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【恋愛小説】緋色に堕ちた婚約者 第1話 〜melancholy〜


《初めての方はコチラから》




[約2,000字]


 薄い瞼の向こう側に暖かな朝陽を感じた。少しだけ敏感になった私の耳。その耳奥で鳥のさえずりを意識した瞬間、私は新たな朝を迎える。

 十四歳の私には大きすぎる、ふかふかの天蓋付きベッド。うんしょと身体を引き摺ってやっとの思いでベッドから起き上がった私は、ネグリジェ姿のままそっと床に足をつけた。肩の下まで伸びた亜麻色のくせ毛はそのままで、焦茶色の瞳を隠した瞼を少しだけ擦った。ベッド横のキャビネットには可愛らしいベルが一つ。それを手に取ってチリンと鳴らすと、待っていたかのように侍女が一人部屋の中へと入ってきた。

「おはようございます、お嬢様」
「おはよう、マリー」
「お嬢様。今朝の起床は八分遅いようです。本日はマナー教育と孤児院の訪問がございますので、性急なご準備をお願い致します」
「う、うん。分かったわ……」

 マリーは幼い頃から我が子爵家に仕える私の専属侍女。歳は私の一つ下なのに、そのハキハキした物言いは、どう考えても年齢を偽っているようにしか見えないしっかり者っぷりだ。

 マリーに急かされた私はベッドから立ち上がり、まずは着替え。マリーが選んでくれた白のワンピースを身に纏い、次は彼女に促されるまま鏡台の前に腰を下ろした。顔を上げると、そこにいたのは寝ぼけ眼の私。不意に鏡の中の私と目が合い、込み上げてきた羞恥心からそっと視線を逸らした。

「……終わりました、お嬢様」

 テキパキと無駄のないマリーの働きで、私の身支度はあっという間に終わった。彼女にお礼を告げた私の視線は自然と窓の外へ。後片付けを始めたマリーを背に、椅子から立ち上がった私はてくてくと窓際へ歩いていった。窓を開けて思い切り景色を開放すると、そこに広がるのは冬模様。出窓の下辺りを覗き込んでみると、我が家自慢の庭園が見えた。四季折々の花が咲き誇る、お母様が手塩にかけた中庭。ツバキ、サザンカ、ポインセチア。粉雪が舞う冬の中庭を彩る美しい花々。とても心に染みる光景だけれど、私の瞳はその美しさとはまた別の存在を探し求めていた。

 ――でも、現実っていつも冷たい。が来ないことはよく分かっているのに。それでもかつての習慣が身体に染み込んでしまっている私は、毎朝こうして窓から中庭を見下ろさずにはいられなかった。

「お嬢様。昨日届いたお手紙ですが……」

 過去に浸っていた私にマリーが声をかけてきた。呼びかけに応えるように私が振り返ると、マリーがキャビネットの上を物言いたげな顔で見つめている。彼女の視線の先には未開封の手紙が一通。彼女の言いたいことは一目瞭然だ。

「今回も……開封はされないのですか?」

 視線の先を私に変えたマリー。表情はいつもの無に戻っているものの、声だけは懸念が込められていた。

「……ええ。読むつもりはないわ」

 毎月定期的に送られてくる手紙。この二年近くずっと送られてくる手紙は、途中から読むこともなくキャビネットの中に眠っている。彼女の問いに答えた私は、再び窓の向こう側に目を向けた。当たり前だけれど、ほんの数分前に見た景色と何一つ変わらない光景が広がっている。たったそれだけのことなのに、情けない私の心は少しばかりチクリと痛んだ。

「……お嬢様。今日もブラームス侯爵令息をお待ちなのですか?」

 それは不意打ちだった。マリーの鋭い指摘に、私の心臓がドクンと大きく一回。思わず表情にも出してしまったことを、彼女は恐らく見逃さなかったことだろう。

「ただ……昔の習慣が染みついてしまっただけよ?」

 見なくても分かる。声は心配そうでも、きっとマリーの顔は厳しいもののはず。彼女は幼い頃からずっと私のことを傍で見てきたから。ずっと私の心の声を聴いてきたから。――それでも今は、知らないフリをしていてほしいのに。

「お嬢様。ブラームス侯爵令息は二年前から首都にございます王立アカデミーに通っておられ、寄宿生活で領地にはいらっしゃいません。ですのであの頃のような朝のご挨拶は……」
「ええ、分かっているわ」
「ですが、お嬢様も来年で十五歳。王立アカデミーに入学されるお歳です。きっと以前のように侯爵令息と交流される機会もございましょう」
「……そうね」

 私がふわりと微笑むと、マリーは少しは安心したのか、厳しい無表情からいつもの無表情に戻っていった。でも――それは偽り。私の心は微笑のように蟠りがなくなったわけではない。それはマリーだけではない、私の家族でさえ知らない事実を私が知っているから。



 きっと彼は私のことを待ってなんかいない。たとえ来年彼と同じ王立アカデミーに入学したとしても、昔のように私達が笑い合える日は一生来ない。だって、私はこの耳で確かに聞いてしまったから。


 私の婚約者エルウィン・ブラームスは二年前、王立アカデミーで運命の相手に出逢ってしまったということを――。






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愛世(趣味:小説書き)
【文章】=【異次元の世界】。どうかあなた様にピッタリの世界が見つかりますように……。