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お金のために働かない

1年前に全財産(と言ってもわずかだったけど)を貧しい人たちに配って、全てを捨てて修行生活に入った。それからはほぼ托鉢のみで生活している。もう財布も持っていない。寄付をいただいてもご飯などで最低限使う以外は全部貧しい人たちや宗教施設に寄付するから、毎日一文無しである。

今までしていた仕事、PCショップ・整体マッサージ・トレーニング指導は全部無料でやってる。もちろん交通費等の実費はいただいているし、寄付は歓迎するけど、原則こちらからは求めないことにしている。お金の為には絶対に働きたくない。

対価を受け取ってしまうと愛と感謝が連鎖しない。だから僕は無料で奉仕して感謝の気持ちを受け取り、無料で奉仕を受け取って笑顔で感謝の気持ちを伝える。そうすることで世界に愛と感謝が連鎖する。お金など要らなくなる。

僕らは愛を吸って愛を吐いて成長する生き物であり、それがお金を稼いでお金を浪費することに取って代わられてしまっているのが現代である。地球を一つの生命体とするなら、血液はお金ではなく愛であるべきだろう。だから僕はお金をなくしたい。

もちろんそんなに簡単に金融経済を終わらせられると考えているわけではない。十分わかっている。ちゃんと戦略があってやっていることだけど、戦略には順番があるのだ。

まず僕は世界に価値観の変革を起こさなければいけない。子供が嫌いな人に子供の教育をどうすべきかの作戦を伝えても意味がない。人生の価値がわからない人に人間の将来をどうすべきかの作戦だけを伝えても意味がない。価値観が変わっていないのに何かを変えようとしても無理だし、逆に価値観が変わればすべてが自ずから変わるのだ。

みんな「できそうなことをする」「なるようにしかならない」「自分が世の中に合わせるしかない」「自分を押し通そうとするやつは偉そうで気に入らない」と考えている。そういう価値観を変えないで、作戦だけ教えても意味がない。できそうなことをするのではなく、したいからする。自分が望む未来を手に入れるという風に価値観が変われば、僕のような人間が作戦を全部伝えなくても、みんながそれぞれ自分の使命を果たして一気にすべてが変わるに違いない。

もちろん現在の社会ではお金がないと生活はできない。でも近い将来にきっとお金の要らない社会を実現してみせる。

サラリーマン時代、誰もが名前を知るような大企業に幹部候補生として入社して、結構自分なりに一生懸命働いていたけど、孤独だった。コミュニケーションすらうまく取れない精神病のダメ社員だったし、誰も救えなかった。我々は元々一つの存在なのだから、誰も救えないのに自分が救われるわけがない。人は人を救うことでしか幸せになれない。金で手に入れる欲望の充足や生活の安定ほど虚しいものはない。

他人からみれば僕の人生はさぞお先真っ暗であろう。無一文の乞食で、仕事も家もなく、家族とは絶縁している天涯孤独の身であり、年金も保険も払っていないハゲた独身の中年が、言葉の通じない外国で何のキャリアにもならない活動をたった一人でしているのだ。托鉢で生活しているといっても、特定の宗教団体に拠らずに幅広く勉強しているため、宗教団体からの援助は基本受けられないし、将来僧職を得る見込みもまるでない。

そんな状態なので、勉強させていただいている宗教施設でもひどい扱いを受けることが結構ある。仏教の寺院なのに「定職のない奴はここに来るな」と言われたりした。「この人はいったい誰の作った宗教を信仰しているのだろう?」と笑ってしまった。釈迦は城を出てからは死ぬまで無職の乞食だったろうに。キリストだって無職の乞食で、奇跡を仕事にして対価を受け取るなんてしていなかっただろう。現代は釈迦やキリストよりお金を神として崇拝している人ばかりだ。

みんな働いてお金を得れば自分の好きなもの選んで買って自分の好きなようにして良い「権利」があると考える。お金は気づかない間に人を傲慢で醜くしてしまう。全ては神のものなのに、なぜ人間がお金を得たらその分は何でも好き放題にしてよいと考えるのだろうか?そういう考え方だから命の尊厳が冒され、自然が破壊され、金もモノもいくらあっても足りなくなるのだろう。この世の全ては神のもので、神の子である我々は平等に分かち合うべきだ。

法華経を拝んでいる宗教でも、法華経を実際に読んでその真意を理解している人など殆どいない。ましてその教えを本当に実践している人など僕はまだ見たことがない。法華経を読んでいる人って難しい経典を理解している自分は偉いとでも勘違いしているのか、他人を見下している感じの人が多い。そして信者たちは法華経を読みもせず「南無妙法蓮華経」と唱えて現世利益だけ得られればそれで良いというような感じの人が多い。そしてそのために少しでも邪魔だと感じる人間は排除しようとする。全然大乗じゃない。

