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上野発仙台行き「ひたち3号」常磐路を駆ける!

※今回は写真を載せません。そういうチャレンジです。
風景を見たい、という方はぜひ動画の方もよろしくお願いします!

https://youtu.be/TjRqkvoGbhE

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「Terminal」上野駅とひたち号の話

 長年の伝統、上野発の北へ向かう優等列車。
 常磐線から、その灯が消えようとしている。

 「ひたち」。東京の品川駅から、常磐線をひたすら進み、いわき駅・仙台駅までを結ぶ特急列車だ。
 常磐線は古くから東北本線のバイパスルートとして活躍してきた。1958年には東北初の特急として「はつかり」が上野駅と青森駅の間に設定。1965年には寝台特急「ゆうづる」が登場し、大変な賑わいを見せた。1982年に東北新幹線が開業して、東北本線や上越線から優等列車が続々と姿を消す中、茨城県から福島県浜通りという独立した需要を持っていた常磐線は、上野駅を拠点とした特急街道としてその勢いを失うことはなかった。そして、その中心にいるのが「ひたち」である。
 「ひたち」は1969年に上野駅と平駅(現在のいわき駅)までを結ぶ列車として始まり、急行列車を巻き込みながら増発を繰り返した。1989年には長距離・速達便を「スーパーひたち」として分離させ、短距離便も1998年からは「フレッシュひたち」にリニューアル。2015年に長距離便を「ひたち」、短距離便を「ときわ」に再編し、同時に品川駅までの乗り入れも開始して、現在に至っている。
 先にも述べた通り常磐線の特急列車は首都圏と茨城県や福島県浜通りの需要を主に担っているが、実は数少ない東北特急の生き残りでもある。1時間に1本ペースで品川駅からいわき駅まで設定されている「ひたち」の中で、3往復だけいわき駅より先、仙台駅までロングランする列車が存在する。さらにそのうち下りの1本、3号だけは品川駅ではなく上野駅を始発としている。まさに古の東北長距離特急の流れを直に受け継いでいる列車なのだ。
 しかし、2022年3月のダイヤ改正で、この「ひたち3号」も利便性の向上を目的に、上野東京ラインへ直通し品川駅始発に揃えられることが決定。さらに、土休日はすべての常磐線特急が品川駅始発に変更となることから、上野駅の地平ホームを特急列車が出発していく機会はぐっと減ることになる。もちろん仙台行きの「ひたち」がなくなるわけではなく、上野駅が実質的な常磐線特急のターミナル的存在ではあり続けるわけだが、やはり個人的には、上野駅の地平ホームから出発してこその特急列車というイメージが強いので、がっかりもした。
 上野駅始発のわくわく感を味わわずには終われないと考えたので、今回は「ひたち3号」上野駅始発としての最後の姿を目に焼き付けつつ、常磐線の乗り通し旅を楽しんでいく。

上野からの旅立ち、130km/hの俊足列車

 2021年12月29日朝、上野駅にやってきた。どっしりとした駅舎、壁画のある広々とした中央改札は昔から変わらない。
 ここは「北の玄関口」と呼ばれ、かつては東北や中部方面に向かう特急列車や急行列車が、昼行夜行問わずひっきりなしに発着していた。仙台、盛岡、青森、秋田、新潟、金沢、長野……当時見られた行き先は実に多彩なものだ。
 時代が変わり、1982年に東北新幹線と上越新幹線が、1997年に北陸新幹線が開業すると、長距離輸送の役目は新幹線にシフト。在来線から優等列車は姿を消していった。とはいえ、今でも上野駅から新幹線に乗車する人は多く、東京駅には及ばないものの未だに「北の玄関口」の面目を保っている。
 さて、改札口の上にある電光掲示板に目を向けてみよう。宇都宮線や高崎線の方には宇都宮、小金井、高崎、前橋、籠原……と普通電車の行き先が並ぶ。常磐線の方も水戸、土浦などと比較的近距離の地名だ。しかし、常磐線特急列車の方に目線を移すと、2段目にひときわ輝く「仙台」の文字が。これこそが上野駅を8時ちょうどに発車する「ひたち3号」だ。「始発」の表示、そして乗り場は17番線。在来線の地平ホーム、その端に位置する、特急専用ホームだ。
 高架ホームや新幹線の改札口には目もくれずに地平ホームへ向かう。薄暗い空間に13番線から17番線まであり、すべて東京駅方面には直通できない行き止まり式になっている。これほど「ターミナル」という表現が似合う駅もそうそうない。13番線から15番線は宇都宮線や高崎線が主に使用し、特に13番線はかつて「カシオペア」「北斗星」などの寝台特急が、そして現在は「トランスイート四季島」が発車しているホームになっている。16番線と17番線は長らく特急列車専用だったところで、現在も上野駅始発の「ひたち」「ときわ」はこのホームから発車する。今日乗る「ひたち3号」もその一つだ。
 7時23分、「ときわ54号」が17番線に入線、これが折り返して「ひたち3号」に変わる。すでに乗車口には列ができ始めていた。基本的に上野駅止まりの列車は一度乗客を降ろして車内の清掃を行う。

