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連鎖反応 [Chain Reaction]【動画】

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つながりのある曲を鎖のように連ねながら、その曲に対する思いをコメントしていきます。ほぼ毎日更新(予定)です。
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2022年2月の記事一覧

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421: The Beatles / Drive My Car

「ドライヴ」つながりでこの曲を。最近では、同名の映画も話題になっていますし... 1965年リリースのアルバム『ラバー・ソウル』のオープニングを飾ったこの曲、ポールとジョンのツイン・ヴォーカルで歌われます。 アルバム全体のイメージは、フォークロック風というか、バロック風というか、そういった感じですが、この曲だけは明らかにR&Bを意識していて、かなり異色のナンバーと言えるでしょう。 曲を書いたのもポールなら、ベースだけでなくピアノも弾き、さらに間奏のスライド・ギター・ソロも弾いていて、まさにポールの独壇場です。 そういったこともあって、ポール自身もお気に入りなのでしょう、ソロのライブでも、たびたびこの曲を取りあげています。 ただ、私、コピーバンドでこの曲をやったことがあるのですが、ベースを弾きながら、あのヴォーカルを歌いこなすのは非常に難易度が高く、数回練習して断念した記憶があります。 簡単そうに聴こえて、実は難易度が高いのがビートルズ!

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420: The Cars / Drive

カーズで最も売れた曲は、このバラードでした。 『ハートビート・シティ』からの3rdシングルとして1984年にリリースされ、US3位/UK4位のヒットを記録しています。 ソングライターはリック・オケイセックですが、リード・ヴォーカルはベースのベンジャミン・オールが担当しています。 たしかに、この曲には、アクの強いオケイセックの声より、オールの方が合っているようにも思います。 MVに出演している女性は、モデルのポーリーナ・ポリスコワで、撮影当時、まだ18歳でした。 そんな彼女は、1989年にリック・オケイセックと結婚します。年の差、実に19歳!ちょっとした犯罪レベルです。(ちなみに、オケイセックは3回目の結婚) なお、オールは2000年(享年53)に、オケイセックは2019年(享年75)に、それぞれ亡くなっています。

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419: The Cars / Looking For Love

「ロック・ミー・アマデウス」が大ヒットしていた頃、ファルコのアルバム『Falco 3』(邦題『ロック・ミー・アマデウス』)をレンタルしました。 で、4曲目の「Munich Girls (Lookin' For Love)」(邦題「ミュンヘンの娼婦」)を聴いた時、「あれっ、この曲聴いたことある!」と思ったことを覚えています。 ただ、それが誰の曲なのか、さんざん悩んだのですが、当時は情報源が限られていたこともあり、どうしても分かりませんでした。 今だったら、ちょっとググれば、30秒もかからずに調べられることでしょう。 そして、何かの拍子で、カーズの『ハートビート・シティ』を聴いた時に、「あっ、この曲だ!」と気づきました。 アルバム2曲目に収録されたこの曲、シングルカットもされていませんし、正直、ほとんど覚えていませんでした。 このアルバムからは、Top40入りしたシングルが5曲もあり、うち2曲はTop10の大ヒットなのですが、よりによってこんな地味な曲をカヴァーするあたり、ファルコのマニアックさを伺い知ることが出来ます。 (ちなみに、ファルコの英語混じりのドイツ語ヴァージョンは、独特のねちっこさがあり、一聴の価値があるので、ご興味のある方はぜひググってみてください。) 前述したように、今だったら簡単に誰の曲か分かるんでしょうけど、当時、分からずにさんざん悩んだからこそ、今でもこの曲のことを覚えているのも事実です。 そう考えると、今よりも不便だったあの頃も、悪いことばかりではなかったように思います。

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418: Falco / Rock Me Amadeus

