三浦春馬さんの訃報を知って感じたこと

お久しぶりの投稿になってしまいました。
なんだかどうしても書きたくなって書いています。


私は普段芸能人にはあまり興味が無いタイプだけど、この訃報はとても他人事に思えず、今朝目覚めた時も考えてしまうほど悲しみの感情が消えませんでした。

私も今年30歳になる年なので三浦春馬さんとは同学年。
これから新しい時代を創っていく若者。
そんな人が自ら命を絶った。

本当に悲しかった…

何がそんなに悲しいのかというと、
この世の中に対し、悲しかったのです。

繊細な人が生き辛いこの世の中が悲しかったのです。
実際に三浦春馬さんが繊細な人だったのかどうかは分かりません。
ただ、私がこのニュースを見て感じたことが、「繊細な人が生き辛い世の中が悲しい」という感情でした。

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繊細な人は、人の気持ちや言動に敏感だと思うのです。
敏感で調和を好む。これからの時代にとても重要な”調和”。
だから、波風を立てることも嫌い。
まして、自分が波風を立てる張本人であることなんて耐えられない。

相手の感情なのに自分が感じているように感じるほど
誰よりも人の気持ちに敏感だから、
自分が我慢をしてでも、相手や周りを優先する。

周りの自分に対する期待や、求められていること、
この場にとって何が正解とされるのか、
それすらも分かってしまう。
だから、自分を押し殺してでもその場の”正解”を演じる。

だけど、本当の自分ではないから苦しい。
もっともっと別の本当の自分がいることは分かっている。

でも、本当の自分を出したら調和が崩れるかもしれない。
批判を浴びるかもしれない。
波風を立てることになるのかもしれない。
だからそのまま偽りの自分を演じ続ける。

いつも周りの目を気にしてびくびくし、不安が付き纏う。
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今この文章を書いているだけで、とても苦しくて涙が出ていました。

繊細な人は世の中にとても多いと思うのです。
特に、若い世代に。
私も繊細なタイプで、数年前まで生きることが苦しかったです。
繊細な人にとって、今の世の中は本当に本当に生き辛いと思うのです。


なぜなら、「他人のジャッジ」が多いから
物事に「正解と不正解がある」という概念が浸透しているから

人には個性があります。
その人それぞれの美しい個性。

人によって感じ方も捉え方も本当にさまざま。
どんな人も、それまでに生きてきた環境が違い、経験が違い、個性も違う。

もし私がその人の環境、経験、個性を持っていれば同じように感じたかもしれない。だからその人にとってはそれが正解なのだと思います。

違う意見を持つ別の人には、別の環境、経験、個性がある。だからその意見もその人にとっての正解なんだと思うのです。


今回の出来事もそう。
自殺するのが良くない
という意見もあれば
自殺しても良い
という意見もある。

それすらも、その人たちそれぞれのこれまでの経験×個性で出来上がった意見なのです。
だから、どんな意見もそれぞれにとっての正解で、その人のこれまでの人生の経験や個性を完全に理解していない他人が、「正解か不正解か」をジャッジすることなど不可能なのです。

そもそも他人が他人の経験や個性を含めてすべてを完全に理解することなど不可能なのだから、他人をジャッジすることはできないはずなのだと、私は思います。

と、偉そうに言っていますが、私も"ジャッジ"をしてしまうことはもちろんあるので、ジャッジをしてしまったら、まずは気付くということを心がけています。
そうやって、少しずつジャッジが減っていったら、繊細な人も生きやすくなるのではないかと思っています。


ジャッジが減っていくと、繊細な人にとっては、
相変わらず周りの人の気持ちには敏感に気付いてしまうけど、合わせる必要はない、私にとってはこれが正しい、と思えるようになっていくと思います。

そうやって世の中が、すべてに美しい個性があり、意見や選択が違うことは当たり前であることに気付き始めていくことで、"他人を批判する"という風潮が収まり、人が自由に豊かに表現できる地球になっていくことを祈っています。


私が100歳になっている頃には、美しいたくさんの個性が、自由に豊かに、美しい個性を表現し合う世の中になっているんじゃないかと本当に思っています。

すべての出来事に意味があるのならば、
木村花さんの訃報や三浦春馬さんの訃報は、世の中の人にとても大切なことを気付かせてくれるきっかけになったのではないかと思います。
世の中の変化を加速させる役割を担ってくれたのではないかとすら、感じられます。あとは、私達の選択次第。


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