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2021冬 - 振り子式と、スイッチバックと、路面電車と ②1日目その2

【まえがき】
ご覧いただきありがとうございます。その1だけで4000字消費してしまって書いた自分が一番驚いてます。今回も長いです。
それでは出発進行!

↓前回

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これが本物の「ローカル線」木次線をゆく

(宍道→木次)

 さて、宍道駅での用もだいたい済んだので次の列車に乗っていく。
 ホームの乗換案内に書かれている行き先は「出雲大東・木次 備後落合・広島方面」。これが指しているものは他でもない、ここから分岐している木次線だ。広島県は庄原市にある備後落合駅までの81kmを結び、かつては広島までの陰陽連絡を担っていた、重要な路線である。しかし、利用してみればわかるが、今やそんな役割は影も形もない、全国有数のローカル線となってしまっている。そんな木次線の現状を、これから確かめに行こうと思う。

 木次線の列車は原則として3番乗り場から発車する。休日を中心に「奥出雲おろち号」というトロッコ列車が走っており、現在の木次線の需要を支えるキーとなっている。しかしこれも来年3月の運行終了が発表され、いよいよ危うくなってきた。

 13時46分、松江方の留置線からのっそりとやってきた、14時ちょうど発の備後落合行き。車両は「キハ120系」気動車で、JR西日本のローカル線で幅広く使われている。
 ちなみに、木次線の終点である備後落合駅まで行ってくれる列車はなんとこれが最終で、以降は途中の出雲横田駅、あるいはさらに手前の木次駅止まりになってしまう。絶対に乗り遅れられない。

 14時ちょうど、時刻通りの発車。すぐに左にカーブして山陰本線と分かれる。車内には10人ほどが乗っていて、だいたいは学校帰りの高校生。意外にも僕と同じ観光目的らしき人が誰もいなかった。とはいえ、宍道寄りはそれなりに需要がある路線になっているようだ。

 しばらくは結構なスピードで快走する。レールのジョイント音が心地よい。

 小駅の南宍道は乗り降りなし、木造駅舎と交換設備まである加茂中は3人下車、昔は駅員さんがいたらしい幡屋では1人乗車、とわずかながら乗客が入れ替わっていく。

 向かう先に大東の街が見えてきた。先ほどの大山は曇っていたが、今はすっきりと晴れている。青空で、こののどかな景色もより映える。

 出雲大東駅の周辺は結構にぎやかで、建物が立ち並ぶそれなりに大きな街だ。利用者数が木次線内で最も多い駅というのも納得である。ここで5人が一気に降りていった。

 次の南大東駅は中心部からは外れたところにあるような小さな無人駅。とはいえまわりには住宅も何軒かあって、ここで2人が乗ってきた。

 南大東駅から少し進んだところで、保育園か何かだろうか、子供たちに手を振られた。この場所を通る列車は決して多くないが、それでも木次線が人々に親しまれているというのはよくわかる。だが、彼らが大きくなったとき、木次線は走っているのか……それはまだわからない。

 14時34分、木次駅に到着。向かいの線路には発車を待つ上り列車がいる。木次駅はまさに木次線の中枢ともいえる重要な拠点である。路線と駅の運営を担う鉄道部とともに車両基地が設けられていて、2021年の春に7両が出雲に転出するまでは木次線のほとんどの車両が木次の基地に所属していた。町の規模としても木次は大きく、2006年に誕生した雲南市はここが中心部となっている。
 当駅で10人がごそっと下車し、車内はガラガラになった。

(木次→出雲横田)

 2分の停車を経て少し身軽になった列車は、引き続き備後落合を目指す。木次駅からは利用者が減るため、列車の本数もちょっと少なくなる。

 「小いさな展示場」という看板が掲げられた(決して記事上の誤植ではなく実際にそう書かれている)日登駅は、これまた古い駅舎が現役だ。時間帯にもよるが駅員さんも委託で勤務しているという。ちなみになぜか駅前にはソテツが植わっており、謎の南国感を演出している。ここで1人が下車した。

 日登駅から次の下久野駅に向かっている間は、突然スピードがダウンして、のろのろと走るようになる。JR西日本の閑散線区ではよく見られる、人呼んで「必殺徐行」というもので、たとえばここでは時速25km制限がかかっている。公式の呼び名ではなく、理由なども明かされていないが、「保守費用の削減」が目的だと思われている。そもそも、木次線をはじめとしたローカル線は維持費に対して収益が少ない。そのため、地盤が弱かったり過去に落石や雪崩があったりするところ、つまり保守費用が多くかかるところを中心に列車の速度を下げることで、費用を抑えている、というのが以前から考えられている理由の一つだ。また落石や雪崩に起因した「安全確認」も目的の一つだと考えられる。あくまでもこれらは推測で公式なものではない。だが、この徐行が、木次線の利便性を下げる一因にもなっているのは確かだ。

