離れない不安を吐露したい③

まだまだ仕事が終わりません。息抜きも兼ねて、続きを投稿します。どうしようもない大学生活の振り返りからです。

大学生の時、遠かったように感じていたのは僕だけだったのか、相手もだったのか、それは分かりません。でも、飲み会の翌日には確実に後悔をしていたような気がします。変なことを口走っていなかったか、不安に駆られていました(特に気にされるほどの存在でもなかったのに、滑稽なものです)。

一応、私も大学生のころ、何度か恋をしました。私にとってそれはたぶん、比較的居心地の良い関係でした。黙っていても、特に何もしなくても、隣にいればお互いの空間が成立するような、そんな安心感が好きでした。

そんな中でも、一番長くお付き合いをした子がいました。彼女のことはBとしましょう。Bはどちらかと言えば甘えん坊だったと思います。頭は良く、落ち着いていておしとやかであったのですが、僕のことを本当に好いていてくれていたと思います。距離を感じやすく、人に猜疑心を持ちやすい私にとって、今思ってもそのように振り返ることができるのは、我ながら貴重だなと思います。大学生活の多くをBと過ごしました。Bといることがだんだん当たり前になってきて、きっと結婚するんだろうなとそれとなく思っていました。何か強く熱い思いがあったというわけではなく(もちろん私も彼女のことが好きでしたが)、どちらかと言うと、一緒にいることが自然すぎたので、離れるということが想定できていなかったのです。

さて、そうして私はご多分に漏れず就職活動を始めます。社会人に片足を突っ込んだ状態になります。私の頃は市況が良かったこともあって、トントン拍子に就職活動は進みました。もともと、知らない人の前で話すことは得意な方なんだと思います。これもまた、私の歪みが生み出したものの一つなのですが、初めて会う人の前では役者になれるのです。自分の中の何かを殺すことで精神を保つ術を、恐らく当時は高いレベルで持っていたと思います(そうやって自分を守っていたのだから、当然ですね。今もこれは変わりません)。だから、ホラでもなんでも吹けたんです。これは、関係が続いてくるとすぐに苦しくなるのですが、殊、面接と言う特別な状況下では効果覿面でした。就職活動で面接で落とされたのは、片手で数えるほどだったと思います。何となく社会に認められている気になって、嬉しかったのを覚えています。

そうして、私は銀行を選びました。他にもいくつか内定は頂いていたのですが、妙なひねくれで、いかすけない感じの商社やコンサルは好きではなく、保険は性に合わず、マスコミ系は興味がなく、メーカーは何となくスキルが鍛えられなさそう(とんだ勘違いですね)、と色々と考えて挙句の結論でした。

進路を決めてからすぐ、銀行の業界不安が叫ばれ始めました。仮想通貨のバブルなどが引き金になって、銀行はもう終わりだと声高にニュースになっていました。また、それに伴い、業界の酷い実態も表に出され、私の見るところになりました(当時からしっかり調べればそんなものはいくらでも見つかるのですが。。。)。当時、ビジネスインフルエンサーと呼ばれていた方々が、今時銀行に就職するなんてセンスがない人間を、他のどこの会社が採るんだ。転職も無理、辛い銀行で一生生きていけ、くらいのことを言っていたと記憶しています。そんな情報を見るたびに、これから始まる数十年と言う社会人生活に対して大きな不安を抱えずにはいられませんでした。夜は寝れなかったし、後悔はいくらしても足りませんでした。

そのころから、私は転職前提で働こうと思っていました。だから、学生の間から、いろんな会社の情報を見てみたり、スキルを磨こうと資格の勉強をしていました。しかし、こういうマイナスのモチベーションは精神衛生上よくないです。今思い返しても随分つまらないことをしていたなと思います。

いざ銀行に入ると、そこは地獄でした。研修同期には派手な人間が多く、馴染めませんでした(体育会が多い影響でしょうね)。優秀な同期というのはほとんどいませんでした。大学生のころ、横目で見るので十分なサークルってあると思うんですが、ちょうどその中にいるような感覚でした。当然といえば当然だと思います。当時の情勢で、優秀な人間は銀行なんて選ばないからです。私があまりにも無知すぎたのです。コンサルの内定を断った時、きっとリクルーターは本気で私のことを心配し、話を聞いてくれていたのだろうと今は思います。

研修が終わり、最初はいわゆる窓口への配属です。私は都内のはずれの小さな支店に配属になりました。窓口業務と言うのは、ロビーに立って挨拶をして、おじいさんおばあさんが何回言っても理解できないような手続きをするのを手伝って、オペレーションが遅いと怒鳴られて、印鑑が違うということを指摘すると口論になり、勘定が1円合わないと事故、ハンコが一つないと事故…思い出すのも辛いです。何をやっているんだろうと思っていました。クレジットカードを窓口で成約させると褒めてもらえるのですが、馬鹿にされている気にしかなりませんでした。隣の芝生は青いとよく言いますが、メーカーや商社やコンサルに行った友達が早速シャカイジンらしい仕事を進めていた中で、私はロビーで大きな声で挨拶をするのが至上命題でした。心が壊れていくのをはっきりと感じていました。

Bは、優良企業に行きました。そうして、出会った同期の人と仲良くなり、あっさりと、——実にあっさりと私のもとを去りました。若干ではありますが被っていた(つまり浮気をされていた)時期があったようですから、お笑い種です。まだ社会人が始まって半年もたっていないころではないでしょうか。

別れを切り出されたとき、私は精神がおかしくなるのを自覚しました。どこかで似た感覚を覚えています。母が死んだときです。シチュエーションは全く違いますが、あって当たり前だった存在、それによって自分の足元が支えられていた存在が消えるということが、ここでもまた起こりました。母の時よりもたちが悪かったのは、たったの数か月で私とBとの関係は終わるようなものだったのだと考えてしまったからです。Bは決して、不真面目なタイプではありません。むしろその逆。まじめで、静かで、品がありました。一時に感情に身を任せるタイプではありません。つまり至極冷静に考えた結果として、一瞬Bの目の前に現れた男性を選んだのです。私より価値がある者がいれば、これまでの関係などどうでもよく、私は不要になるということをこれ以上なく突き付けられました。自分がどれだけ意味のない人間かをまざまざと感じました。当時、ただでさえ死にかけていた私の心は、それによって完全におかしくなりました。人としての形だけ保っているだけで、何をしても頭に入ってきませんでした。寝れない、食べれない、勝手に涙が出る、吃音気味なる、そのあたりは一通り経験したでしょうか。

もう、Bを思い出すことはありません。しかし、彼女の存在は私を決定的に変えました。私は自分を守るために、今度は人に期待しないことを覚えたのです。自分に期待せず、人に期待せず、誰とも深く関わらず、そうやって生きることで自分を守っていたように思います。そうして少しづつ少しづつ、通常の人間に戻ろうと努めていました。

でも、これは、実はすごく生きやすいのです。相手がそこにいても、相手には何も期待しないし、自分にも期待しないから、何が起こっても心はたいして揺らぎません。そればかりか、これまであまり言うことができなかった軽口なんかも簡単に出てくるのです。相手がそこにいるようでいないし、私がここにいるようでいない。私はずっと一歩引いたところから自分を見ていて、操り人形のような私を操作しているような感覚でした。操り人形がどう思っているかなんて関係ありません(というか、操り人形に感情はありません)。だから、ある意味何でもできるのです。私はこうして、上っ面ばかりの良さに磨きがかかる一方で、本質的な人との関りを拒むようになっていきました。


また続きます。





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