見出し画像

進化するAIに自己価値感を見出すために「人間」と「AI」の共存について思考する。

はじめに

これは最近の話でもないですが、ここしばらくずっと考えていたのは、AIに使われる側ではなく、AIを使いこなす側になりたいということでした。近年さらに注目され、社会に浸透しつつあるAI技術ですが、日常に取り入れることへの賛否両論はあったものの、AIの進化をあえて作品のテーマ性としたものもちらほら見かけます。例えば「アイの歌を聴かせて」では、吉浦康裕監督が得意とする「AI」と「人間」の関係をハートフル作品です。人とAIが共存していく世界を、高校生という程よい空気感で、瑞々しい群像劇という形で描写しています。
自分も映画館で観ましたが、AIを仲間と捉えるのか、もしくはAIと対峙するのか、その葛藤は誰でも起こり得るものだと思っています。
何かを自らの手で創作したことがある人であれば、「自分にとってAIは脅威であり、自分の価値を奪われてしまう」と考えたこともあるかもしれません。
これは提案であって強制ではないので、ふむ…そんな考え方もあるのかと思いながら聞き流してもらいたいですが、こんなに優秀な技術があるならば、自分の技術と掛け合わし、AIを使いこなすことで更なる自己価値観を見出すことができるのでは….?と視点をポジティブに変えて見てみよう!と思った次第です。


AIが脅威的な理由とは?

シンギュラリティは2045年に起こるとアメリカの発明家で人工知能研究の権威者でもあるレイ・カーツワイル氏は発言しています。

シンギュラリティとは、AIの性能が全人類の知性の総和を超える転換点のこと。

「シンギュラリティ」より

もし仮に、人間の技術になり変わるぐらい、またはそれ以上のクオリティを生み出し続けた「強いAI」を野放しにしたらどうなってしまうのか。
まさに人間にとっての脅威といっても過言ではありません。人間が生み出した技術に翻弄されてしまっては本末転倒です。ただし、AIを人間とは別のもの、あるいは人間と対立するものとしてとらえるのではなく、機械がわれわれの集合知や社会を拡張していると考えるほうが、より有益であり正確だと議論されています。

「人工知能」という言葉ではなく、「拡張知能」(extended intelligence:EIまたはXI)と呼称することで、AIを少数の人を豊かにする、あるいは彼らを守るためのものではなく、多くの人々のためによいことを行う道具として捉えやすくなるはずである。

AIのある未来は、デザイナーにとって地獄か、天国か?


使いこなす側になりたい!

では、優れたAIを人間が使いこなすには一体どうするべきかを考えたいと思います。
ちなみに私はUIデザインやグラフィック、イラストの分野でAIの影響をモロに受けるので、そこから話を進めます。

デザイン×AI

デザイナーの仕事がAIに取られてしまうように感じられますが、AIは過去のデザインを収集・分析することで成り立っています。そのため、AIが作り出すデザイン案のクオリティが高いとは言えないケースがほとんどです。どこにでも存在するようなデザイン(テンプレート)であったり、アイデアのヒントになる程度の場合の方が多いです。それでも1つのアイデアを数時かけて考えるよりは、はるかに早くアイデアを打ち出すことが可能です。

Shared Our Values.

AIでロゴやアイコン作成できるものはすでにいくつか存在しており、中には有料プランに登録することで商用利用もOK!というサイトも。


筆者自身も過去のデザトレでAIでアイコンを作る会を開催したことがあります。このようなサイトを実際に使用してみると、便利で汎用性が高いことがわかりました。
デザトレのnoteはこちら↓

生成して改めて思ったのが、自分の思い通りに作成することは難しく、デザインとして無理矢理感があったり、粗が見える点は少し気になりました。
ただ、時間やコスパ面を考えると、リサーチの過程を大幅に短縮できたり、イメージのパターン(いわゆるムードボード)を簡単に作ることが可能です。
結論として、デザイナーのコスパを高める用途で使用するのは有効なので、やはり使いこなしたい!と、原点回帰になりました。


イラスト×AI

AI絵師というワードが話題になりましたが、AI生成で誰でも簡単にイラストを描くことができるなんて、凄い時代になりました。
イラストは描く人間の個性ありきだと考えているので、AIから生成されたイラストが似たような構成、塗り方、絵柄なのであれば、一定クオリティーを保つ代わりに、それ以上に感動したり、フェチを感じることは少ないのではと思っています。
私が大学生の頃、授業で輪郭線について研究したことがありますが、輪郭線といっても、世界観に合わせて筆文字のように太く描かれていたり、キャラクターの表情によって線の表現方法を変えたりと、その人のクセが露骨に絵柄のタッチなどに現れていると心躍らせながら見てしまいます。
自分が作り手として一番大事だと思っているのは、描きたいという気持ちだと考えています。その点に関して、熱量がないAI作品と比べると、好きな作品と出会った時のずっと眺めていられる満足感は少ないはずです。

ただし、デザインと同じで使いこなすことは可能だと思っています。
例えば、自分が描いたイラストの添削にAI使用したり、塗り方などを参考にして、自分のイラストの質を向上させるというのも一つの手なのではないでしょうか。

イラストだけではなく、AIに漫画を描かせた作品も見かけました。

プロの漫画家がAIを使いこなそうとする場合、AI自体が使いこなせる領域に達していないので、まだまだ時間はかかるとのことでした。

ところで、生成AIに漫画を描かせることはできるのでしょうか? いま手塚治虫の名作「ブラックジャック」の新作をAIに描かせるプロジェクトが進んでいますが、相当な人の手がかかっているようです。一般の漫画家が使えるレベルになるまで、まだまだ時間がかかりそう。

現段階の生成AIは、ストーリーのプロット支援、タイトル案、セリフ案などに使うと良いのではないか、と小沢氏。作画の側面で使うとしたら、キャラクターデザイン、メカデザイン、着色、架空の風景の生成などがオススメだとします。


終わりに

以上がAIと向き合ってみて感じたことになります。実際に使いこなす側になるというのはかなり難しい試みだと思いますが、今年はクリエイターとしてAIのことを知っていきたいなと考えています。
また、思うことがあれば追記しますが、ひとまずここまでとします。
ここまでお読みいただきありがとうございました!

この記事が参加している募集

最近の学び

AIとやってみた

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?