僕は他力本願的な考え方が間違っているとは思わないけど、法華経って生きとし生けるものを愛する慈愛の精神が大事だという教えなのに、それを拝んでいる人が現世で救われることしか考えていないのは本当に残念だと思う。現世利益はあくまで真実の悟りの種・救いの種を世界に広げるために、仏が鳥である我々に与えた果実なのに。明日自分が食べれなくなることを恐れ、今日困った人を助けて恵みを分かち合う勇気を持たない。

いくら働いても孤独だった僕も、ホームレスになってからは急にたくさん友人ができるようになった。シャワーと洗濯を友人に借りて常に清潔を心掛けているので、ホームレスだと信じてもらえないことが多かった。もちろんネガティブな反応も多いけど、それでも清潔なホームレスは結構多くの人に愛される。人というのは本来人の役に立ちたい、人から必要とされたい、感謝されたい、人を笑顔にしたら嬉しい生き物なのである。人の助けを素直に求めて、何かしてもらったら心から感謝して笑顔になる清潔な乞食が人から歓迎されないわけがない。ホームレスが嫌われるのは単に不潔だから。そして感謝の気持ちと笑顔が足りてないから。

「人様の役に立て」「人様に迷惑はかけるな」という矛盾した呪いの言葉が特に日本人の精神を蝕んでいる。頼ってくれる人がいなくてどうやって人の役に立つのだろうか?我々は人に迷惑をかけることが恥だと思っているから人を頼れず繋がりが生まれない。そうして自分を押し殺して嫌なことを我慢して働いてお金を稼いでいるから、働けるのに働かないで人を頼る僕の様な人間には「怠けものだ」「日本人の恥だ」と怒りだす。そういう僕を否定する人を救うために、僕は恥もプライドも捨てて、あえて人を頼っているのだ。もちろん本当は恥ずかしくもあるし苦しくもあるのだけどね。

人はみんないずれ年老いて人の役に立たなくなって人に迷惑をかける存在になる。誰しもそういう未来に向かって生きている。人の価値は人の役に立つことでも人に迷惑をかけないことでもない。人の価値は存在そのものである。僕はそれを証明するために今生きている。ここは大事なことなのでまた別な機会に語ろうと思う。

現代社会はお金さえあれば嫌われても生きていけるだろう。だから世の中は嘘をついたり汚いことをしたり素心に反することをしてでもお金を儲けようとする人だらけだ。でもお金がゼロになったら人に愛されなければ生きていけない。目覚める前の僕は全然人から愛されない人間だったけど、今は出会う人出会う人に愛される。それは僕が誰のことも嫌わないと覚悟を決めたからだ。余計なプライドを捨てたからだ。

人に愛されると、お金を持たなくても働かなくても全然生活できる。ヒキニートが良くないのは出かけない事・人を恐れていること・感謝と笑顔がないことであり、働かないことではないと思う。

今は多くの仕事が機械化・自動化されて、働かなくても豊かに暮らせる時代が来ようとしているのに、適者生存型の考え方が蔓延しているせいで、みんな機械に仕事を奪われてお金を稼げず、価値がなくなって社会から排除される不安でいっぱいである。それは本当にバカバカしいことだと思う。仕事は機械や道具の存在価値であって我々人間の存在価値ではない。

僕は決して自分が働かずにラクして生き延びることが目的で乞食をしているのではない。正直辛いこともたくさんあるし、みんなの意見に従って素直に働いた方がよっぽどラクに生きられることぐらい十分わかっている。

ただ一度は自殺で捨てた命を天に救われたから、残りの人生は天のため 世界を救うために使おうと思ったのだ。そしたら世界が僕を死なせないように協力してくれるようになった。ものすごい力で未来に導かれているのを感じる。

無一文で、全く仕事もせず、どこの団体にも属せず、言葉の通じない海外で乞食をして生き延びている。これだけでも結構奇跡的なことだと思う。

ちなみにこの文章を書いているパソコンは友人に無料でもらったVISTA時代の古い故障PCを修理したもので、常に不具合との闘いである。コロナ中は居候させてもらっているのでネットはできる。ただホント、修行できないのが辛い。修行できない辛さが修行みたいな感じ。

この救世ブログも今はまだ全然反響がない。でも僕は世界で最も影響力のある人間になるに違いない。元々引きこもりなので別に有名になりたいなんて全然思わないが、世界を救うのに世界一影響力を持つ人間にならないままでいることはできないだろう。

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