ネーナの「ロックバルーンは99」が大ヒットした約2年後、今度はオーストリアのミュージシャンが、やはりドイツ語の楽曲を世界中で大ヒットさせます。 それが、ファルコのこの曲でした。 アマデウスとは、モーツァルトのミドルネーム。一説では、1984年の映画『アマデウス』を見たことが曲を書くきっかけになったとも言われています。 母国の偉人を茶化したような歌詞を、ヒップホップのリズムに乗せてラップしたこの曲は、1985年にリリースされ、まずヨーロッパ中で大ヒットとなります。 その勢いは太平洋を越え、翌1986年3月には、US1位(3週連続)を獲得します。 ドイツ語の曲がUS(ビルボード誌)で1位を獲得したのは、現時点で、この曲のみです。 この曲以降、世界的なヒットは「ウィーン・コーリング」がUK10位/US18位を記録したのみなので、『一発屋』に分類されることも多いですが、地元オーストリアでは安定した人気を維持していました。 1996年にドミニカ共和国に移住しますが、1998年、自動車事故により40歳の若さで亡くなっています。

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417: Nena / 99 Luftballons

「バルーン」つながりで、この曲を。 ...って、言語が違うので、微妙につながってないですが... 1983年に西ドイツのバンド、ネーナがリリースしたこの曲、ドイツ語の歌詞ながら世界中で大ヒットし、USでは最高位2位を記録します(キャッシュボックス誌では1位獲得)。ちなみに、その時の1位は、ヴァン・ヘイレンの「ジャンプ」でした。 なお、UKでは、翌年リリースされた英語ヴァージョンが1位を獲得しています。 この歌、いかにも80年代前半という感じのエレ・ポップ・サウンドで、今聴くと非常に懐かしく感じます。 ただ、歌詞は非常にシリアスな反戦歌です。 思えば、当時は冷戦の時代で、ベルリンにはまだ壁がありました。 この曲のリリースから40年近い時が過ぎましたが、この曲に込められたメッセージは、残念ながら今も有効のようです。

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416: The Yellow Balloon / Yellow Balloon

「サーフ・シティ」以降、順調に活動を続けていたジャン&ディーンでしたが、1966年4月、ジャン・ベリーが交通事故を起こし、瀕死の重傷を負います。 そのため、ディーン・トーレンスは単独で活動し、ジャン&ディーン名義で作品をリリースすることを余儀なくされます。 アルバム用の曲を探していたディーンは、旧知のゲイリー・ゼクリーに依頼し「イエロー・バルーン」を提供してもらい、レコーディングします。 その仕上がりが出来が気に入らなかったゲイリーは、ディーンにアドバイスを送りますが受け入れられず、このため、ゲイリーは自らレコーディングすることを決意します。 バンド名は、曲のタイトルをそのまま用い(頭に「The」が付きます)、リリースされたのがこの曲で、US25位のヒットを記録します。 一方で、ジャン&ディーンのヴァージョンは圏外(111位)どまりでした。 2分ちょっとしかない短い曲ですが、単純な繰り返しが少なく、リズムチェンジもあったりして、見事なアレンジとなっています。 この曲を含む、唯一のアルバム『イエロー・バルーン』は、ソフトロック(海外ではサンシャイン・ポップと呼ぶようです)の名作となっています。

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415: Jan & Dean / Surf City

「サフラジェット・シティ」の「Suffragette」という単語、この曲以外で見たことがないですが、「女性参政権運動家」という意味らしいです。 で、ガラッと変わって、「シティ」つながりでこの曲をチョイス。 ジャン&ディーンが1963年5月にリリースしたこの曲、同年7月にUSナンバー1を獲得します。いわゆる「サーフ・ソング」がUS1位になるのは、この曲が初めてでした。 この曲、ブライアン・ウィルソンとジャン・ベリーの共作なのですが、面白いエピソードがあります。 あるパーティーで、ブライアンはピアノで「サーフィン・U.S.A.」を弾き、ジャン&ディーンの2人に聴かせます。気に入った2人は「シングルにしたい」と申し出ますが、ビーチ・ボーイズで出すつもりだったブライアンは断ります。 代わりに、まだ途中までしか書いていなかったこの曲を聴かせると、未完成部分をジャンが書き足して完成させ、そしてこの曲が誕生します。 「サーフィン・U.S.A.」はUS3位なので、この勝負はジャン&ディーンの勝ちとなりますが、その後の活躍では、圧倒的にビーチボーイズに軍配が上がります。

