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私はパラレルワールドに住んでいる

1カ月のうち、だいたい3週間は関東、1週間は関西、という生活をしている。
頻繁に行き来するものだから、私の頭の中では、両方の世界が並行して絶え間なく進んでいる。単身赴任の方たちはこんな感覚を味わっていたのかと新鮮な気持ちだ。

ところでわが家は認知症家系。私もそろそろお年頃だから、だいぶ忘れっぽくなった自覚がある。
人の名前が思い出せないのは序の口。「気になることがあった気がするんだけど気のせいだっけ?」と何を考えていたのか、そもそも考えていたのかいなかったのか、思い出せなかったりする。

先日、関東の実家で兄に市内のお店の場所を尋ねていた時のこと。町名からだいたい場所のあたりがついたので、「産業道路沿いだよね?」と確認した。
すると兄「えっ?」
私「だから、産業道路沿い?」
兄「???」
そこでようやく私は関西の道路名を言っていることに気づいた。南北へズドーンと伸びる幹線道路の雰囲気が似ていて間違えたのだ。

別の日には、兄がよく行くジムの場所をきいた。実家との位置関係からしてあの辺か、と思った私はまた確認した。「西宮北口あたり?」
兄「???」怪訝な表情。
私「だから、西宮北口?」
兄「???」憐みの表情。
そこでようやく私は関西の駅名だったことに気づいた。
って、もう「西宮」って言っちゃってるじゃん!

コレは単なる言い間違いではない。
そのとき私は実家にいたのに、実家からジムの方角と距離を、関西の仮想空間で考えていて、頭の中にははっきり西宮北口駅が浮かんでいた。
つまり、大ボケである。(←威張って言うことではない)

あかん、あかん。だいぶ来てるわー。
ボヤく私に兄は言った。
「30年前からボケてるじゃん。昔『靴買いにシュービズ行ってくるわ』って言ってたぞ」
えー? ほんとー?!
シュービズ(ShooBiz)って、若き日に住んだメルボルンのバークストリート(だったと思う)にあった靴屋だ。
「ちょっと買い物に」って、地球の裏側まで行かへんわ!

記憶って不思議だ。
何十年も生きてきた間には、あちこち場所を移動してちょっとずつ滞在している。その記憶全体を図にするなら、時間軸を横切ってズラッと空間軸が並んでいて、1つの空間軸を覗くと、そのときの世界が3Dで広がっている。そんな感じ?
35年前を振り返れば、メルボルンの町が頭の中に広がって、あの通りをまっすぐ行って、あそこで曲がると、あの店があったんだよなあ、なんて鮮明にたどれたりする。
この小さな頭の、貧相な脳みその中に、どうやって広いシティーが押し込まれているのだろう。それとも、記憶は頭の中ではなく、どこか違うクラウドのような場所にセーブされているのだろうか。

子育てしていた頃、関西から帰省するたび、自宅と実家はやけに遠い気がした。
事前に仕事を調整し、子どもと私の分の荷造りをし、自宅に残る夫のために家事を前倒ししないと、出発できなかったからだ。
行くときも帰るときも、遠さが切なくて身を割かれる思いがした。もっと近かったらいいのにと何度思ったことだろう。

今は、身軽に行き来できるようになり、心理的な距離感はグッと縮まっている。
そして、頭の中でも双方の地図が部分的に重なっているようだ。そのうち認知症になったら、完全に重なってしまうかもしれない。
そしたら、もう身を割かれる思いはしなくてすむ。故郷にいると思っていた1分後には、関西の自宅にワープできるのだ。

パラレルワールドを生きて、それが時々合体するなんて、まるでカッコいいSF映画ではないか。ひょっとしたら認知症って、脳のリミッターが外れて、超能力が開花するということかもしれない。

ボケるって嫌なことばかりじゃない。周りの人は大変だけれど、本人はきっと幸せだ。
脳の自己防衛本能で、嫌なことは忘れるし、記憶が欠けて辻褄の合わないところは、自分の都合のいいように補われるはずだから。

私も将来超能力が備わったら、タイム&スペーストラベルをたっぷり堪能したい。おしゃべりするより、黙って考えているのが好きな私は、案外楽しめるはずだ。
傍からはボーッとしているだけに見えても、私は脳内でせわしなく時空を飛び回っていることだろう。

とりあえず夫には、「私が認知症になったら、早めにグループホームに入れてね」と頼んでおいた。

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