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天然の冷凍庫と自作スイーツの思い出 ーおいしいはほろ苦い

先週テレビ番組で「お菓子の変わった食べ方」が話題になっていた。

バウムクーヘンの年輪を剥がして食べる、とんがりコーンを全部の指に入れて食べる、「きのこの山」のチョコとクラッカー部分を分解して食べる。何れもことごとく通ってきた。あと話題には出なかったが、サクマドロップスの缶に水を入れて「ドロップ水」を作ったり、風月堂のゴーフルは必ずパッカリ二枚に分解して食べた。なぜそんなことをしていたのかは分からない。小さな遊びを通して、美味しさだけでなく楽しさも追求していたのかもしれない。

他にどんな食べ方をしてたっけ、と振り返ると、思い出すことがある。

寒い冬の夜、カップ入りのゼリーを軒下で一晩かけて凍らせる。
雪が積もっている日は、雪の中に埋める。
それを翌朝取り出して食べる。

自然の冷気でひと晩かけて凍らせたゼリーは、シャリシャリとほどよいシャーベット状になる。フルーツが入っていたりすると、種類によって凍り方が変わっておもしろいアクセントになる。こんにゃくゼリーのように弾力のあるものは、独特のなめらかでどっしりした食感が楽しめる。ゼリー以外にも食感の変化を楽しめるものは色々ある。例えばヨーグルトなどは、まるでアイスクリームのようにクリーミーな食感になって、舌の上でゆっくりと溶けていくのがなんとも快感。プリンや杏仁豆腐を凍らせれば、それぞれのフレーバーのアイスクリームが一丁上がりだ。

これらのおいしさを増長させるのは、食感の変化ばかりではない。

ひと晩かけて自然の冷気で凍らせるのだから、すぐに食べられるわけではない。それが良い。翌朝を楽しみに、一晩布団の中でワクワクと夢想する。その時間が食べ物に魔法をかける。

あるとき、シャーベットを一から自作してみようと思い立った。

雪の予報の夜、シャーベット作りに取りかかった。
手頃なサイズの器の中に、水と目分量の砂糖を混ぜ合わせる。冷蔵庫にあったレモンをスライスし、少し絞ってそのままのせてみた。人差し指で砂糖の加減を確かめる。悪くない。明日にはレモンの風味が全体に行き渡り、さらに美味しくなっているはず。私の脳内ではもう、はちみつレモンのような風味の極上のシャーベットができあがっていた。

ラップをかけ、玄関の軒先に持ち出す。しんと暗い冬の空に、ぼたん雪がふわふわと舞い降りていた。おいしくなりますように、と心の中で唱え、供養物のようにうやうやしく軒下に置いた。寒さがぶるっときて、家の中へと急いだ。

その夜の胸の高鳴りといったら。
手作りのシャーベットを食べる翌朝の自分の姿が想像から離れず、眠りにつくのに苦労した。

翌朝起きて、洗面所よりも先に軒下へ向かった。
昨夜のぼたん雪は、こぶしくらいの高さまで積もっていた。半分雪に埋まった容器を両手ですくい上げた。そのシャーベットは、想像していたものとはだいぶ違っていた。

風のせいか、ラップが半分めくれ上がっていた。そこから木の葉とか小石や砂など色んなものが混じり込み、シャーベットの上に浮いていた。予想外の展開に、私は少し失望した。

ともかく部屋に持ち帰り、スプーンで木の葉や砂をどけてみようとした。凍っているために中々しつこかったが、なんとかスプーンを立てられるくらいのスペースを確保した。胸の高鳴りがまた蘇る。おもむろにスプーンを突き立てた。


カツン!


刺さらない。

一晩かけてカチカチに凍ったそのシャーベットならぬ「氷水」は、岩石のように硬かった。どこぞのお笑い芸人もビックリのカチカチ具合だ。ゼリーと違ってゼラチン質ではないから当然なのだが、小学校低学年の私にそのような事情はわからない。シャリシャリのシャーベットを夢想していた私は、心底落胆した。

しかしこちらも一晩待ったのだ。簡単に引き下がるわけにはいかない。とりあえず石油ストーブの前に置いて解凍を試みた。しばらくすると、頑固な氷の壁もゆっくりと溶け出してきた。子ども用スプーンを大人用フォークに持ち替え、アイスピックで氷を削るバーテンダーばりに、ガンガンガンガンと力まかせに突き立てた。夢の中ではシャリシャリ音を立てていた私のシャーベットは、ガリガリと音を立てて無残な氷の塊へと分解されていった。

やっと手に入れた小さな氷のかけらを口に入れた。

その味は、想像とはもっと違うものだった。

砂糖を入れたはずなのに、甘くない。レモンのさわやかな風味はなく、皮の渋みがやたら強く感じられる。要するに、不味い。おそらく砂糖がうまく混ざらず沈殿したのだろう。レモンも砂糖漬けにするなど一手間を加えれば良かったが、横着な性格が裏目に出た。
一言で言うと、とても食べられたものではなかった。

私の初めてのスイーツ作りは、ほろ苦い思い出に終わった。

しかしこの出来事をきっかけに、お菓子屋さんや食品メーカーなどプロの仕事の素晴らしさを思い知った。苦労せずとも美味しいお菓子が食べられることの有り難みを、幼い私は知ることとなった。

あれから数十年。大人になった私は、世の中にレシピという便利な存在があることを知った。

ワーキングマザーとなった今では、毎日のようにレシピサイトのお世話になっている。子供の頃は「自作スイーツ」を一晩寝かせるほどの入れ込みようだった私も、今ではすっかり時短派だ。最近のレシピサイトはよくできていて、#時短 や#10分以内 など、様々なハッシュタグで条件に合うレシピをささっと検索できるようになっている。その日の冷蔵庫がどんな状況であれ、具材名とハッシュタグ検索を組み合わせればたいていの状況は切り抜けられる。
料理にひと晩もかけた末に失敗できるような余裕は、今はない。30分以内に完成して、なおかつ美味しいものが良い。結果重視のワーママにとって、レシピサイトは戦友のような存在だ。

一方で、大道芸人のように鍋やフライパンをジャグリングする日々のなか、ふと立ち止まりたくなる瞬間が訪れる。そんな時はきまって、あの天然の冷凍庫で色々なスイーツを自作していた幼少期のころを思い出す。特に冬の寒さが厳しくなるころに思い出されるのは、初めて手作りしたほろ苦いレモンシャーベットのことだ。

今ならもう少しうまくやれるんじゃないか、と思ったりする。

分量の砂糖と水を火にかけて、レモンは蜂蜜漬けにしておく。ゼラチンの分量は……。

おもむろにスマートフォンに手を伸ばす自分に気づき、哀愁だか可笑しさだか何だかわからない感情が漂う。

レシピ沼は、なかなか深い。

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