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414: David Bowie / Suffragette City

昨日の最後に書いた、70年代前半のボウイの3枚のアルバムのうち、何故か『ジギー・スターダスト』からだけ、これまで1曲も取り上げていないことに気づきました。 で、どの曲にするかが、大変悩ましい... 迷った挙句、この曲にしました。 決め手は、「ジギー・スターダスト」のラストから、この曲になだれ込む流れが、ただただ単純にカッコいいから。 やっぱり、この時代のアルバムは「通しで聴くのが基本」だと再認識します。 この曲、曲調自体は古典的なロックンロールナンバーですが、「Hey Man!」の掛け合いや、ブレイクでの「Wham bam thank you ma'am!」など、キメのフレーズのカッコよさは、半世紀前の作品とは思えないものがあります。まさに、時代を超えた名盤。 余談ですが、このアルバムに限らず、リマスター版を聴くと、音の分離の良さに驚きます。一方で、音が塊で聴こえることで感じていた「圧」を感じなくなったようにも思います。 クリアに聴こえさえすれば良いとは限らないところが、音楽の奥深さですね。

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413: David Bowie / Let's Spend The Night Together

ディーヴォの「サティスファクション」は、原曲からかけ離れたカヴァーでしたが、ストーンズによるオリジナルのイメージが強すぎるので、ある意味仕方がないように思います。 ストーンズの曲を比較的ストレートにカヴァーした例として、真っ先に思いつくのが、デヴィッド・ボウイのこの曲。 1973年にリリースされた『アラジン・セイン』に収録されていました。このアルバムは、ボウイにとって初のUK1位を獲得します(USは17位)。 軽快なアップテンポの小気味いいロックンロールですが、マイク・ガースンの弾くピアノがちょっと不気味な不協和音を奏でていて、独特の雰囲気を醸し出しています。 アルバム中、この曲だけがカヴァーですが、全く違和感がないのは、このピアノ・サウンドの貢献が大きいと思います。 それにしても、『ハンキー・ドリー』『ジギー・スターダスト』『アラジン・セイン』と、この時期のボウイは文句のつけようがありません。

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412: Devo / (I Can't Get No) Satisfaction

「オハイオ」で歌われている銃撃事件が発生したケント州立大学には、後にディーヴォを結成するマーク・マザーズボーとジェラルド・キャセールが、当時在籍していたと言われています。(ちなみに、プリテンダーズのクリッシー・ハインドも、抗議集会に参加していたらしい) 若い時に、身近なところでこのような事件が起こると、ものの見方や考え方に大きな影響を受けることは間違いないでしょう。 1978年にリリースされたディーヴォの1stアルバム『頽廃的美学論』(US78位/UK12位)は、当初はデヴィッド・ボウイがプロデュースする予定でしたが、スケジュールの都合により、ブライアン・イーノに変更されています。(どちらにしても豪華!) この曲は、アルバムに収録された唯一のカヴァー曲。シングルリリースされ、UK41位の小ヒットを記録しています。 ストーンズのオリジナルを、ここまで無機質なアレンジに変貌させたのは、かなり衝撃的だったと思われ、そのあたりが、彼らをニュー・ウェイヴ・バンドの中でも特別な存在にしている理由だと言えるでしょう。 ちなみに、ディーヴォというバンド名は、「人間は退化(De-evolution)した生き物」に由来すると言われています。 こういうところにも、若き日の事件の影響をみることができます。

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411: Crosby, Stills, Nash & Young / Ohio

