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祖父の作る朝ごはん

休みの日によく目玉焼きを焼くのですが、
その時にふと亡くなった祖父のことを思い出すことがあります。

私の実家は二階が祖父母の家、
三階が私の家族が住む部屋と賃貸用の部屋になっています。
だからまだ私が小さかった頃、幼稚園が終わると
祖父母の家に遊びに行ったり、泊まりに行ったりしていました。

泊まりに行くと、その翌日の朝、祖父が朝ごはんを作ってくれます。
その内容は目玉焼きとソーセージ、レタス、トマト、ご飯にお味噌汁といったシンプルなものです。

ゴツゴツとした分厚い手でレタスをちぎったり、卵とソーセージを焼いたり。
私と妹が起きる頃には祖父はいつも台所に立っていました。
腕まくりをして、素早く動いているわけではないけれど、しっかりと立って、作業している後ろ姿。
たまに私や妹がお手伝いしたがり、包丁を持つと、「片手は猫の手だよ」と教えてもくれました。

いつも片足だけびっこを引いていた祖父ですが、出来上がった料理をダイニングテーブルに持ってきてくれます。
私はいつもその目玉焼きにお醬油をちょこっとたらして食べるのが好きでした。
作り終わると、祖父は私と妹が食べている様子を自分の椅子に座って、
満足そうに見ていました。

そんな祖父も、私が社会人になる前に亡くなりましたが、
祖父の作る朝ごはんの記憶は今でも私の中で色濃く残っています。
お酒と煙草の匂いが染みついた祖父の部屋や書物も、もちろん覚えていますが、日常の中で祖父を思い出すのは朝ごはんの思い出です。

人との記憶は日常の中でふと現れ、自分を支えてくれているのだなと感じさせてくれます。そしていつまでも私がこの小さい頃の記憶を忘れないでいるのは、私が朝ごはんを通じて、祖父からの私と妹への愛情を感じていたからだと思います。意識せずとも、自分の記憶に残る思い出というのは、真に自分の心に触れるものです。

「しっかり食べて、しっかり生きよう」

そんな風に感じさせてくれる、祖父の朝ごはんです。

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