 列車は久野川の渓谷沿いを上りながら、トロッコ列車かのようにゆっくりと進む。反対側はすぐ山肌で、なるほどこれは保守費用も多くかかる。しかも僕の他にいる乗客はたったの2人。土曜日の昼間といったらこんなものだろうか、しかし少ない。おまけに対岸を走る自動車の方が圧倒的に速く、ものすごい勢いでこちらを追い抜いていく。木次線が普段使いできないのも何となくうなずける。地域交通としての役目をほぼ捨てて、今の木次線が存在しているといってもいいかもしれない。

 日登駅からの7㎞弱に15分をかけて、交換設備があったと思われる下久野駅に到着。谷沿いにあって人家は少ない。ここでの乗り降りはなかった。

 列車は下久野トンネルに入った。全長2241m、木次線内では最も長いトンネルだ。このトンネルも時速30kmほどのゆっくりとしたスピードで進むので、先に見えている出口が遠いこと遠いこと。山の中に突っ込んでいるので携帯電話ももちろん圏外。

そんな状態が7~8分続くので、気が狂いそうだった。閉所恐怖症の人には少々厳しいかもしれない。

 長いトンネルを抜けると雲南市から奥出雲町へ自治体が変わる。並ぶ家々を見下ろすとその先にあるのが出雲八代駅で、ここにも古い駅舎が残っている。改札口の横にかかっている駅名標も、ムードを演出するのに十分だ。ホームが映画の撮影に使われたこともある。

 列車はぐるっとカーブを描きながら、段々になっている田畑を見下ろして進む。もう収穫も終わって少し色があせてきている。すっかり冬だ。

 そのあとの出雲三成駅には、ガラスの塔を持った物産販売所が同居する立派な駅舎がある。太陽の光がガラスに反射してまぶしい。なかなかインパクトのある駅だ。ここで木次行きの上り列車と行き違う。

 列車は制限速度にあわせゆっくりと、斐伊川に沿って走っていく。車窓に何かあると徐行はむしろありがたかったりもするが、あまり長く続くと飽きてしまう。難しいものだ。

 次が亀嵩駅で、駅舎の中にそば屋さんが併設されている。松本清張の有名な推理小説「砂の器」の作中で登場しており、1977年と2019年にフジテレビで放送されたテレビドラマ版では、この駅で撮影が行われた。ちなみに1974年の映画版では、いろいろな事情があり同じ木次線の出雲八代駅と八川駅が撮影に使われた。
 せっかくだからここで昼食としたかったが、時間の都合で今回はできなかった。「サンライズ出雲」に乗ってくることができれば可能だったかもしれないが……。

 亀嵩駅で僕以外の2人がどちらも下車し、とうとう乗客は僕一人になった。列車はすいているに越したことはないのだが、逆に貸し切りだとどうも落ち着かない。

列車はディーゼルエンジンをうならせながら、少し日の落ちてきた奥出雲をさらに奥へ進む。

 15時36分、出雲横田駅に到着。ここで16分の小休止だ。

 出雲は神話の里として有名で、木次線の一部の駅には日本神話にちなんだ愛称がつけられている。たとえば木次駅は「八岐大蛇(やまたのおろち)」、この出雲横田駅は「奇稲田姫(くしいなだひめ)」。奇稲田姫は日本神話に登場する女神の一人で、スサノオがヤマタノオロチを退治するときにスサノオの妻となり、櫛に姿を変えた。彼女を祀った稲田神社は当駅が最寄だ。

 駅舎は1934年の開業時に建てられたもの。神社を模したどっしりとした造りになっていて、入口の上には出雲大社に倣ったしめ縄が飾られている。

 ここまで来たが、木次線できっぷを売っている駅が簡易委託とはいえここまでたくさんあるのは正直意外だった。今のところ、駅舎のない南宍道、幡屋、南大東以外はすべて駅員さんがいて、きっぷの販売を行っている(木次駅だけはJR直営で、その他は委託)。木次線が地元の支えでかろうじて現代に生き残っているという一つの証になるだろうか。

 出雲横田駅を境にして、列車の本数は激減する。時刻表を見てもその差は歴然で、備後落合方面は定期列車がたった3本しかない。僕が乗っている15時52分発の列車が最終で、残りはすべてここで折り返しとなる。

 備後落合駅を14時41分に出た宍道行きの列車が向こう側にやってくると、まもなくこの備後落合行き「最終列車」も発車だ。

(出雲横田→備後落合)


