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ゲリラ豪雨に夕立を思う

そこにあるのが当たり前だったものが、ある日突然無くなるという事が人生には能くある事だ。

例えて、肉親友人知人、地位名誉名声、そして肌のハリ艶肌理弾力、頭髪に歯、果ては体力精力やる気本気生気正気……。人夫々、十人十色、人生色々、悲喜交々であろう。

そして、私がここ十年で確実になくなったと感じるものがある。
それは、夕立だ。
実際、今の小学校低学年に在籍の児童は確実にご存じないのではなかろうか。それ程近年稀有なものと感じるのである。

なお、先ほどから、今、今と書いているが、この今とは2024年7月5日金曜日である。

夕立と言えばやはり夏だろう。
夏は日が長く午後5時6時でもまだ明るい。その明るい空が急に明度を落とし暗くなったかと思うや、何処からともなく冷たい空気がやって来る。そうしているうちに風が立つ。風が立ったらもう早い。ザーと篠突く雨がやって来る。そうすると夕立に降られた我々は、木蔭や軒やビルを見付けては其処へ駈け込んで一時(とき)の驟雨をやり過ごしたものである。
夕立の一過は、建物や空気やアスファルトからその夏の陽の蓄熱を奪い去り、涼しい夕べをもたらした。
近年は日中の猛暑に夜間の熱帯夜である。その間に夕立はない。
夏に於ける夕立の功績。そういったものが確かにあった。

更に今はゲリラ豪雨に取って代わられた感がある。そしてこれは東南アジアの雨季のそれであり、昔日の日本の夏の夕立ではない。全くの別物だ。取って代わられたというより寧ろ置き換わったというのが正解だろうか。
地球温暖化により熱帯化しつつある日本から、夕立は追い出されたのだ。

日本を追い出された夕立は、今日も何処かで雨を降らせているだろうか? それとも完全にこの地球上から消滅してしまったろうか?
そして遂には、夕立という言葉すら無くなってしまうのではないか、或いは夕方のゲリラ豪雨を夕立と呼ぶようになるだろうか?

夕虹という言葉がある。夕立の後、東の空に出る虹のことだ。
夕虹の翌日は晴れると言われていた。 夕虹を無邪気に追いかけた昔を懐かしく思い出す。

明日もまた暑くなりそうだ。

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