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漫画村ユーザーの多い街で書店員として働くということ

春の終わり頃まで、ぼくは書店員として本屋で働いていた。今年で5年目だった。
会社の経営不振や個人的な希望などいくつかの理由があって、ぼくはその会社を退職し、今は別のところで働いている。とはいえ相変わらず出版業界にはいて、書店の売上データを見る機会が割と多い。

どこの書店も売上は年々落ちるばかりで、特に雑誌の落ち方はすさまじい。ブランド力のあったファッション誌が相次いで休刊,廃刊に追い込まれていく。でもまぁ確かにぼく自身も雑誌を買う機会はそう多くないし、みんなが買わなくなるのも仕方ないというか、当然のことかなぁと思う。
文芸書や文庫は好きでよく買うけど、大きな街の大型店で買う機会が多く、たまにAmazonで本を注文することもある。

漫画村やMusicFMを利用したことはない。サブスク(定額購入)で言えばSpotifyとNetflix、Amazonプライムを利用している。あとDAZNとか。
たぶんぼくの身近な友人やTwitterフォロワーたちは、ぼくと似たような感覚でコンテンツにお金を払っていると思う。だけどまったく異なる文化圏に棲む人からすると、ぼくのような人間は「情弱」だったりする。タダでマンガ読めるのになんで買うの?音楽にお金を払うなんて旧世代かよ(笑)といった具合に。
たとえ同世代であってもこのあたりの感覚には絶望的な隔たりがある。


**漫画村ユーザーの多い街の本屋 **

5年間の中で何度か転勤はあったけど、幸い、かなり近い地域内(同じ市)での異動で済んだ。
これは仕事を辞めてから知ったことだけど、その街は「漫画村」というキーワードでgoogle検索している人が全国トップクラスで多い街だった。

駅前の書店は「町の本屋」なんて呼ばれ方をよくする。ぼくの職場は「漫画村ユーザーの多い町の本屋」だった。笑えるなーと思ったけど、よく考えると笑ってる場合でもない。通勤電車の中でスマートフォンを触ってる人の画面がMusicFMであることは割と多い。

そんなこともあって、今回は漫画村(とMusicFM)について、日頃から考えていることをちゃんと書いておこうと思った。元書店員という立場もあるが、それ以上に、本や音楽に生かされた大人としての立場のほうが気持ちとしては大きいかもしれない。

漫画村が全盛だった頃にこういう記事を書くと、漫画村のTwitterアカウントから「宣伝してくれてありがとうクマ!」と煽られていそうだが、それを怖れて何も言わなくなるほうが、たぶん怖い。宣伝になってしまう側面は残念ながらあるだろうけど、ちゃんと批判的な態度を言葉にしておくことのほうが、宣伝以上に影響が大きいはずだと信じたい。


**漫画村ユーザーを頭ごなしに批判する気にはなれない **

「漫画村をはじめとする海賊系サービスの存在が売上に響いている」と大手出版社の社長さんは言う。それが実際にどこまで本当のことであるかはぼくは知らない。

通常、書店にはジャンルごとに担当者がいて、売上や商品在庫の管理、陳列やフェア企画などを行う。ぼくはいくつかのジャンルを担当した経験があるのだけど、ちょうどコミック担当をしていたときに勤めていた店舗は、近くに高校がいくつもあって、学生のお客さんが多いところだった。ゆえに全国平均に比べてコミックの売上比率が割と高いのだけど、漫画村の知名度が高まって以降に漫画の売上がガクッと落ちる、というようなことはなかった。

正直に言って、漫画村の影響を強く感じたことはあまりなかった。しかし、これからボディブローのようにじわじわ効いているのかもしれないし、ブラウザでしか漫画を読んだことがない世代が台頭してきたときにもっと壊滅的なダメージを喰らうのかもしれない。「漫画村ユーザーの多い町」の「漫画がよく売れる店」でこんな感じなのだから、他の地域の本屋もだいたい似たような感じじゃないかと思う。

ぼく自身は漫画村で漫画を読もうとは思わないし、MusicFMで音楽を聴こうとも思わない。だけどもし自分が今の時代の中学生高校生だったとしたらどうだろうか。たぶん、使ってしまっていただろうなと思う。

正当化するつもりはさらさらないが、漫画村を使ってしまう気持ちがわかるだけに、漫画村ユーザーを頭ごなしに批判する気にはなれない。時代が時代なら、漫画村で『進撃の巨人』を読んでいたかもしれない中学生の自分に対して、どう言葉をかけたらいいものか……と悩むばかりだ。

海賊版を見てしまう気持ちはよくわかるよ。
わかるけど、でも本当にきみはそれでいいのか? 


** 青信号を渡る **

出版業界にありがちなことだけど、「町から本屋が無くなるのは文化的な損失だから、なるべく町の本屋で本を買ってください!」や「漫画はとにかく初速が命なので、応援したいならなるべく発売日に買って!」といった、客側の善意に寄りかかる姿勢がぼくはあまり好きじゃない。店側の事情で客側に負担かけるのは不健全な関係のように思えてしまう。(それがいい悪いの話ではなくて、あくまでこれはぼくの考え方だ)
そういえば数年前、出版社の公式Twitterアカウントが「書店員さんたちの熱意に応えて、この本は電子化しません!」なんて言っていたこともあった。どこ向いて商売してんだろうと悲しくなった。

Twitterなどでよく見かける「著者にお金が入らないと業界が困るから漫画村を使うな!」という主張も、理屈としては至極正しいんだけど、そこを正論で訴えてもたぶん響かねえよと思ってしまう。
結局のところ、ああいうのは「みんなが使っているから使う」「みんな使ってないから使わない」という話なんだと思う。

《赤信号 みんなで渡れば 怖くない》というやつだ。

赤信号で人が行き交う街で、大人たちができることは「赤信号で渡るな!」と怒鳴ることだけだろうか。すべてが一掃されるような完璧な解決法はたぶん存在しない。

愚直なやり方かもしれないけど、Spotifyで音楽を聴いていることや、Netflixで映画を観ていること、そしてkindleやLINE漫画で小説や漫画を読んでいること、つまり当然のようにお金を落としてコンテンツを得ていることを、もっと声に出していくしかない。

出版社やレコード会社、あるいは書店やCDショップがやれることはいろいろあるかもしれないけど、まず「本や音楽に生かされてきた大人」としてやるべきことは、そういうことなんじゃないかと思う。 

ぼくたちは青信号を手をあげながら渡るしかない。


* * *


書店員を辞める少し前、店の倉庫を整理していたら、山積みになったダンボールの中から「書店で電子書籍を買おう!」と謳ったチラシの束が出てきた。

それは2012年頃に大手の出版取次が企画していたものらしく、ようは【書店の店頭で電子書籍データを販売しています】という宣伝チラシだった。
いやいや、電子書籍のデータを買うのになんでわざわざ書店まで足を運ばなくちゃいけないんだよ、と後輩と一緒にケラケラ笑いながら、そのチラシの束をゴミ袋に捨てた。

誰のための本なのだろう。書店のために本があるわけではないし、取次のために本があるわけでもない。

どうしてこうなったんだろうと思って、少しだけ泣けてしまった。

<了>