 そばをすすっている間に発車15分前が過ぎ、乗車できるようになった。途中の柏や土浦から乗ってくる人もいるようで空席は目立つが、それでも結構な乗車率だ。
 発車メロディーの「ああ上野駅」が流れ終わって、ドアが閉まる。

 8時ちょうど、時刻通りの出発。13番線から出てきた回送電車と並んで、少しずつスピードを上げていく。僕のボルテージも急上昇だ。
「この列車は、特急ひたち3号、仙台行きです。途中柏、土浦、水戸、勝田、常陸多賀、日立、磯原、泉、湯本、いわき、広野、富岡、大野、双葉、浪江、原ノ町、相馬に停車いたします……」
ひたち号独特のチャイムが流れた後、停車駅が読み上げられた。いわきより先、仙台行きでしか聞けない地名もずらりと並ぶ。
「本日は、特別急行ひたち3号にご乗車いただきましてありがとうございます……」
わざわざ「特別急行」と案内してくれるあたり、この車掌さんもなかなか粋だ。いかにも長距離の優等列車らしい。
 日暮里駅で東北本線などもろもろその他と分かれ、三河島、南千住、北千住と都心の各駅を通過していく。どの駅も人が多いが、「ひたち」はそんなのお構いなしに優雅に走る。
 東武伊勢崎線を右手に見ながら、東京メトロ千代田線の線路が左手に地下から上がってくると綾瀬駅。亀有、金町と下町の駅も飛ばしていく。
 江戸川を渡って千葉県に入り松戸駅を通過。この列車の前身にあたる「スーパーひたち7号」時代は松戸駅に停車しており、なぜか常磐線の特急列車では唯一の存在だったのだが、「ひたち3号」へチェンジする際に柏駅停車に改められた。北松戸、馬橋、新松戸、北小金、南柏と各駅停車のみ止まる駅には目もくれない。
 上野駅から20分ほどで最初の停車駅である柏駅に到着。「ときわ」は当たり前のように止まる駅だが、なぜか「ひたち」はこの3号だけが停車する。朝ラッシュ時間帯に走るからかそもそも他の「ひたち」と比べてスピードが遅く、時間調整のために柏駅に止まっているようだ。とはいえここから乗ってくる人もたくさんいて、僕の隣の席も埋まった。あいにく今日座っているのは通路側で、しばらく車窓は望めなさそうだ。切符を買うのが遅かったのは僕なので仕方ない。
 南柏駅をはさみ我孫子駅を通過。ここで成田線が分かれていって、すぐ車両基地が見えてくる。この時間帯は電車がみんな出払っているのでほぼ空っぽだ。天王台駅の先で利根川を渡り、茨城県に入ると取手駅である。
 取手駅で複々線が終わり、田んぼの間を突っ切る長い直線区間になった。次の藤代駅までの間には「デッドセクション」というものがあり、ここで電気の方式が直流から交流に切り替わる。「スーパーひたち」時代に活躍していた651系だとこのデッドセクション内ではいったん車内の照明が消え、空調も止まるが、現在使われているE657系にはバッテリーが搭載されているため、その心配はない。
 藤代、竜ケ崎市、牛久、ひたち野うしく、荒川沖と通過していく。このあたりはいうなれば東京のベッドタウン的位置だ。
 桜川を渡って、柏駅の次の停車駅である土浦駅に到着。茨城県南部の中核都市で、人口は県内第6位。商業規模も大きい。一方でレンコンの生産量が日本一だったりもする。
 神立、高浜、石岡、羽鳥、岩間。このあたりでは左手に筑波山を望むことができる。高浜駅周辺は建物も多くなく、のどかなところだ。「ひたち」はそんな区間を最高時速130キロで走り抜ける。
 友部駅で水戸線が合流して、内原、赤塚と通過。梅の名所である偕楽園が見えてくると、いよいよ水戸駅に近づく。
 上野駅から約1時間20分で水戸駅に到着。言うまでもない茨城県の代表駅だ。ここで乗客が大きく入れ替わる。
 左に水郡線、しばらくして右に大洗鹿島線が分かれていき、那珂川を渡るとひたちなか市に入って勝田駅に到着する。常磐線の車両が所属する車両基地の最寄り駅になっており、半数以上の「ときわ」を含めこの駅を終点とする列車も多い。勝田駅を発車してすぐ、左手に見ることができる。
 佐和、東海、大甕と相変わらず容赦なき通過を見せる。東海村は原子力関連の施設が多く立地しているところで、「村」と名乗るにはかなり豊かなところだが、臨界事故などリスクも背負ってきている。
 常陸多賀駅から日立駅にかけては工場などが立ち並んでいて、日立製作所のお膝元らしい。「ひたち」でも東京と日立の間を利用するビジネスマンが多くいる。
 小木津、十王、高萩、南中郷を通過して、茨城県内最後の停車駅である磯原駅に着く。このあたりからようやく太平洋が近くなってくるが、木々に阻まれてあまりよく見えない。
 大津港駅を通過して、トンネルを抜けるといよいよ福島県に入り、勿来駅を通過。勿来の関は関東と東北を隔てる重要な関所で、「来るなかれ」ということから来ている名前らしい。この区間では太平洋も美しく見える。
 植田駅を通過して福島県最初の停車駅が泉駅。広い貨物ヤードがあって、小名浜港へ向かう貨物線が分かれていく。工業地帯を抜けると次の湯本駅で、こちらは「スパリゾートハワイアンズ」の最寄り駅として観光の拠点の役割を持つ。
 いわきの市街地に入って内郷駅を通過し、少しずつスピードを落とす。左から磐越東線の線路が寄り添ってくると、いわき駅に到着だ。ほとんどの「ひたち」はいわき駅が終点だが、この列車を含めた3往復はさらに先へ進む。
 福島県は太平洋側から浜通り・中通り・会津に3区分することができ、いわきはその浜通り最大の都市である。駅の南に伸びる通りにはビルが立ち並び、一方の北は戊辰戦争の戦場となった磐城平城の跡が丘の上に残る。