トリオによる『クロスビー、スティルス&ナッシュ』リリースの直後、サウンドを強化する目的でニール・ヤングを加え、グループはカルテットとなります。 この4人による代表作と言えば、名盤『デジャヴ』(US1位/UK5位)になりますが、ニール・ヤングが加入したことによる影響という点では、この曲の方がインパクトは大きかったのではないかと思います。 1970年5月4日、オハイオ州のケント州立大学にて、デモ集会に参加していた非武装の学生を州兵が銃撃し、4名が殺害されるという事件が発生します。 事件を知ったニール・ヤングは、このプロテスト・ソングを書き上げます。 そして、事件からわずか17日後の5月21日、グループにて録音し、6月にシングル・リリースされることとなります(US14位)。 CSN&Yと言えば、アコースティックなサウンドとコーラスの美しさが最大の魅力ですが、彼らの中では異色の作品と言えるこの曲が伝えるメッセージは、今の時代にもそのまま通じます。

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410: Crosby, Stills & Nash / Suite: Judy Blue Eyes

「青春の光と影」をレコーディングしたころ、ジュディ・コリンズはスティーヴン・スティルスと恋人同士でした。しかし2人は翌年には別れます。 悲しみに暮れたスティルスは、別れたジュディのことを歌にします。そうして生まれたのが、この曲でした。 1969年にリリースされたクロスビー、スティルス&ナッシュの同名デビュー・アルバム(US6位/UK25位)のオープニング・ナンバーとして収録されています。 3人のコーラスの美しさを、これでもかと見せつける、名曲です。 タイトルに「Suite(組曲)」とあるように、この曲は4部構成からなっていて、7分以上あります。 さすがに、シングルリリース(US21位)の際には約4分半にエディットされますが、実は私、このシングルヴァージョンを(多分)聴いたことがありません。 やはり、この曲はオリジナル・ヴァージョンのあの構成でこそ、ということでしょう。 ちなみに、「Suite」は発音が「Sweet」と同じなので、ダブル・ミーニングなのでは?とも言われています。 この曲をよく知らないという人でも、「ドゥドゥドゥドゥドゥ」が繰り返される最後の1分間は、意外と耳にしているのではないでしょうか。

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409: Judy Collins / Both Sides Now

昨日書いたように、ジュディ・コリンズは「時の流れを誰が知る」を録音し、シングルB面に収録してリリースしています。 そのシングルのA面の曲は、ジョニ・ミッチェルが書いたこの曲でした。 非常に多くのミュージシャンにカヴァーされているこの曲、これが最初にレコーディングされたヴァージョンとなります。 1967年にリリースされたアルバム『ワイルドフラワーズ』に収録され、1968年にはシングルカットされてUS8位のヒットを記録しています。 「(飛行機に乗って)雲を両側から見たけど、雲のことが良く分からない」という含みのある歌詞で、2番では「愛」、3番では「人生」について、同じように歌われています。 昔、「青春の光と影」という邦題は、的外れのように思っていたのですが、今では、言い得て妙の「名訳」だと思っています。

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408: Fairport Convention / Who Knows Where The Time Goes?

フェアポート・コンヴェンションの代表曲を挙げるとしたら、間違いなくこの曲は入ると思います。 『アンハーフブリッキング』に収録されたこの曲、作者はサンディ・デニーで、元々はギター1本のデモとしてレコーディングされました。また、彼女が短期間参加したバンド、ストローブスでも録音されています。 その後、サンディはフェアポートに参加し、バンドによるヴァージョンが1969年にレコーディングされます。淡々とした曲調ながら、多少ロックっぽい要素がアクセントになっています。 この曲の邦題は「時の流れを誰が知る」。こういう堅めの邦題、私、大好きです。 なお、前述したサンディのデモを聴いたジュディ・コリンズは、この曲を気に入り、1968年に自身でレコーディングし、リリースしています。なので、フェアポートよりも先に世に出回ったことになります。