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グループ分けの時さ、【2023.09.12】
今日は朝起きて走ろうと思っていたので、起きてからランニングに出かけました。
運動はそんなに好きではないのですが、脳の萎縮防止・活性化やメンタルの安定には大切だということで、意識的に取り入れるようにしたいなと思っていてのことです。疲れたから運動するか、くらいになりたい。
午後からは労働に関する内容の授業ガイダンスへ。どうして働くのかという問いを置きつつ、仕事と階級、若年層の貧困化、外国人労働者などなど色々なことに触れて労働というものを見ていくことになりそうです。めちゃめちゃ面白そう。
そして、老師(先生)も話すのが速くないかなどと気遣ってくれる方で、安心して学べそうだなと感じました。
話は変わって、グループ作ってっていうのはいつも緊張の瞬間です。メンバー見つかるかなとか、前の方に座ってるのに後ろの方のあんまり意欲的じゃない人となってしまったらとか、色々。
今回は運良く見つかりました。明日も明後日もグループ作成があるのが緊張です.…
何の流れでそう思ったのかは忘れてしまったけれども、「憧れ」にも何種類かあるのかなとふと思いました。でもざっくり2つ?
1つは自分の延長線上のタイプというか、今の自分のステータスとかをグッと伸ばすというか。自分の成長の究極形態みたいなイメージ。
もう一つは、自分に持っていないものがあるからその人に憧れるというもの。この場合は、自分の特性や性質と大きく異なる場合もあると思う。
なのでこのタイプの憧れを目指すとしたら大きな努力や、はたまた自分を根本から改造しなくてはならなかったりするのではないかと思う。
もちろん本当にそれを望むのであればそうするべきだと思う。けれどももし、そこにためらいが生じる、または苦しいのであれば、一度止まってみてもいいのではないかと思う。
憧れって一種の美化ともいえるわけだから、もし自分がなってしまったら、その憧れの対象は憧れではなくなってしまうのかもしれないと考えてもいい。
そうやって「自分に無いものタイプの憧れ」であれば憧れのままにしておいて、自分がなれる最大の自分に向けて力を注いでいくというのが、自然でかつ「誰かの憧れ」レベルにまで自分を持っていける確率は比べると高いのかななんて。
まあ、ほぼ自分に対する説き伏せみたいな内容なんですけどね。でもその前にはきっと今の自分を受け入れられていることが前提にはなってくるのかもなと思ったり。難しいですね。
あ、思い出した。
初めての人が多い場でどんどん輪をつくっていく人を見たからだ。
もしもサポートを頂けたなら、それはさらなる経験に使い、僕の視点からその経験を文章にして共有させていただきます!