Sheira

思ったこと、感じたことを書いていきます。 人の気持ちをほっこりさせるように、癒しを与え…

Sheira

思ったこと、感じたことを書いていきます。 人の気持ちをほっこりさせるように、癒しを与えるように、気付きを与えるように、 愛を込めて文章を書いていきたいと思っています。 90年生まれ/ビーガンになりたいペスカタリアン

最近の記事

人間はわたしたちが思っている以上に感覚が鋭い

2〜3年前、電車に乗っていた時、とある広告をみつけた。 それは、とある会社が企画するとある外国人の画家さんの絵画の展示会の案内だった。その広告には、その外国人の画家さんの絵が描かれていた。 わたしはその絵画に妙に惹かれてしまった。透き通るように純粋な光の描写を描いたその絵はとても美しかった。 無料の展示会だったし、場所も日にちも都合が良かったから、わたしはその展示会に行くことにした。 そして展示会当日。会場に入ると美しい絵がたくさん飾られていて、わたしの心は、美しい絵

    • 自然は欲がないから心地良い

      東京から自然豊かな田舎に引っ越しました。 幸い、夫もわたしもリモートでお仕事できるということもあって。 こっちに来てからというもの、わたしは自分を取り戻しつつあります。最初はリモートでしていたお仕事も、少ししてから辞めました。 東京にいたわたしは、いろんなことを感じとっていました。きっと、無意識のうちに道を歩いている人の感情にすら影響を受けていたのだと思います。 もともと東京に行きたくて地方から東京に出てきました。でも、だんだんと息苦しさを感じるようになってきた。 会

      • 虫かごの中のカブトムシ

        幼い頃、カブトムシを捕まえて虫かごの中で飼ったことがある。 毎日いろんな餌をあげ、カブトムシが喜ぶようにと虫かごの中のアイテムを増やしてあげた。 それは世間一般に、カブトムシを愛し、かわいがっている行為なのだと思う。 だけど思った。 カブトムシは虫かごの中にいたいのだろうか。 本当は自然がいっぱいのきれいな空気の中で自由にのびのびと好きな場所で生きたいと望んでいたのではないか。 この世界では、虫かごの中でカブトムシを飼い、お世話をしてあげることが、カブトムシ好きの象徴

        • 恋という愛と真逆を経験することで愛を学ぶのではないか

          「恋愛」という言葉をふと不思議に感じた。 わたしは、恋と愛は真逆のものだと思っている。 だから、まるで「闇光」「黒白」のような言葉だと思った。 だけど世間一般の「恋愛」という言葉に対する認識は、 恋≒愛だと思う。 恋と愛の違いが分からないという疑問もよく耳にする。 私もずっと恋と愛の違いが分からなかったし、 恋と愛の違いをネットで検索したこともある。 20代後半の頃からかな、 私は「愛とは何か」をすごくすごく知りたくなった。 必死に愛とは何かの答えを見つけようと

        人間はわたしたちが思っている以上に感覚が鋭い

          心がふっと軽くなるように***

          2021年になってから、世の中がまた少し変わったように感じています。 それはコロナ感染者の増加や、政府の対応、 このような出来事に多くの人の感情が揺れているから。 もしも自分がコロナにかかってしまったら、 もしも自分が感染源になってしまったら、 もしもコロナのせいで仕事がなくなってしまったら、 という恐れを抱いている人もいれば、 政府のやり方に怒りを頂いている人もいるように感じます。 大きな大きな渦の中にいるような、そんな感じ。 でも、どんな時も人は恐れや怒りではなく

          心がふっと軽くなるように***

          三浦春馬さんの訃報を知って感じたこと

          お久しぶりの投稿になってしまいました。 なんだかどうしても書きたくなって書いています。 私は普段芸能人にはあまり興味が無いタイプだけど、この訃報はとても他人事に思えず、今朝目覚めた時も考えてしまうほど悲しみの感情が消えませんでした。 私も今年30歳になる年なので三浦春馬さんとは同学年。 これから新しい時代を創っていく若者。 そんな人が自ら命を絶った。 本当に悲しかった… 何がそんなに悲しいのかというと、 この世の中に対し、悲しかったのです。 繊細な人が生き辛いこの世

          三浦春馬さんの訃報を知って感じたこと

          ずっと生き辛さを感じてきた人へ

          あなたはとても純粋で 繊細で、感覚が鋭いのかもしれない。 自分の感覚を鈍らせることができたのなら 楽だったのかもしれない。 純粋な気持ちを濁らせることができたのなら 楽だったのかもしれない。 なぜなら、この世界がとても濁っていたから。 この世界の濁りに合わせるかのように 純白な自分を濁らせた方がずっと 生きやすかったことでしょう。 嬉しい!楽しい!これがやりたい!! 純粋な、正直な気持ちに対して 周囲の人は 「そんなことやってないで、勉強しなさい!」 そう言った

          ずっと生き辛さを感じてきた人へ

          外壁工事の不快な音が教えてくれたこと

          ジジジジジジー。 不快な周波数のその大きな音は、急になり始める。 マンションの外壁工事が始まったようだ。 それも、この外出自粛期間に。 在宅勤務も始まったこの時期に なんてタイミングが悪いのだろうと思った。 仕事や大事なZOOM会議をしている最中に その音は鳴り始める。 ただでさえ、わたしは大きな音が苦手なのに その音は大きいだけではなく 低周波で不快に感じる音なのだ。 ZOOM会議中の大事な場面で その音は鳴り始める。 さっきまで鳴っていなかったのに よりによ

