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それでも生きる

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母子家庭で育ち、母が鬱病と糖尿病で仕事ができなくなった事から、私は中学生から働き始め、19歳の時、仕事中の事故で右手前腕を失いました。 右腕を失ってから、更に厳しい現実に何度も直…
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#レジ

それでも生きる(11:レジチームが日本一を獲得するまで①)

それでも生きる(11:レジチームが日本一を獲得するまで①)

 2004年、レジの社員が退職をした関係で、自分にレジ部門の仕事が回ってきた。

 当時22歳の自分が、これから自分自身の給与をアップするために、どうやって結果を出したら良いかと考えた。

 例えば、生鮮部門や食品部門など、商品を売って利益を得る部門であれば、「売上金額から、仕入れ金額や経費を差し引いた金額」が利益となり、その利益の金額が数字として算出されるので、仕事の結果を数字でアピールする事が

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それでも生きる(12:レジチームが日本一を獲得するまで②)

それでも生きる(12:レジチームが日本一を獲得するまで②)

 スーパーマーケットでレジのチーフとして取り組んだ事は他にもあった。
 その内の一つは、個性豊かなパートさんやアルバイトさんに働いてもらう事だ。

 小さなスーパーマーケットであり、地域に密着した形で来店客数を増やしていくには、広告や商品のラインナップ、生鮮食品の鮮度なども大事だが、自分は口コミを意識した。

 「あのスーパーのレジの人は感じが良い」「商品の取り扱いが丁寧」「元気がある」といったよ

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それでも生きる(13:レジチームが日本一を獲得するまで③)

それでも生きる(13:レジチームが日本一を獲得するまで③)

 レジで働くメンバーがそれぞれに個性を発揮し、ご来店をされるお客様から、応援のメッセージを頂けることが、時間が経つごとに増えていった。

 お店には、お客様の声を書いて頂けるようにノートを置いてあるのだが、そのノートに「◯◯さんにレジを打ってもらうと元気がもらえます」といったような、ありがたい書き込みが何度もあった。

 また、レジスタッフのご家族が、お客様としてスーパーマーケットに来店された際、

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