詩を読む夕方。詩人田村隆一について。

詩人の言葉は心の深いところに届くのでなく、ごく表層に膜を張るように忘れがたい印象を与えるものだ。こう思うのは、詩人田村隆一の『腐敗性物質』の書き出しの一文を読んだからである。

魂は形式
魂が形式ならば
蒼ざめてふるえているものはなにか

「腐敗性物質」

詩人は人間を「腐敗性物質」と言う。一見して、人間を物質に還元して捉えている、という意味にはあまり思えない。身体か精神という、古典的な二項対立を使っているわけでもない。
「腐敗性物質」という言葉のなかに、どこか人間を恐れているような感じを受けるのは俺だけかな。形式という、ある意味安定した秩序のなかに、得体の知れないなにかが潜んでいるみたいな。この詩人にとっての人間のイメージはそういう感じがする。

いや、田村隆一はユーモラスで明るい詩人だとも思う。『言葉なんか覚えるんじゃなかった』に、人生の空しさを語っている箇所があるんだけど、それがまた面白い。

人生の旅はめんどくさそうかい?
でもね、堂々と空しい期待を抱き続けるのさ。あなたは、人間なんだから。旅は人間の特権なんだから。いい旅をしようじゃないか。なっ。

『言葉なんか覚えるんじゃなかった』

人のいいおっちゃん、という感じじゃないか。こんなこと言う人が、人間のことを「腐敗性物質」なんて言ってるんだから詩人ってのは分からない。ひょっとしたら、この人は人間をあまりにも人間的に見てしまう人だから、あえて人を「腐敗性物質」なんて呼ぶんじゃないかなと思う。

人間の合理的な側面を見ればみるほど、人の非合理性が見えるように、魂の形式を見ればみるほど、形式外の魂がこの詩人には見えたんじゃないかな。
それが〈魂は形式/魂が形式ならば/蒼ざめてふるえているものはなにか〉という表現になったのかもしれないな。まあ、よく分からないんだけどさ。なっ。


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