傷跡をたどる、常磐線のローカル区間

 遅れることなくいわき駅を発車し、旅は後半。震災前は、利用者が少ないということで、7両+4両の編成のうち7両の方を切り離し、短い4両を先へ向かわせていたが、現在は切り離しを行うことなく、10両フル編成で仙台まで走る。いわき駅まででだいたいのお客さんが降りてガラガラになると予想していたのだが、それに反してまだかなり乗車率が高い。やはり年末年始だからだろうか。10両で運転する意味を感じられるほどの需要があって非常に安心した。

 失礼な話だが、いわきを出るとしばらく大きな街はなく、原町までは小さな町が連なるような区間だ。
 浜通りはもとからこれといった産業がない土地で、春から秋は農業をし、冬は東京まで出稼ぎ、というようなところだった。
 そこにやってきたのがそう、原子力発電所であった。莫大な利益を生み出す原発を建てれば、この地はきっと豊かになる。誰もがそう願って、ここに原発を誘致したのである。
 そして、その願いは現実となった。かつての「ひたち」は東京から原発関連の仕事で大野駅や双葉駅までを利用する人も多かったという。未来のエネルギーによって明るい暮らしが現出された、そのはずだったのだ。
 そう、あの日までは。

 電留線のある草野駅、リニューアル工事真っ最中の四ツ倉駅を通過し、ここで複線から単線に変わる。スピードもあまり出せなくなるので、一気にローカルみが増した。
 四ツ倉駅から久ノ浜駅までは常磐線でも随一の絶景ポイントで、太平洋をすぐ近くで見られる。今日は天気もそこまで悪くなく、とても眺めが良い。ホームから海が見える花の駅、末続駅を通過してその次が広野駅だ。
 まだ新しいJヴィレッジ駅と、木戸駅、竜田駅を続けて通過し、富岡駅に到着。富岡駅は津波が直撃して市街地もろとも壊滅したところで、現在の駅は2017年10月の再開に合わせて再建されたものだ。まだまだ再開発の途中、新しい建物や更地も目立つ。
 富岡駅から浪江駅までの20kmあまりが、常磐線で震災の被害を受けた区間のうち最後に開通した区間である。理由は他でもなく、原発事故に伴う帰還困難区域に指定されていたからだ。再開したのは2020年3月14日、線路など設備周辺、駅前を入念に除染して避難指示が解除されてからだった。そして、それと同時にいわき駅以北に特急列車が戻ってきた。
 春から夏にかけては桜とつつじが美しい夜ノ森駅を通過すると、線路わきに柵が出現。まだ線路の外は帰還困難区域のままだ。震災から10年、まだ手付かずのところも多いようで、だいぶ荒れている。ようやく新たな一歩を踏み出したばかりなのだ。
 福島第一原発に続く高電圧線が見えて、大熊町の市街地に入ると大野駅。役場機能を比較的線量の低い地区に移したため、特に施設がない駅周辺は静まり返っている。これから少しずつ、住める範囲が広がっていくだろうか。
 人の消えたところを走って次の双葉駅に着く。もとは向かい合って2つホームがあったが、今は1つにまとめられ、反対側には使われなくなったホームが残っている。隣の大熊町と違い双葉町はいまだに全域に避難指示が出ていて、今年春にやっと駅周辺の解除が決まった。双葉町の新たな歴史が、動き出そうとしている。
