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後半、本編と無関係なことを書いています。 【書評】Schoolgirl (九段理江 著)

こんにちは。今回はこちらの本を読んでみたので感想を書いてみます。
こちらも第166回芥川賞の候補作でした。

タイトルの「Schoolgirl」は、太宰治の「女生徒」を下敷きとしているからです。主な登場人物は母と娘の2人。娘は15歳でyoutuberとして「Awakenings」というチャンネルを運営しています。「Awaken」、すなわち目覚めさせるという意味で、環境問題、社会問題について普段は英語で発信している、いわゆる「意識高い系」、わかりやすく言うとグレタさんのようなチャンネルです。

一方、母はそんな娘のことを理解したいが理解できない。環境問題に関心がある娘に朝食で卵とベーコンエッグを出しても、動物由来ということで食べません。どうにもその距離感を図りかねているように思えます。

そんな娘はある日、母の本棚から愛読書と思しき太宰の「女生徒」を見つけます。そもそも娘は小説を読みません。自分のチャンネルでこんなことを言っています。

本当に心から、小説を読むことには何のメリットもないと思っています。メリットがないどころか教育に悪い。だって小説は現実逃避のための読み物でしかなく人を夢の世界に引きずり込む百害あって一利なしの害悪そのもの、現実世界にとっての敵、諸悪の根源じゃないですか?

九段理江 「Schoolgirl」

ひどい言い様です。小説を読むメリットなんぞ、私ならいくらでも挙げたいとは思いますが、なぜか太宰の「女生徒」については、元々が太宰の元に送られてきた日記が基になっているので「ギリギリセーフ」なんだそうです。なんだそれ。

ところが、この「女生徒」を読んだ娘はこの話の中で、「お母さん」という単語が多く使われており、そこに非常に共感しています。

貧困や、飢餓や、強制労働から救わなければいけない人たちが何百万人といるのに、最終的には私だって、自分のたったひとりのお母さんのほうがよっぽど心配で大事なんだ。

九段理江 「Schoolgirl」

文学少女の母親と、意識高い系の娘。まったく異なる世界線に生きているような嚙み合わなさが、「女生徒」という作品によって最終的に歩み寄るのですが、その歩み寄った結果をどうなるのか、見てみたかったような気がします。

また、この作品を読むにあたって太宰の「女生徒」の方も読んでみました。原典となったとされる、実際の日記をどの程度踏襲しているのかわかりませんが、女子高生を憑依させる太宰ってなんだかゾクゾクしますよね。おそらく私は女子高生を憑依させることは一生無理だと思います。と思っていたら、選考委員の山田詠美氏が以下のような選評を書いていました。

あの太宰治の作品の中でも、もっとも気持ちの悪い(当社比)「女生徒」のはるかに上を行く気持ち悪さを獲得して欲しい。

山田詠美「選評」 文藝春秋2022年3月号

表現が直球ですねぇ。

ちなみに、「Schoolgirl」の作者は女性ですが、たとえ中年の男性だとしても、少なくとも私は気持ちの悪さを感じないような気がします。それは、この母娘の関係性の中に、youtuber、AIスピーカーの無機質で無遠慮な音声などの「今っぽさ」が効いているからかもしれません。

尚、一番気持ちの悪い作品、と言われたら以下の本を思い出しました。

「失楽園」に続く、不倫小説なのですが、要はセックス中に「首を絞めて殺して」を女から言われ本当に殺しちゃうという話です。もともと日経の朝刊に連載されており、「日本のサラリーマンは、朝から何を読んでいるのか」という文脈で当時は批判されていたように記憶しています。

で、私の中で何が気持ち悪いかというと、連載されている媒体だとか、不倫小説であることは別にどうでもよくて、当時作者が(恐らくAERA上)インタビューで、「『愛の流刑地』に出てくる、冬香(という相手女性)のようないい女は地方にいる」旨を言っており、大御所作家のそのしょうもない認識とセットで気持ち悪さ(断じて、キモい、ではない)を当時20代の私は感じたのであります。恐らく読んでから15年くらい経っているのですが、これを超える気持ち悪さにはまだまだ出会えていません。(当社比)

ということで、今回はここまでです。
お読みいただきありがとうございました。



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