自分を愛することと人を愛すること


たまに
自分を愛することと人を愛することは同じである
だとか、
自分を愛していない人が人を愛することはできない

という言葉を耳にする。

はじめ、私はこの言葉が理解できなかった。

昨年のある日、
東京の日本橋の駅で、
腰の曲がったお婆さんが、
キャリーケースのような、
乳母車のような、
大きな荷物を持ち上げながら
階段をのぼっていた。

いてもたっても居られず、
すぐさまその荷物を持ってあげた。

どうやってこの重い荷物を持ち上げていたのだろうか
と思うほど、
お婆さんは腰を曲げながら
1歩1歩ゆっくりゆっくり
歩いていた。

階段をのぼり切った時、
おばあさんはこう言った。

「本当に助かりました。ありがとう。
私は日本橋の高島屋が大好きで、
この50年間、腰が曲がっても毎日必ず来ているの」

それを聞いた時、
お婆さんのことが、
とても愛おしく愛おしく感じた。
どうかお婆さんの日々の楽しみが
奪われないように
私が力になれることがあるのであれば、
何でも手伝いたい。

そんな想いが湧いてきて、
胸のあたりが震えるような感覚と共に
涙が出そうになった。


別のある日、
私は仕事のことですごくネガティブな感情
を持っていた。
何をしていても、
そのことが思い浮かんできて、
「怒り」のような感情で気持ちが搔き乱されていた。

何で私はこの出来事に怒りを感じているのか、
しっかりと自分の内側と向き合って、
感じてみようと思った。

知りたくない、
自分のネガティブな思い込みが
そこにはあった。
その知りたくない思い込みを
隠すかのように、
怒りの原因に対して、
別の理由付けをしていた。

私は、とてもとても正直になってみた。
知りたくない、
触れたくない、
自分の傷のような思い込みに対して、
とてもとても正直に向き合った。
ふと気付いた。

「私は無能である」という思い込みを
自分が持っていることに気付いた。
「あなたは無能だ」
決してそんなこと言われていないのに、
私は自分の思い込みから、
そう言われたような気がして怒っていたのだ。

それに気付いた時、
胸のあたりが震えるような感覚と共に、
涙が出てきた。


あれ?
この感覚…
あの時と同じ。


お婆さんの荷物を持ってあげて、
お婆さんに対して
「愛おしい」気持ちが湧いた、
あの時と同じ感覚。

それは全く同じ感覚だった。


すごくすごく腑に落ちた瞬間だった。


他人に対して、優しい気持ちを抱き、
誰かのために何かしてあげたいと思うことは、
まぎれもない「愛」である。

自分に対して正直になり、
自分の正直な気持ちに気付いてあげるときに
使うものもまた、まぎれもない「愛」である。


私が感じた感覚
「胸が震えて涙がでそうになる」
感動した時のようなあの感覚は、

全く同じ「愛」だったのである。

そう、これが真理なのである。

自分を愛することと人を愛することは全く同じなのだ。

「愛」があれば
自分を愛することも人を愛することもできる

「愛」がなければ
自分を愛することも人を愛することもできない。

つまり、自分を愛していないのに、
人を愛することができるわけがない。

自分を愛していないのに、
"人を愛してる"という人は、
本当の意味では人を愛していない。

それは、もしかしたら、
どこかで見返りを期待していたり、
損得勘定を持っていたり、
あるいは"恋をしている"の勘違いなのかもしれない。




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