 トンネルを抜けると帰還困難区域は終わり、そこは焼き物と焼きそばで有名な浪江町。「DASH村」がある町だ。
 浪江駅の次、南相馬市に入った桃内駅で、ここで仙台駅10時14分発の「ひたち14号」品川行きとすれ違った。小高駅は「スーパーひたち」時代に止まっていたものがあったが、今は普通列車のみの停車。春は菜の花がきれいな磐城太田駅を過ぎて、いわき駅から1時間ほどで原ノ町駅に到着だ。
 原町は浜通り第2の都市で、宿場町として栄えてきた。毎年7月にこの相馬エリアで行われる相馬野馬追が有名で、原ノ町駅の駅舎はそれにちなんでリニューアルされている。常磐線の運行上でも重要な駅になっており、普通列車はすべてここで折り返すほか、震災前は原ノ町行きの「スーパーひたち」も存在していた。
 普通列車の車両がこれまでの青帯・E531系から、東北仕様の701系・E721系に変わり、いよいよ「東北」感が増してくる。僕の第二のホームグラウンドである鹿島駅と、コンパクトな無人駅の日立木駅をスルーして、次の相馬駅に止まる。ここは藩もおかれた城下町だ。
 相馬駅を出ると終点の仙台駅まではノンストップ。駒ヶ嶺駅の次の新地駅手前からは震災前と異なるルートで、これは浜吉田駅までの区間が津波で大きな被害を受けたからだ。新地駅では停車中の上り列車に津波が直撃したが、偶然乗り合わせた2人の新米警察官によって乗客全員が避難することができ、犠牲者はいなかった。
 宮城県に入って高架橋の上を進み、坂元駅と山下駅を続けて通過。坂元駅は壊滅、山下駅は形こそ残ったものの損傷がひどく、現在は内陸側の新しいルート上に立派な高架駅として再建されている。
 ルート変更区間が終わって浜吉田駅、そのあと亘理駅を通過。亘理町はいちごが名産で、生産量は東北地方トップだ。
 信号場上がりながら利用者の多い逢隈駅を過ぎ、阿武隈川の長い鉄橋を渡ると、日暮里駅で分かれた東北本線と340kmぶりの再会をし、常磐線の終着駅である岩沼駅を通過。常磐線は全列車が仙台駅まで直通するため、岩沼駅はあくまで籍上の終点になる。
 ローカル線気分の抜けた「ひたち」は東北本線をラストスパートとばかりに駆け抜ける。住宅地の中にある館腰駅、仙台空港アクセス線が寄ってきて名取駅。南仙台駅からがいよいよ仙台市内で、東北新幹線とここで並ぶ。高架橋に上がって太子堂駅を過ぎ、最後の途中駅である長町駅を出ると、終点を告げるアナウンスが流れる。
「まもなく終点、仙台に到着いたします。東北新幹線、東北本線、仙石東北ライン、仙山線、仙石線、仙台空港アクセス線、仙台市地下鉄線はお乗り換えです。どなた様もお忘れ物のないようお仕度願います……」

 12時29分、時刻通りに「ひたち3号」は仙台駅の1番線に到着。上野駅から4時間29分の旅だった。
 新幹線ではたったの1時間強で走破できてしまう距離だが、「ひたち」で4時間半かけて行くこの道のりが僕は大好きだ。最後の東北特急の生き残りとして、常磐路のエースとして、変わらぬ存在であり続けてほしいと切に願う。

ー完ー

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