見出し画像

「ちゃんとする」って何なんでしょうね。/【書評】ブラックボックス (砂川文次 著)

先日(2022年1月19日)、第166回芥川賞受賞作が発表されました。なんとはなしに「芥川賞・直木賞は押さえておかなくては」と思っていても、ずるずると読まないままになってしまうことも(特に芥川賞受賞作の場合は)多々あるのですが、今回はタイムリーに読むことができました。

主人公のサクマは職を転々とし、今は歩合制の自転車メッセンジャーとして働く28歳。物語の冒頭は、メッセンジャーとして勤務中、単独事故を起こすところから始まります。何か将来に希望があるわけでもない、とりあえずは若さに胡坐をかいてその日暮らしに近いような生き方ではあるものの、このままではいけないと漠然と思っている。一方、職場の人間と話していても、
「自分と他者は違う」というすこしばかりの自尊心程度は持ち合わせている。でもその自尊心って根拠はないんだけれどもね。

尚、前半はメッセンジャーとしての話が中心になるのですが、後半はいきなりその舞台が意外な方向へ変わります。

作中にサクマのこんなつぶやきがあります。

「もっとちゃんとしなきゃいけないな」

オフィスビルを出入りするビジネスマンを見ながら、歩合制で働き、たとえ事故で働けなくなったとしてもなんの補償もない雇用形態を振り返り、現状維持ではいけないと焦燥感を感じる。その目指すところは「ちゃんとすること」。でも、サクマにも「ちゃんとする」とは何なのかわかっていない。「何か」になりたいが、「何か」を自身もわかっていない。わかっていないけれども、明日は来る。明日を迎えることはできる。でもその明日は今日とは「何か」違うが、その「何か」はやっぱりわかっていない。その「わからなさ」が表題の「ブラックボックス」なのだと思います。

少し前に、以下のような本が話題になったことを思い出しました。(未読ですが・・・)

2009年出版なので結構前だな、と思ったのですが、原本はもっと1983年なので、結局ここ数十年「この先どうなるかはわからないよね」と言っているわけです。ただ、ざっくりと社会全体で「先行きわからない」と数十年、せっせと言い続け、さらもこのパンデミックがダメ押しになり、28歳のサクマに「ちゃんとしなきゃ」という、生温かい呪いをかけてしまっているように思えました。

この「ちゃんとしなきゃ」ということに答えはなくて、だからこそ呪いのように個人にまとわりつく。そういう時代に私たちは生きている。

もしサクマに「推し」がいれば、それはサクマにとって何らかの救いになったのかもしれない、なんてことを考えてしまうのは以前読んだ「推し、燃ゆ」に影響されているのかもしれません。

尚、最後に「歎異抄」の本が出てくるのですが、ここは何を意味しているのかなと、少し疑問に思いました。ここら辺がストンとわかるとかっこいいですね。

ということで今回はここまでです。
お読みいただきありがとうございました。

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?