          外壁工事の不快な音が教えてくれたこと

          まるでディズニー映画のハッピーエンドのように

          GW中、おうちで 実写版アラジンを鑑賞していた。 いつも思うのは ディズニー映画は どれもストーリーは違えど 展開が似ているということ。 アラジン ライオンキング 美女と野獣 どれも展開は似ているのだ。 権力を欲しがる者と 愛を大切にする者が戦い 愛が勝つ。 展開は似ているけれど 人はそれぞれのディズニー映画が大好き。 なんだかんだ言って 人は エゴにまみれた人間が最後は愛に負け 最終的に愛が広がる平和な世界になる ハッピーエンドを好む。 誠実で 正直で 純粋で

          まるでディズニー映画のハッピーエンドのように

          自分を愛することと人を愛すること

          たまに 自分を愛することと人を愛することは同じである だとか、 自分を愛していない人が人を愛することはできない という言葉を耳にする。 はじめ、私はこの言葉が理解できなかった。 昨年のある日、 東京の日本橋の駅で、 腰の曲がったお婆さんが、 キャリーケースのような、 乳母車のような、 大きな荷物を持ち上げながら 階段をのぼっていた。 いてもたっても居られず、 すぐさまその荷物を持ってあげた。 どうやってこの重い荷物を持ち上げていたのだろうか と思うほど、 お婆さんは

          自分を愛することと人を愛すること

          嫌な人が現れた時の対処法

          職場にこんな人がいる。 絶対に人を助けない。 どんなに周りの人が困っていても 知らんぷりをする。 いかに働かずにお金を稼げるか、 と常に考えている。 いかに上司に認められるかを気にしている。 立場が上の者に認めてもらうために とにかく自分の手柄にしたがる。 私は愛をもって損得なく正直に 誠実に生きたいと思っているのだ。 それなのに、私の"ありたい自分"と真逆の人間が なぜ職場という身近に現れたのだう。 何で私の周りにこんな人が現れたんだ。 プライベートであれば絶対に関わ

          嫌な人が現れた時の対処法

          私が大企業から従業員10人未満の会社に転職した話

          私はごくごく普通の大多数の価値観に埋もれて生きてきた人間だ。 真面目に、普通に、生きてきた。 "普通"ってなんだろうという疑問にこたえると、 親、教師、世間、周りの友達から”良い”と言われるものを 普通だと思い、それを目指して、当たり障りないように生きてきた。 学校の勉強ができる人が"良い"と思っていたから、 学校のテスト勉強をそれなりに頑張った。 高校受験をし、大学受験をし、それなりの学生生活を送った。 ここに私の本当の意志は存在していなかった。 本当の意志すら

          私が大企業から従業員10人未満の会社に転職した話

          友達はいなくても良い

          尊敬している方が言っていた言葉 「私は友達はいなくても良いと思っているの。 世間一般に言う"友達"と定義されるような関係の人はいるよ。 でも私はただ、会いたいと思った人がいれば、連絡して会っているだけ。 会いたいと思わなかった人には会わない。 ただそれだけ。」 歳を重ねるにつれて、経験を重ね、新しいもの、人に触れ、 私の中の価値観が変わっていった。 価値観・考え方が変わるにつれ、昔の友達とズレを感じるようになった。 それでも”友達だから”と付き合いを続けていた。 それは

          友達はいなくても良い

          物事の真実を想像する習慣

          突然だが、私は焼肉が大好きだった。 豚肉も牛肉も鶏肉も、全部大好きだった。 ところが去年のある日、 大好きだったお肉を全く食べたいと思わなくなった。 それは、家畜のと殺映像を見た時だった。 恥ずかしながら、生まれてから二十数年間、 自分が食べているお肉がどうやって作られているのか、 考えたこともなかった。 もちろん、「豚肉」「牛肉」「鶏肉」になるため、 豚や牛や鶏が家畜として育てられていることを知っていた。 でも、その事実を、"自分で"深く考えたことがなかった。

          物事の真実を想像する習慣

          成功・幸せの定義

          何をもって、「成功」というのだろうか。 何をもって、「幸せ」と言うのだろうか。 人それぞれの価値観で定義が全く異なる言葉のひとつだろう。 お金をたくさん稼ぐ人を成功者、幸せ者というのだろうか。 有名な人を成功者、幸せ者というのだろうか。 わたしの中の「成功」「幸せ」の定義は、 "いかにリラックスして人生を生きているか"である。 身体がリラックスしている状態。つまり、緊張していない状態。 何の不安もなく、何の恐れもなく、何の心配もない。 誰とも戦う必要もない、

          成功・幸せの定義

          少しだけ、いつもより優しく

          いつもより少し遅い時間に仕事が終わった。 まだ残って仕事をしている人がいた。 「大丈夫ですか?お先に失礼しますね。」 そうやって声をかけ、帰る準備を始めた。 オフィスを出る直前、私には2つの選択肢がある。 ①このまま何も言わずにお疲れ様です、と退社する。 ②ここで「いつもより優しく」を損得なく、愛を選択し、 「あんまり無理しすぎないようにして下さいね」と声をかける。 さあ、私はどちらを選ぼうか。 私は愛を選択したいのだ。 私は愛を選択したいのだ。もう一度言う

          少しだけ、いつもより優しく