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生活保護仏教による無理しない生き方 笠原周吾

どうせネットじゃ刺激的なことを書かないとバズらないことは知ってるがもともと人生バズらなくてもいい笑
あと生活保護なら働いてから仏教しろと言われるかも知れないが正式には精神障害で働けないのとずっと寝てたから家の前にあるコンビニいけないくらいなので一応自律神経失調症なのかな。
まあそれは置いておいてまあ中年ならもうそんなに人生に新鮮味もなくまあくだらないおっさんになったなと思ってもそんなもんだ。引きこもりの生活保護者がなぜ上からなのかは謎だが坊さんってそんなもんだろう。
まあ命に関わる病気で入院して助かったら世界が輝いて見えるよ。僕はモヤモヤ病の疑いと言われでかい病院行って手術とかあるのかなとか下手したら死ぬのかなとか病院で半分発狂してたら、多分生まれつきじゃないかと言われて経過観察と言われた時は家戻った時はうまかっちゃん食べてコーヒー飲んでタバコ吸って最高の気分だった。生きてるぞーと思った。
ただ怖くて仕方がない部分もあったから手塚治虫のブッダを読んだけど、やはり怖い。
ので心の仏教徒になったけど、死の恐怖だけは実際受け入れられてない。ハゲとかは大体どうでも良くなったけど。
僕の場合一応経過観察だったことがミソで父親が急死した年MRIいけなかったから、結果的にモヤモヤ病の疑いを放置してるわけで毎日泣きそうだ。
全泣き仏教。手塚治虫のブッダ読むより梶原一騎先生のひどい漫画読む方がいいのかもしれない。
死ぬとかは若いときは60くらいから考えたらいいかと思ってたけど、そうもいかない。
元々気が弱いので社会的弱者どうこうと言うより絶対死ぬことに怯えめまいする。
絶対死ぬってもう今地球に酸素なくなるのと同じじゃないかとか宇宙爆発と同じじゃないかと思うけど、それでも生きて死ななきゃいけない。
どれくらい苦しいかもわからないし、助かりようのない絶望。
皆同じだ。
いっそうのこと死なないと思って気楽に生きてもいいのではないかと思うがいくらでも即死の病はある。
真面目に生きてこなかったからこうなるんだという考えもあるかもしれないけど。
だから40歳からでもただ坂道はあるのか?救われるのか?と悩むけど、わからない。
心技体が仏教では需要らしいが僕は心しか知らない。
ハゲでいいと言いながら、帽子被らないとおどおどするレベルである。
それともやもや病の疑い放置に体がついてるのか。
技はちょっと何いってるかわからない(サンドウィッチマン
まあブッダでもアッサージが最強だったように(鼻垂れていて馬鹿キャラだがいつ死ぬかわかっていても普通にのんびり過ごす。
あんま深く考えないで水のようなやつが最強らしい。

ただ父親の誠さんが69で余命宣告されても発狂せずそれなりに落ち着いてたのは内心すごいと思った。
お父さんは僕に高校生の時ベース買ってくれたくらいで何も教わったりはしなかったが死ぬ時に体現してみせた。

それに反して僕は理屈ばかりでアホである。
考えるアホは最悪だ。
どうしたらいいのか まあ普通になるようになるしかないな。

この日記は中年になったら無理なことは諦めて気楽に生きればいい、ふつうに歩けてラーメン食えるだけすごいんだと言いたかったが、最終章は命さえも諦めるになってきたら今の自分ではわからない。すなわち人として成立していない、水のようになりたい。

自分の悩みエッセイになってしまった。

ああ、町の人は今を生きてる。
止まってるのは自分だけ。

もうエッセイでもなんでもない。

ただ怖い    




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