 15時52分、時刻通りに発車。木次線でもっとも静かな区間の始まりだ。ここで2人が乗ってきて、貸し切り状態は解消された。

 しばらく横田の街を走る。意外と建物も多く、生活感のあるところだ。

 出雲横田駅を出て最初の駅が八川駅。ここにも駅前にそば屋さんがある。改札口の前には雪除けのように屋根がついていて、列車に乗りやすくなっていた。なんとここで1人が乗ってきた。まさかこの区間で乗客が増えるとは、まったく考えていなかった。

 八川駅からは再びスピードを落としてのんびり走る。ここからは島根県と広島県の境を越える区間であるため、列車は標高を稼ごうとぐいぐい坂を登っていく。最大30パーミル、蒸気機関車では少しきついだろう上り坂だ。

 国道と川に沿って走ると出雲坂根駅に到着する。山奥のどん詰まりのようなところだ。

出雲坂根駅は、JR西日本管内では唯一の3段式スイッチバックが存在する駅で、列車は何度か方向転換をしながら次の三井野原駅を目指していくことになる。この駅の標高は564m、5mしかなかった宍道駅からすでに結構登ってきているが、次の三井野原駅は726m、この一駅間6.5kmで170m近くを一気に駆け上がらなければならない。しかも、地形図を見ればよくわかるが、地形の関係で一直線に線路を引くことができない。そこで、「スイッチバック」という列車の進行方向を変えながら進む方式が採られた。勾配に弱い鉄道ならではの設備だ。

 延命水の湧口を見ながら出雲坂根駅をあとにすると、列車はまずポイントを渡る。そこで宍道方面からの線路とわかれ、エンジンをうならせながら坂を登る。

登りきったところで備後落合方面からの線路が合流してきて、いったん停止。再び列車の進行方向を変えて、備後落合方面へ進み始める。先ほどまでいた出雲坂根駅はすでにはるか下だ。

 第三坂根トンネルを抜けると、右手に見えてくるのが国道314号の「奥出雲おろちループ」。この区間の道路事情を一気に改善させた立役者であり、またこの区間の木次線にとどめを刺した張本人だ。この区間では、サービスでの徐行なのか、それとも必殺徐行なのか、非常にゆっくりと走っているので、おろちループの壮大な姿を列車から拝むことができる。

 かつては、このとんでもない高低差と地形の険しさゆえに、鉄道だけでなく道路の方もかなりの苦労を強いられていた。旧道は山肌を縫うようにカーブを連続させて敷かれており、国道ならぬ酷道といってもいいようなものだったそうだ。そんな過酷な道路状況を改善すべく建設されたのが奥出雲おろちループで、道路はまさにヤマタノオロチがとぐろを巻いたかのような二重ループを描きながら、全長2.3kmで高低差105mを駆け上がることになる。区間内には11個の橋と3本のトンネルが連なっていて、一部の橋は木次線の車窓からも望める。圧巻の光景だ。木次線のこの区間が「観光路線」としてギリギリ姿を保っている要因であるのもよくわかる。
 そんな美しい光景の裏には、やはり自然の厳しさも隠れていて、1983年3月には下り列車が脱線してがけ下に転落した。原因は雪解け水で線路が浮いていたから、とのことである。この大事故が理由の一つとなっているかはわからないが、豪雪の場合、出雲横田駅から備後落合駅までの間は運休することがある。雪深すぎて除雪が追い付かないらしい。

 坂を登りきって三井野原駅に到着。先ほども述べた通りこの駅の標高は726mで、実は木次線内のみならずJR西日本管内の駅では最も高いところにある駅だ。そんなこの駅の愛称は「高天原」、まさに天の上にあるようなところである。

 三井野原はスキー場があり、ゲレンデがゆるやかなので初心者にもおすすめなのだそう。宿泊施設も充実しており、実際に車窓からも旅館がたくさんあるのがわかる。しかし今は雪もなく、ひっそりとしている。今シーズンからは規模の縮小でリフトの運用がなくなったらしく、苦しい状況にあるようだ。

 列車は広島県庄原市に入り、ここまで登ってきた分をぐいぐいと下っていく。すでに夕日の光も入らなくなった山の中をゆっくりと進む。

広島県に入って最初の駅が油木駅。駅舎はすでに取り壊されており、かつてはそこにかかっていたであろう駅名標は待合室の壁に移動している。

 油木駅からの6kmほどをゆっくりと下りながら進むと、芸備線の線路と合流。宍道を出て3時間、やっと他の路線のレールに出会った。

 17時01分、1分の遅れもなく終点の備後落合駅に到着。これで木次線は完全乗車となった。

1日目その3につづく!


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