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母親の呼び方がわからない娘

前におじいちゃんについて書いたことがある

今回は母について書いてみます

わたし、28歳、なんてことない平凡なOL
母のことをなんて呼べばいいのか
未だにわかりません…

(え?どういうこと?)

幼いころは、
“おかあちゃん”って呼んでた

可愛よね、お母ちゃん呼び

兄も父も、
母ちゃんとかお母ちゃんって呼んでた
だからわたしもそう呼んでた

でも小学校中学年?くらいになって、
なんだかお母ちゃん呼びが恥ずかしくて
そのあたりからなんて呼べばいいのか
迷子になってしまって現在まできてしまった

なので母のことを呼んだ記憶があまりない

母不在の場では母とかおかんって
言ってるけど、母には直接呼んだことがない

母は内心、もしかしたら寂しいのかもしれない

お母さんとかママとか呼んでくれない娘…
ごめんね、なんか今更恥ずかしくて…

わたしは高校を卒業後、
大学進学と同時に一人暮らしを始めた

いまもずっと実家から離れた場所で暮らしてる
だから母とはあんまり会う機会がない

たまに遊びにきてくれたり
わたしが帰省したときは、
お互いに溜まりに溜まったことをとにかく話す
たくさん話す

同じ屋根の下で暮らしてた頃より

離れてからのほうが、
わたしが歳を重ねてからのほうが、

より母と友達みたいな関係になってきた

それがすごく嬉しい

わたしの両親は
わたしに対してはかなり放任主義

幼い頃の習い事や塾
進学する高校や大学
就職する会社
人生の転機となるタイミングの決断は
ほとんど自分で決めてきた
(と思っている)

何一つ口出しをしない両親だった

わたしのやりたいこと、決めた道を
全力で応援してくれるその姿勢がうれしかった

それだけわたしを信頼してくれてる気もして
大きな決断をするごとに
強くなれた気がした

そんな両親、特に母については
ひとつとても覚えている出来事がある

それは私が小学3年生のときの話

私は幼稚園に入る前から小3まで
スイミングスクールに通っていた

そこでは年に数回
進級テストのような検定があった

わたしは確か小3で2級まで取った
(2級は100mメドレー)

最後の1級は200mメドレー
(4つの泳法で50mずつ泳がなくてはならない)

2級取れたし、きっと大丈夫なはずだった

でも昔から、この検定が大嫌い

飛び込み台からプールの中へ飛び込んだ瞬間
ゴーグルがずれて水が入ってきて
秒で立ってしまってやり直したり、
ターンが上手くできなくて不合格になったり、
水中動作が上手くできなくてすぐに浮いちゃったり

やっぱり緊張するし、
上手くいかないことも多かった

本当に苦手だった

特に1級の検定なんて
プレッシャーがすごくて、
逃げ出したい日々だった

ターンに不安があって
なんか本当に憂鬱で
でもここまでやってきたんだから
最後くらい受かってメダルもらって
胸を張って水泳を辞めたいとも思ってた、たぶん

だからその日まできちんと練習を積み重ねてた

だけど、検定当日
ほんとうに嫌で嫌で仕方がなくて
ずっと母に行きたくないって言ってた

いつものように準備をして
母の車に乗り込んだ

確かいつもの時間に家を出た
あまりにも憂鬱すぎる土曜日だった

すると、わたしを乗せた母の車は
スクールの途中にあるお花屋さんの駐車場へ。

え?とおもった

母は特になにも言わず、
わたしを店内へ連れて行き、
二人でお花をみていた

これって、もう行かなくてもいいのかな?
と思いながら、
次は二人のすきな雑貨屋さんへ連れて行ってくれた 

ずる休みしたのかな、って
すこし後ろめたい気持ちもあったかもしれない

でもあんなに嫌だった
検定に行かなくて良いんだ、
って思うとほんとうに心の底からほっとした

それからスイミングスクールに
顔を出すことは一度もなかった

2級で辞めた

検定当日はおじいちゃんとおばあちゃんも
見に来てたらしくて、
急に私がお休みするからびっくりしたらしい、
後から話を聞いた

最後までやり抜きなさいよ、

と母は私を検定の場へ連れて行くことも
できたかもしれない

最後までやり抜くことの大切さだって
学べた機会だったかもしれない

けれど母はわたしの気持ちに寄り添ってくれた

その出来事は今でもわたしの中に残り続けてる

なにが正解かなんてわからない

教育なんて特にわからない、きっと難しい

だけど、わたしは
あのときの母の行動に間違いなく救われた

いつか母親になったら
わたしは自分の母みたいになりたいとおもう

ふんわりと、でも確実に覚えている話

私はいつか母に手紙を書きたい
結婚するタイミングかな、とか思ってる

この水泳の出来事についても
ありがとうって言いたいし、
とりあえず恥ずかしくて言えない
今までの感謝を伝えたい

18で家を出たわたしは
親不孝な娘なのかな、とたまに考える

これからも家族を大切にしたいし

ずっとずっと大切に覚えておきたい出来事の記録

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