毒親の母とボク、また、振り返り

画像1 母は、姉が家を出て行く時に、ボクに言った。あの子は、育て方を、母さんは間違えたけど、あなたは、母さんのそばに、居てくれるわよね。母のこの呪いの様な言葉、あなたの為にしているのよ、と同じくらい、ボクを苦しめた。母がボクから離れなれないのではなく、ボクが、母から離れられない共依存に、なっていた。ボクは、引きこもり、共依存になり、母が、亡くなるまで、関係は、変わらなかった。お互いに、依存し合って、ボクなりに母を看取った。漫画の血の轍だった。母は、働き過ぎて、膵臓癌になった。引きこもりのボクは、無力だった。
画像2 母は、搬送された、西新宿の大学病院で、少し容態が、落ち着いた時に、ボクに言った。あなたを助けてあげられなくてごめんね。これから大変な事ばかりだけど。それは、初めて母が、謝ってくれた言葉だった。母の前では、泣く訳にはいかないので、涙を我慢して、母さんは、悪くないよと言うのが、精一杯だった。どうして、母にあんな言葉を、言わせてしまったのか、自分が、情けなかった。母は、謝る様な人では無かった。思えば、遺言だった。引きこもりから、一人暮らしを始め、まだ、働けてはいないのだけど、就労に向かって動き出している。
画像3 こんな自分を、母は、どう思っているのだろうか?母が、願った生き方では無いけれど、ようやく、自分なりの道が、見えてきて、大事な女性も出来た、こんなボクを、母は、認めてくれるだろうか。夏は、終わってしまったけれど、何故か、最近、母に、今の自分を見せたいと思うのです。最近、繰り返し、思い出すのが、母と、幼い頃、行った巨大生物の展示なんです。確か、新宿の小田急でやっていたと思うんですが、兎に角、ネズミが、巨大化してたり、一度見たら、忘れられない感じでした。帰りの中央線の中で、怖かったねえ、また来ようねと。
画像4 母は、不思議な物が、好きだったから、幼いボクは、楽しかった。まだ、受験も関係ない、原風景のお話しなんだけど、何故か繰り返し思い出すのです。今度、母が、亡くなる前に、食べたがっていた、鎌倉の無心庵にあんみつを食べに、大事な女性と行ってくるのですが、母の供養になれば、いいですね。

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