母と家族の病院生活9日間① 7日の夜

母が倒れた当日。

母が倒れてから、頭は真っ白だったけど、
家族に知らせないとと思い、急いで連絡先のわかる埼玉にいる母の妹に連絡した。そこから母の周りの親族に伝えてもらい、夕方過ぎに母の兄弟と家族
おばあちゃん(通称:おばば)とおじいちゃんがきた。

おばばは大分に一人で住んでいて体も不自由だ。
ただお母さんに会いに福岡まで自力でがんばって病院まで向かった。

ただ、医者からはおばばが病院に到着するまで生きているかわからない
危ない状況であると言われた。とても怖かった。

兄も入籍前でその週に両家顔合わせだったから、お嫁さんのお母様も病院まで来てくれた。たくさんの人が病室にいて慌ただしい時間が過ぎていた。
悲しいけど人への気疲れもあった。

母はパート先で倒れたから荷物なども置いていたから、父と兄は
お店までとりに行って、パート先にとめている車を家まで持って帰った。

その後兄と入れ替わりで、私は父と一度家に帰った。
本当は病院にいてずっと母のもとにいたかったけど、夜まで残るつもりでいたからお風呂に急いではいった。
ご飯も何か食べなきゃと思っていてセブンのから揚げ棒を買った。
けど、4個あるうちの2個しか食べれなかった。食欲がその時はなかった。
けど体力を保つためにエネルギーと思って食べた。

父親とその後すぐ病院にもどった。
病室には母の兄弟や兄が見ていてくれたので入れ替わった。

そんな慌ただしい中、父親も持病の薬を服用していたが急いできたから
薬を忘れていた。1日でも飲み忘れるといけないから病院から2時間ほどかかる単身赴任先に22時頃戻っていった。

父もその他の親族もみんな一旦家に帰った。
私と兄は二人で病院に残った。母を一人にしたくなかったし少しでも長く
母のもとにいて体温を感じたい。
もしも意識が戻ったらと思うとその瞬間に気づいてあげれなかったらと
不安で家に帰ることなどできなかった。
父が、薬をとりに家に帰ったのかも不安になっていた。
無事ついたと連絡があり、兄も私も安堵した。

病院のロビーに看護師さんが布団をもってきてくれた。
ロビーで横になって横になっていたが、まったく2人と眠ることができなかった。
結局、母のいる病室で私と兄でベットを挟んでお母さんの手をにぎっていた。
病室で血圧の測定のピピーと音が鳴るたびに怖くて、数字を確認していた。
何かあるかもしれないから、目を閉じるのも怖かった。

夜中に、彼氏がコンビニでおにぎりやウィダーなど病室から出れない私たちにたくさん買ってきてくれた。その優しさにとても救われた。

買ってきてくれたものの中には私の好きなオロナミンCもはいっていた。
本当にありがとう。


朝になるまでがとても長く。私たちはずーと起きていた。
お母さんも朝になるころに目を覚ましてほしかった。

朝になった。私たちは日の光に少しほっとした。
目を覚ますことはなかったが、1月8日を一緒に迎えることはできた。

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