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言葉というのは

最近、言葉というのは不思議なものだと感じています。

現在、外資系の会社で派遣社員をしているのですが、
好きな英語を使える機会があるかもしれないと思って、
そこの会社で派遣を始めました。

たしかに、時折英語で電話対応をしたり、
英語のメールがきて読んで、
簡単に英語で返信をするということはあります。
自分の英語が通じたという喜びもあるのですが、
でも他にも英語を使う仕事はあるよなあと思い、
翻訳はどうなのだろう、向いているのだろうかと、
色々調べてみました。

翻訳にも様々な種類があることは分かったものの、
やってみないと分からない部分があり、
ためしに英字新聞の社説を一つ、隙間時間に訳してみることにしました。

やってみると驚いたことに、
自分が普段どれだけ、なんとなくで英語の文章を読んでいるかということ、
そして一つの単語でも複数の意味があるのは
前々から分かっていたのですが、
辞書を丁寧に見ることの大切さ、一文訳すことの大変さが分かりました。

そして言葉一つ、違うだけで、読み手の印象や分かりやすさが違うというのも、発見でした。
現時点では翻訳の勉強を本格的にしてみる段階ではないものの、
異なる文化同士の、文法も違う言語同士が、
たしかに文字として目には見えているけれど、
でも何か目に見えていないものが、
くっついたり、離れたりしているみたいだと感じます。

そして、言葉は不思議だと私が思う、もう一つの瞬間が、
小説を読んでいるときです。
文字として、情景描写や、主人公たちのことは書かれていて、
私は目でその文字たち、文章たちを追ってはいます。

でも、私の目の前に見えるのは、その小説の世界です。
そう思えるのは、書き手の小説家の方々の、言葉の選び方、並べ方があるからこそなのだと思います。
言葉は確実に、そこに、目の前に紙の上にあって、でも見えない。
見えるのは、その中身。
だからといって、選び方をないがしろにすると、
言葉は、ただの部品として、
時には人を傷つけるものにさえなると、最近は思います。

今、ある文学賞に応募するために、
朝、会社に行く前に物語を書いています。
何度か文学賞に応募はしていますが、なかなかうまくいかず。
でも諦めずに、自分のペースで、辛抱強く、
私らしい言葉の紡ぎ方とは何かを探りながら、
書き続けていけたらと、切に思うのです。

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