小林秀雄・岡潔共著『人間の建設』を読んで

こんにちは!
今回は、『人間の建設』を紹介していきます。
この本は、何度読んでも面白いというか、発見が絶えない。そんな本です。
2人の知的な会話によって、本来の学問ってなんだ?ということがジーンと分かってくる。岡さんの熱い日本に対する思いと、小林さんの冷徹であり、物事を俯瞰した態度で伝える姿勢がしみじみと伝わってくる。
それでは、具体的に見ていこう。










人間を建設するとは?

この本のタイトル『人間の建設』から展開していこう。
そもそも”建設”とはどういうことなのだろうか。岡潔はこう述べる。

もしできるのであれば、人間とはどういうものか、したがって文化とはどういうものであるべきかということから、もう一度考え直すのがよいだろう、そう思っています。

(共著…小林秀雄・岡潔『人間の建設』新潮文庫P48から引用)

 なるほど、私たちは母から”生まれ”、気づいたときに”自分”という意識を持ち、その自分の”思想”あるいは考え方に従って生きてきた。しかし、そういった自分を疑ってみる。なぜ、こう考えるのか。そもそも私たち人間は、どうして生きているのか。そういったことを考えるということを”建設”というのだろう。では、なぜ”建設”する必要があるのだろうか。

人はずいぶんいろんなことを知っているようにみえますが、いまの人間には、たいていのことは肯定する力も否定する力もないのです。一番知りたいことを人間は何も知らないのです。自分とは何かという問題が、決してわかっていません。

(共著…小林秀雄・岡潔『人間の建設』新潮文庫P50から引用)

彼はこう述べる。つまり、私は、youtubeを見るのが好き。私は、上司とかかわるのが嫌い。そういったことを人は知っているし、考える。しかし、では、なぜyoutubeを見るのが好きなの?なぜ、その上司は嫌いなの?と聞かれても答えられない。もし、答えたとしても、だって面白いから。むかつくから。など肯定も否定もできない。つまり、物事に対してつき詰まってない人が多い。だからこそ、まずは、自分って何だろうということから考えてみる。そこから、自分が”本心から”知りたいことにアクセスできるというのです。では、その”建設”をするとどういった人になっていくのか。そういったこともこの本で、小林秀雄はこう述べている。

ぼくは、批評家になろうと思ったことはない、世間が私を批評家にしたのです。ぼくはただ文章を書いていただけなのです。文章を書く対象として、作家や思想家があったというのに過ぎないのです。

(共著…小林秀雄・岡潔『人間の建設』新潮文庫P85、86から引用)

なるほど、彼は、小林秀雄を”建設”するという過程で、世間が批評家にしたのであって、別に自分から批評家になろうと思ったことはないというのだ。確かに、彼は、ドストエフスキーや本居宣長を研究し、その過程で彼自身を”建設”していった。そうやって生きているからこそ、彼は、情熱をもって生き切った。私はそう感じている。この本では、批評・数学・俳句・アインシュタインなど様々な切り口から、人間はどう生きていくべきかを説いている本になる。興味がある方は一読を勧める。









最後に、

いかがだっただろうか。この本はほんとに深い内容がちりばめられているので、自分自身も分かっていない部分がある。でも、その分からないを突き詰めていくことを自分もしていきたいと思う。皆さんも知的格闘をこの本でぜひしてみてください。それでは、次回も楽しみに~。



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