見出し画像

書評:ドストエフスキー『罪と罰』

ドストエフスキー『罪と罰』に見る「信論」の一つの形とは?

今回ご紹介するのは、ロシア文学よりドストエフスキー『罪と罰』。

ロシアのキリスト教特有の描写が随所に見られるも、基本的には罪を犯す主人公の心理にフォーカスした作品で、日本文学に近いようにも思われる。

まずは概要から。

----------
主人公ラスコーリニコフは、孤独な思索の中で自らが英雄ナポレオンの如く人の上に立つ人間だという理想を抱いている。

彼は自身の偉大さの証明として、人殺しすらも平然とやってのけることを示そうと企てた。そして実際に彼は高利貸しの老女と女中を殺害する。

始めは警察に捕まることを恐れるような保身的な不安感だったものが、清廉なる娼婦ソーニャとの出会いにより次第に罪の意識と悔恨に変化していく。彼もやはり人間であり、それ以上でもそれ以下でもない存在であることを認めざるを得なくなっていくことになる。
----------

局所的な着眼点だが、私なりの感想を綴ってみたい。

本作の魅力の一つは、やはりラスコーリニコフの人物設計だろう。

彼は意外にも、自身の理想の盲信者・狂信者ではない。本気で自分を英雄と思い込むというよりは、純粋に思弁上のみで構築した理屈の正しさを確かめたいがために彼は暴挙を犯すことになる。微妙な動機の差だが、似て非なるものであり、私にはこの差は本作において極めて重要に思える(後述)。

ラスコーリニコフの殺人には、遊戯としての思弁、思考遊びでしかなかった自分の理想に歯止めが効かなくなったような、ある種の子供じみた未成熟さが伴っている。そこには盲信者・狂信者が備える熱狂やなりふり構わぬ覚悟は感じられない。取り返しのつかないことになってから初めて絶望するのであり、絶望までに多くの時間を必要とする。

このことは、ソーニャという女性との対峙により浮き彫りになる。

そう、私が本作に感じるもう一つ魅力は、ソーニャだ。

彼女は非常に敬虔なキリスト教徒。いかなる不幸があろうとも神の存在を信じ続ける強い信心を持つ。まるで旧約聖書『ヨブ記』のヨブのような(ヨブは最後キレちゃって神に怒られますが)、ヴォルテール『カンディード』のような、試練に対する従容さがある。

ラスコーリニコフにその点を皮肉られた際に彼女が「あなたのような方に言われたくありません!」と激昂するシーンがある。以下は、あくまで私個人の私見で、批判ももちろんあるかと思うが、それを承知の上で書いてみたいと思う。

「信」は「理」や「感」と互いに影響関係にありながらも、それらとは本質的に異なる人間の精神作用だと考える。

「信」は究極的には決意に基づく、意志の力だ。故に「信」は、「理」や「感」により容易に覆されるものではない。ラスコーリニコフには初めはこのことがわからない。彼は明晰な頭脳を持ちますが、「信」と「理」の区別がつかない。それ故、「信」を以って語るソーニャに対し「理」で答えるという土俵違いな問答を繰り返すことになる。

ソーニャの激昂はそれに対する批判であると捉えることができるのではないだろうか。

『罪と罰』はある意味で、信念を持つソーニャが信念のないラスコーリニコフを感化する物語でもあろう。ラスコーリニコフの殺人動機が盲信・狂信ではなく理屈であるという点が、本作において極めて重要だと私が感じるのはそのためだ。

西洋の伝統的哲学は、人間の精神作用を「理性」と「感性」の二元論的なスキームで捉えてきた。「信」という精神作用を独立したものとして考察した西洋の例としては、私の拙い読書遍歴の中で知る著書はヤスパース『哲学的信仰』くらいだ。

「信」と「理」とを区別しない文化的風土は現代日本でも感じられる。ラスコーリニコフとソーニャが言い争うこうしたシーンに感じ入る人は少ないかもしれない。

「信」は人間を、人生を豊かにもし得る、あるいは人間を狂わせることもし得る精神作用である。精神作用の中で最も強固なものだ。だからこそ、「信論」なくしては人間哲学・人生哲学は片手落ちになってしまうと思うのである。

ドストエフスキーは作家だが、極めて深い次元で人間の「信」なる精神作用を捉え、それを『罪と罰』のソーニャとして見事に具現化したと感じられる。この作品の類稀な点はそこにあると私は思っている。

個人的意見の披瀝に過ぎない紹介となったが、ストーリーもハラハラするものであるので、普通に小説としても面白い。

身構えずに手に取っていただけるものとオススメしたい。

読了難易度:★★★☆☆
善悪の普遍性の起源に誘われる度:★★★★☆
精神作用の構成要素を考えさせられる度:★★★☆☆
トータルオススメ度:★★★★☆

#KING王 #読書#読書感想#読書記録#レビュー#書評#海外文学#ロシア文学#ドストエフスキー#罪と罰#信と意志

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?