋風の最高傑作「開智学校」

2020年某日

家族とともに長野旅行へ出かけました。その際に私が初めて見たい!と思った近代建築です。
教科書に大きく写真がのっており奇抜な見た目にとても惹かれました。
変な天使…

ぜひ!松本開智学校を見学する際の参考にしてください!
※現在修復中です!訪れる際は事前に情報を確認してください!


松本開智学校とは?

門柱
開智学校

開智学校は1876年に建てられた小学校です。
学校建築としては初、近代建築として三番目に国宝に指定されました。
擬洋風の最高傑作としてその名が知られています。
擬洋風とは文明開化の時期(1870~1889あたり)に現れた建築形態の総称で洋風建築を学んでいない地方の棟梁が見様見真似で洋風建築を再現したものを差します。
なので洋風建築にはない不自然さや棟梁らしい和風建築の技術が使われています。

建物はもともとは女鳥羽川のほとりにありました。
1959年に台風による水害を受け校舎を保存するために一部が移築されました。もとはもっと大きな校舎でした。


校舎は1万1千万円で建てられました。当時の一軒家を建てる値段は1550円くらいなので物凄い大金であることが分かります。
しかもこの7割地域住民の方が負担しています。(残りは特殊寄付金や廃寺を取り壊して出た廃材を売ったお金)
当時の近代化に対する思いが分かりますね。

「社会のどういう階層のどういう家の子でも、ある一定の資格を取るために必要な記憶力と根気さえあれば、博士にも官吏にも軍人にも教師にもなりえた。」坂の上の雲:冒頭

子供たちには広い世界で活躍してほしい…
そのような思いがこの建築には詰まっています。

永山盛輝と立石清重

永山盛輝(もりてる)は教育県令(今でいう知事)と言われるほど教育に力を入れた人物でした。
1873年に筑摩県(長野の中間部)の県令に就任した永山。
1872年に発足した学制を支持、県内を巡回し教育の必要を説いて回り600もの学校を設立させた。
未就学児が学校に通わないとあれば警察を使って通わせるなどし、1875年には全国の平均就学率が30%だったのに対し70%という記録を残しています。
永山は開智学校の建設現場に足繫く通っていましたが、完成を見ることなく新潟県令となっています。
新潟県議会議事堂など彼の政治で生まれた建築が遠い新潟の地にも残されています。

立石清重(せいじゅう、きよしげとも)は県内でも名のある宮大工でした。
永山が立石清重に建設の依頼を行い立石は東京、横浜の洋風建築を2回に渡って見て学びました。
また道路県令 藤村紫朗が校舎などを設立した山梨にも訪れています。
立石は息子を開成学校(現東京大学 医学部)に通わせたり、東京日日新聞(毎日新聞)を定期購読するなど近代化に機敏に反応した人物と言えます。
現存はしていませんが長野の学校や裁判所、議事堂などを手掛けています。

装飾の分解


車寄せ

車寄せ周辺は大きく分けて4つに注目します。
※車寄せは後年の復原

1.塔

やはりこの校舎で一番目立つのはこのだと思います。
この塔は藤村式という山梨にて良く見られる擬洋風建築に見られる特徴の一つです。
太鼓楼つまり時計の役割をもつ塔です。
また、アーチ風の花頭窓が八角形の塔につけられています。
八角形は色んな意味があり、この建築の場合は天皇の支配が四方八方に及ぶことを表現しているか、縁起担ぎの意味があると考えられます。
また頂点には東西南北と書かれた風見鶏風モニュメントが置かれています。

2.天使像

破風の下にはきもかわいい?天使像が開智学校と書かれた題字を持っています。これは開智学校のトレードマークと言える存在です。
こちらは立石が購読していた東京日日新聞に発想を得たものとされています。

東京日日新聞

天使が題字をもつという形式はヨーロッパの啓蒙書や科学書に見られます。
意味としては真理を射抜くという意味を持つキューピットですが、天使と合わさって使われました。
日本でも同じく科学書や啓蒙書に天使が使われ、東京日日新聞にも使われました。
天使を用いた詳しい理由は不明ですが、近代になって使われた新しい時代の象徴、知識書に使われることから学校のイメージに合っており、なにより開智という名前に合わせて採用したと考えるのが自然でしょう。

3.雲形の板(手摺?)

こちらは開成学校のものを参考にしたのではないかと考えます。
立石は2回に渡り東京、横浜の洋風建築をすべて見て回り手帳に残しています。その中でも立石は開成学校・大蔵省を特に参考にしたとされます。

開成学校

中央に雲型の板があると思います。また、自分の子供が通っていたこともあり、思い入れが強かったのではないかと思います。

4.龍の彫刻

欄間に龍の彫刻が見られる

欄間部分にはが睨みを効かせています。
この彫刻は開智学校が建てられる前に使用していた廃寺の彫刻であるとされています。
この時期の校舎には欄間の部分に彫刻を置き睨みを効かせる動物が置かれる事があったそうです。岐阜高山の学校には鷹が睨んでいました。

漆喰の装飾

石のように見えますがこちらは石に見かけた漆喰装飾です。
塔にも煉瓦風のものがみえます。
洋風建築におけるこの部分の石は基礎や角石の部分で建築をより強固にする意味があります。
しかしながらその意義を分からなかった立石はあくまでも装飾として取り入れたという事が分かります。

観音開きの扉も漆喰で装飾され可愛いです。

内装について

開智学校教室

開智学校の内装について簡単に説明します。
(写真不足で詳しい説明が難しいです)

足りなかったお金

なんと天井はでできています。
なぜ紙なのか・・・
それはお金が足りなかったからです。
先ほど1万1千円という大金が使われたと書きましたがそれでは足りなかったのです。
また記念すべき建築にも関わらず銘木(名のある木、屋久杉など)を使わないなど節約していたことが見られます。

ただ当時としては珍しい輸入品の色ガラスを使うなどこだわりも見られます。
(中込学校を参考にしたのかもしれません)

お土産

昔の教科書のレプリカ
部位が細かく書かれたクリアファイル
正面が大きく書かれたクリアファイル
開智学校のピンバッジ(ずっと筆箱につけてるお気に入り)

以上が開智学校へ訪れた際のレポとなります。

参考文献


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