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書評:亀山郁夫『「悪霊」神になりたかった男』

ドストエフスキー『悪霊』の世界における「神になりたかった男」の実像とは?

今回ご紹介するのは、ロシア文学研究者の亀山郁夫先生による『悪霊 神になりたかった男』というドストエフスキーの文芸評論。

本著は『悪霊』の「スタヴローギンの告白」という章について、亀山先生が自身の見解を講義形式で綴ったものである。

本著を読んで、私にとって刺激的だったのは、私の感想と亀山先生の解釈が全く異なったことであった。真逆と言ってもいいくらいな異なりようで、これだから文学は面白い!と思わせていただいた。

以下、二点について綴ってみたい。

①スタヴローギン観

ドストエフスキー『悪霊』の紹介投稿でも書いたことだが、私のスタヴローギン観は「自身を怪物に見せようと汲々とする卑小な人物」という印象である。つまり、スタヴローギン「怪物説」には否定的である。

亀山先生もそうしたスタヴローギン像を否定はしない。にも関わらず彼に「怪物性」を見て取流のだ。ではどこに「怪物性」を認めるのか。

それは、スタヴローギンの言動・思想、それら全てが「神という概念」に抵触する点においてである、とされていた。

これは目から鱗であった。「神に抵触する」ということの重大さは、「神」を支柱としない人にとっては実感し辛く、私もそうであった。しかし例えば「善悪や倫理を軽んずる存在」といったものを想像するとどうか(「サイコパス」と表されるタイプだろうか)。その人物が尊大か卑小かに関係なく、危なっかしい存在であることは想像できる。「神への抵触」とはそうした態様を極限化したものなのかもしれない。「神」は人によっては「根本原理」「第一原理」だからだ。

そのように考えると、スタヴローギンの周囲が何故これほどまでに彼を畏敬するのかも見えてくる。「根本原理」「第一原理」への軽蔑は、新たな世界を夢見る思想家や革命家にとってそれ自体が神々しい振る舞いと映ることだろう。彼は、単に大胆で恐れ知らずなだけではなく、本質に「神をも恐れない」要素が漂っているからこそ人を虜にできたのかもしれない。

②文学における「告白」という形式

私は「スタヴローギンの告白」が登場人物本人によってなされたという設定に重要な意味があるものと思ってきた。それは亀山先生も同様なのだが、ここでもその解釈は私のものとは全然異なるものであった。

私の場合、作者ドストエフスキーによる直接描写ではなく登場人物自身による「告白」(自己表現)の場合、その登場人物によるパフォーマンスという側面が必ず顔を出すと捉えていた。「スタヴローギンの告白」の場合、例えば「自分は赫々然々という状況において完全な理性を保っていた」と言った記述が多く確認されるのだが、私がこれらに感じたのは「俺はそういう人間だ」という自己顕示であった。つまり私は「スタヴローギンの告白」にも彼の虚栄心を見たということだ。いや、それしか見えなかったと素直に認めるべきだろう。

亀山先生はこの「告白」という形式に全く違った意義を見出している。

まず、スタヴローギンは極めてモノローグ的な人物であるという点に注目する。そしてこれを極限にまで押し進めたのが「印刷された告白」という媒体の形式だと捉える。ミハイル・バフチンが言うようにドストエフスキー文学はポリフォニー性が特徴であるを考えると、このモノローグ性は一際異彩を放つことになる。そしてこのモノローグ性という特徴は、「神」のような傲然たる一方通行性を表現するものだと言うのだ。

しかもそれだけでは終わりません。

このモノローグ性の中にもやはりドストエフスキー文学の特徴であるポリフォニー性は存在すると言う。

◯「告白」をチーホン僧正が先に読んでいるという敷居
◯「告白」が地下出版された印刷物であるという敷居
◯チーホンが読んだ「告白」と我々読者が作品として目にするものは同じではなく、作中筆者「私」が書き写したものであるという敷居

こうした多段階的な構成により、あくまで登場人物間の対話的な関係の中に「告白」が位置づけられ、作者ドストエフスキーと登場人物の同一視が巧妙に避けられているのだと言う。

うーん、凄い。深い。

亀山先生が「告白」という形式に見て取る文学的効果は非常に説得力があり、頭が下がる思いだ。こうも色んな捉え方があるものなのか。これだから文学は、ドストエフスキーはやめられない。

最後に、本著で気に入った一節を引用し、本稿を締め括りたい。

「何しろ、真理は一つだけなんてことは文学では絶対にありえませんからね。数学や物理学の世界とは違うのです。二つ以上の真理があることを示す、あるいはそう「誤読」させるだけのディテールが揃い、しかもその文脈までが現にこれだけ存在するのですから。」(P144)

読了難易度:★☆☆☆☆(←話し言葉で書かれ読みやすい)
『悪霊』事前読了必要度:★★★★☆(←これがハードル高い)
これだから文学はやめられない度:★★★★★
トータルオススメ度:★★★★☆

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