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私の正義の話 その1

私は40歳まで何不自由なく生活してきた。
私は中学、高校と優秀だった。
周りの誰もが私に敬意を払って接していた。私も気さくにおもしろい面も見せていたので誰からも好かれていた。
模範的で誰しもの憧れ、それが私という人間を形成していた。
最初にケチがついたのは大学受験だった。私は当然有名私立を受験したが結果は合格ではなかった。
滑り止めの三流私立は周りの人間の程度も低くて私のような優秀な人間が通う場所ではなかった。それにキャンパスも東京のハズレにあった。都会で一人暮らしをするからには都会ど真ん中に住むのは当然であるから大学までは片道1時間近くかかった。
そこまで労力をかけて通う場所ではないし私がいるにふさわしくないと判断したので大学に通うのを辞めた。私に生きる場所、私にふさわしい輝かしい場所を考えた。
アメリカだ!だから私は留学をした。
実家が会社を経営していたからお金はある。ママも大賛成してくれた。
パパはお金がかかることをぶつぶつ言っていたけれど、私のキャリアを考えてOKしてくれた。
早速カリフォルニアにある語学学校を経てカレッジに通うことになった。
ママがパパにお願いをしてアメックスのゴールドカードを持たせてくれた。
部屋もジムとプール付きのマンションを借りた。家賃は全部カードで支払える。怖いものなしだ。ついでに車も買った。
悠々自適の生活、お金にも不自由しない。これこそ私にふさわしい暮らしだ。
しばらくすると月末にパパから電話がくるようになった。
「カードの請求が100万を超えている」
学校の学費や家賃なんかが一緒に引き落とされてるだけでしょ?
私は実家を遠く離れた土地で一人で頑張ってるの。
応援するのが家族でしょ?
ママはいいわよと言ってくれてる。だから気にしない。
次の月も同じ電話が来たけれども教科書代じゃない?と言っておいた。
私は無駄遣いなんてしていない。アメリカはカード社会なの。いろんな請求が一度に来るから金額が大きいだけで普通のこと。それに100万だなんだ言ってるけど友達にはもっとお金持ちがいる。
私は慎ましくこの生活で満足してあげているの!

次にケチが付いたのは28歳の時だった。
パパとママが離婚することになった。
ママは私がお金に困らないようにとパパの籍のままでいるように言った。
その時、カレッジも単位が危うく卒業も出来なかった時だったし、私は「仕方なく」日本に戻ることにした。
でもアメリカでの生活のレベルは落としたくない。
両親の離婚で仕方なく日本に帰らざるを得なかった、だから私にも慰謝料が必要だということをパパに伝えた。
ママが一人暮らしを始めた東京のマンションに住むことにしたけれども、ゴールドカードはなくなった。だから家賃と、仕方なく生活を変えなくてはいけない私に対して生活費を保証するべきだとパパに伝えた。
パパは再婚していたからなんだかんだと文句を言っていたけど、償いをするのは当然のことでしょう。お金を出すときに文句が多すぎるけど私を誰だと思ってるの?私は被害者なの。
結局お金はもらえることになったけれども、条件を付けられた。
それが会社の役員になること。名目上、実家の会社役員になってその報酬として私がお金を受け取ってママとの生活費の足しにすること。
でも役員報酬を受け取ったら税金を支払わなきゃいけない。
それはおかしくない?なんでもらったものから支払わなきゃいけないの?
だから役員は弟にやらせることにした。弟は一人暮らしをしながら外で働いていたけど、いずれ会社を継ぐから役員になるのは当たり前のこと。そう提案したらみんなが納得した。弟が役員になって報酬を受け取る。でもそのお金は私の生活に必要なので半額を私に渡すようにと提案した。これで税金を払わずにお金が受け取れるしみんなが幸せ!
私は英語力を生かして外資系の会社に入ったし、私にふさわしい生活をするにはお金が必要なのは当然でしょう。
でもこのあとまた私の人生にケチがつく。

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